第19話 及ばぬ剣

「大丈夫か!」

「くそっ、瓦礫をどけろ!」


 崩れた岩のブロック。真っ二つになった門、壊れた金属部品や木片。防壁付近は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

 魔獣の襲来を知らされた騎士や兵士は、防壁の内側に籠ってそれを食い止めようと考えていた。

 相手は人の何倍も大きい魔獣。バリケードや罠を作るにしても間に合わない。モーサバー侯爵領の兵士が魔獣をずっと監視しており、逐一知らせが来ていたのだ。大型魔獣はとんでもない速度で王都に近づきつつあると。

 ペリネイがどういう魔獣かは教えられたが、実物を知らず平和の中にあった彼らはその危険度を正確に測ることはできなかった。防壁で足止めをしている間に、上から攻撃を仕掛ければ何とかなると考えていたのだ。

 アンサト家の家臣たちは反対したが、聞いてはもらえなかった。嫡子の補佐でしかないウェスリドが何を言っても騎士たちは聞かなかったし、女のスズルナの言葉を将軍は一蹴した。彼らは彼らなりにプライドにこだわったのだ。

 アンサト家が自分たちだけで対処すると言ったことも、反発される一因だった。

 刀竜ペリネイは桁外れの防御力と攻撃力を有している。普通の剣や槍ではその鱗を切り裂くことは敵わず、盾や鎧で刀角を防ぐことも難しい。武装も身体能力も不足している以上、人を出すだけ犠牲者が増えることになる。

 辺境の人間として事実を述べただけだが、素直に受け入れられるわけがなかった。

 まずはこちらが対処すると言って、騎士団は譲らなかった。

 そしてその最初の一撃がこの結果だ。

 王都にたどり着いたペリネイは問答無用とばかりに防壁に突撃し、一番固い頭部の刀角で門付近を切り取った。防壁の上に待機していた兵たちは慌てて逃げたが、崩壊に巻き込まれた者も多い。戦闘どころではなかった。


「言わんこっちゃない」


 ウェスリドが合図する。ジムルスが射撃を始めた。さすがにあのまま王都に侵入されたらシャレにならない。

 攻撃されたと気づいたペリネイが、向きを変えてこちらへ向かってくる。

 アンサト家の家臣一同は、王都の外側で待機していた。ウェスリドの手には子ペリネイの刀角がある。やはり王都では魔獣素材の加工は満足にできず、柄を付けただけの代物だ。それでもないよりまし。


「これで何とかなればいいんだが」


 なぎ払われる爪を避けて、ウェスリドの振るった剣先がペリネイの前足に斬り込む。黒い羽毛のような形をした鱗が、斬られて飛び散った。

 通った。だが浅い。

 かすり傷だが、ペリネイは相手が自身を傷つける手段を持つことを知った。低く唸り声を上げ、ウェスリドを警戒する。

 防壁の方から何人かの騎士が武器を担いで走ってきた。馬が怯えて言うことを聞かず、出撃に手間取ったのだ。その気概だけは褒めてもいいが、無駄な抵抗には違いなかった。

 ウェスリドに気を取られ、背中を向けているペリネイに騎士たちが攻撃する。


「固いッ……!?」

「代々伝わるこの名槍が歯が立たないだと!?」

「どうなっているのだ、こいつは!」


 切っても突いても無駄だった。

 武器が通用しないとは聞かされたが、彼らは本気にしてはいなかった。辺境のような田舎のなまくらはともかく、最新技術を持つ王都の職人が鍛え上げた武器。貴族の家に伝わる魔獣を何匹も打倒したという剣や槍。それら一切が無力であるとは信じなかった。

