第20話 空の王者
王都の防壁が刀竜に切り崩される、その数時間前。
夜明けとともに移動を開始したハラルリクムとリリシャは、北へ向かうために南下していた。
王都は山の北側だが、さすがに崖を登るわけにはいかない。結局ワイラ軍がたどったであろうルートを駆け抜ける方が早いという結論に達したのだ。多少国境侵犯の恐れはあるが、今更そんなものを気にするつもりはない。
ハラルリクムがふと足を止めた。
「どうしたの?」
「ちょっと待ってろ」
ハラルリクムはリリシャにそう言うと、藪の中に踏み込んで行った。リリシャは首を傾げたが、ハラルリクムはすぐに戻ってきた。
「薔薇……?」
「目に入ったんでな」
ハラルリクムが取ってきたのは蔓薔薇だった。棘を摘んでしまうと、リリシャの後ろに回りくるくると器用に髪に巻き付けた。
「間に合わせだが、そのままではせっかくの髪を木の枝に引っ掛けそうだからな」
いつもポニーテールにしていた髪は、川で流された時にほどけていた。髪留めもどこかへいってしまい、リリシャは長い髪を下したままだった。
耳の後ろに手をやると、花と葉がそこに飾られているのがわかる。蔓を紐代わりにして髪を結んでくれたのだ。
満足げなハラルリクムに、リリシャは真っ赤になって身悶えする。
「……ありがと……」
何かを意図してやったわけではないはずだ。ただ単に引っ掛けたら可哀相だと思ったのだろう。そこで都合よく花が咲いているのを見たから、取ってきて結んだ。
きっとそれだけのことなのに、ドキドキする。
リリシャが楚々とハラルリクムの手を取ると、軽く肩を抱き寄せられる。もうこんな距離にも抵抗はない。もっと近づいてもいい。
そう思った途端、ぐいと引き寄せられる。心臓が跳ね飛んだが、その直後ハラルリクムはリリシャを抱えたまま横っ飛びに木陰へ逃げ込んだ。
バキバキと木々をへし折りながら、何かが横を通り過ぎた。
「ギシャアアアア」
上の方から敵意のこもった咆哮が降ってきた。思わずリリシャはそちらに向かって威嚇を返す。見上げれば青空に大きな鳥のような影。
くるりと旋回してこちらに戻ってくるのは、翼をもつ巨大なトカゲ……いわゆる
遅まきながら相手の危険度を察したリリシャは目を見開く。
「どうしてドラゴンがいるの!?」
「こんなところで見るとは。やはりワイラのせいか……?」
ドラゴン。魔獣の中でも特に有名な種。人の目に触れなくなった今でもその強大さが語られ、伝説やおとぎ話として伝えられる存在。
「ワイラがドラゴンを連れてきたと?」
「あの魔法具では空を飛ぶ相手までは届かんだろう。直接どうこうしたわけではないだろうが……おそらく餌がいなくなったからだな」
ワイラ国内にどれほどドラゴンがいるのか、どれほど魔獣が生息しているのかはわからない。
だが結構な数がモーサバー侯爵領に追いやられていた。一時的でもワイラ国内の魔獣生息域が変わったわけで、周辺にも影響が出るのは不思議ではない。
空を飛ぶ魔獣なら、狩りの範囲を広げることもあるだろう。ドラゴンだけでなく、魔法具から逃れた鳥系の魔獣は、餌を探してあちこちへ散っているかもしれない。
「じゃあ私たちは獲物だと思われてる?」
「多分な。舐められたものだ」
「戦ったことはありますか?」
ハラルリクムは首を振った。
「もっと小型の飛竜……ワイバーンとはやったことがあるが、ドラゴンは魔境の方を飛んでるのを見ただけだ」
「あ。魔境にはいるんですね、ドラゴン……」
辺境にいればおとぎ話を目撃できるらしい。だがひとまず目の前にいる奴が問題だ。
ドラゴンはこちらを探しているのか、上空をぐるぐると回っている。ハラルリクムはしばらくそれを観察していたが、やがて焦れたらしいドラゴンは闇雲に急襲を仕掛けてくるようになった。あちらへ、こちらへと地面すれすれまで降りてきてはまた飛び上がる。
ドラゴンは細身だが、首から尻尾までの長さは成体のペリネイに匹敵し、翼も含めればさらに大きい。その鱗は大抵の武器を受け付けず、空を舞う機動力と破壊力は脅威という他ない。頭部には王冠のように左右に二本づつ、計四本の角が生えている。ペリネイが陸の王者なら、ドラゴンは空の王者だった。
倒される木々に巻き込まれないよう、二人は逃げ隠れしなければならなくなった。周辺の森は、何度も引っ掻かれて雑に線を引かれたようになっている。無事なところは減るばかりだった。
「リリシャ。この辺で隠れていてくれ」
「ハラルリクム様?」
「あいつをどうにかする」
木の陰から出て行こうとするハラルリクムの腕をリリシャがつかんだ。ハラルリクムが振り返る。
リリシャも現状を理解していた。このままでは遠からず攻撃に巻き込まれる。戦えるとすればハラルリクムだけだ。
だがハラルリクムは川で痛めつけられて、回復後間もない。まともに手当てをしたわけでもなく、十分に休養したわけでもない。さっき彼はドラゴンとは戦ったことがないと言った。飛行能力を持つ初見の相手。
だから無意識のうちに止めてしまったのだろう。いかなハラルリクムでも必ず勝てるという確信はない。
ハラルリクムは手を伸ばしてリリシャの頭を撫でた。
「そんな顔をするな。俺が行く時には、行かねばならん理由がある」
魔獣から民を守るため。今は、リリシャを守るため。
できれば共に戦いたい。少しでも手助けをしたい。だが今のリリシャには無理だ。となれば。
リリシャはハラルリクムの首に手を回す。つま先立ち、引き寄せたハラルリクムの頬に唇を触れた。
「お願い。勝ってください」
ハラルリクムは驚いた表情でリリシャを見つめ、破顔した。
「男というのは単純なものでな。いい女に頼られれば、実力以上のこともできるというものさ」
ハラルリクムは木の陰から飛び出した。飛竜を見る顔には獰猛な笑みが浮かんでいる。走る獲物を見つけた飛竜が襲い掛かろうと急降下してきた。
それに向かってハラルリクムが振りかぶったのは、ドラゴンのせいで折れた木の幹だった。
「落・ち・ろ――!!」
ためらいなくぶん投げられた枝葉つきの丸太が、正面からドラゴンを捉える。
「グギャア!?」
咄嗟に顔面激突だけは避けたドラゴンだが、胴体に直撃を受けバランスを崩して墜落した。ズザザザッと森の木々を下敷きにしつつ地面に転がったドラゴンに、剣を抜いたハラルリクムが肉薄する。
ドラゴンはぎょっとした顔で起き上がろうとしたが、その前にハラルリクムの剣が横っ面を引っぱたいた。張り飛ばされたドラゴンが横倒しに倒れる。
「あれ?」
リリシャは半笑いのまま首を傾げた。
圧倒的優勢に見える。空の王者とは何だったのだ。初見の敵ではなかったのか。それとも自分のキスにそれほどの効果があったのだろうか。
そんな馬鹿なと思うが、ハラルリクムの嬉しそうな顔を思い出すと、捨てたものではないのかもしれない。
リリシャが赤くなったりもじもじしたり百面相をしている間に、ハラルリクムは状況を整えていた。
飛竜は空を飛ぶが、飛び上がるためには助走が必要だ。だから頭を押さえる。常に正面に立ち、走らせてはならない。
ワイバーンと戦った経験から、ハラルリクムは同様の立ち回りを選んだ。
おとぎ話で言うように火を吐いたりはしないが、噛みつこうとはしてくるので口で言うほど簡単なことではない。ドラゴンの爪や牙は、ペリネイにも通用するのだ。
だが今回ドラゴンのその行動は、ハラルリクムの目的のために好都合。
どうせ勝たねばならないが、その勝ち方にも色々ある。
風圧さえ感じる速度で噛み合わされる竜の
「まずは一本」
斬り飛ばされたドラゴンの角が、中空に飛んだ。
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