 アンサト家一行の武装に魔獣素材が多かったことも、誤解を招いた。角や牙の加工品に、鉄や鋼が劣るわけがないと考えてしまったのだ。

 ペリネイを振り向かせることすらできないと知って、やっと騎士団は自分たちの思い違いを自覚した。

 武器が通用しないというのは本当だった。では防具も。

 こちらを試す勇気は誰にもなかった。

 うっとおしくなったのか、ペリネイは及び腰になった騎士たちを尻尾で振り払った。対応できる者はなく、まとめてなぎ倒される。


「ちっ」


 ウェスリドはペリネイに攻撃を加え、その場から引き離す。尻尾だったのは幸いだ。あれなら助かる者も多いだろう。刀角だったら真っ二つにされていたはずだ。

 ティテリーとスズルナが三、四人づつをまとめて防壁の方へ運んでいく。途中まで出てきた回収要員がそれを受け取って行った。

 見えたのはそこまで。

 誘導するために、ウェスリドはペリネイに追いかけられる羽目になっていた。頭部の突きをかわし、振り下ろされる爪から飛び退く。横なぎに襲ってくる後ろ足の刀角を受け流す。

 ジムルスはひたすらペリネイの目元を狙い撃ちして、気を散らそうとしていた。瞼を閉じるだけで弾かれる矢だが、牽制の役には立つ。

 体勢を整えたウェスリドは、ペリネイの足下に飛び込んだ。足の内側を斬りざま外へと駆け抜ける。血が吹き出し、ペリネイが切り裂かれた足を浮かせた。

 防壁の上から歓声が上がる。騎士団が成すすべもなく蹴散らされたあと、ただ二人で巨大な怪物と相対している辺境の戦士に、誰もが見入っていた。


「すげえ!」

「あれならいける!」

「一体誰なんだ、あいつら!」


 兵士だけでなく、物見高い一部の市民まで防壁に上がってきた。戦況を見守る中には、近衛に囲まれた国王とモーサバー侯爵の姿もある。


「凄まじいな」

「こうして見るとわかります。あの巨獣の攻撃、避けるのも並大抵ではありません」

「アンサト家で嫡子の側近をしているだけある。射手もよくまああれだけ狙えるものだ」


 感嘆の声を漏らす王と侯爵だが、そばで観戦しているマトネルとチェカナは少し違う感想を抱いていた。

 王都へ来る馬車の中で、彼らがぶっちゃけた作戦会議をするのを聞いているのだ。

 手に入れた刀角はウェスリドが使う。それは当人も含めて全会一致の決定だった。ただその理由は、、というものだ。

 防具が刀角に耐えられない時点で、盾役であるティテリーは使い物にならない。彼のステータスは回避には向いていない。

 たとえ王都の騎士より強かろうと、スズルナは辺境基準では戦闘員ではない。

 残る二人の回避能力は高いが、ジムルスは射手。雑魚ならともかく、ペリネイ相手に近接戦は無謀すぎるので援護に回った方がいい。つまりウェスリドは消去法で前面に立つことになったのだ。

 ウェスリドも負ける気でいるわけではない。ただ、手数で勝負するタイプのウェスリドにとって、巨大で体力のあるペリネイは相性が悪い。

 かわし続けるウェスリドと、固唾を呑んで見守る人々。隙を見ては何度も切りつけ、都度傷を負わせている。王都中探しても、これほどの手練れはいないと断言できた。が。

 戦闘が始まってもう何時間過ぎたのか。

 見ている人々もおかしいと思い始めていた。戦っているウェスリドも、アンサト家の者たちもとうにわかっていた。だからだったのだ。


「ちっ、やっぱり無理か……」


 ウェスリドは顔をしかめる。できれば妻にいいところを見せて、戻ってきた若に獲物はいただきましたと言えればよかったのだが。

 ペリネイはいまだ衰えた様子を見せない。生命力の強い魔獣は、驚異的な再生能力を持つことがある。多少傷を負っても、さほど時間をかけずに回復していくのだ。

 ウェスリドがつけた傷のいくつかは、もう跡形もなく塞がっていた。ジムルスの矢は元々嫌がらせでしかない。予想はしていたが、削り切れない事実を突き付けられると凹む。

 そしてこのことに気付いているのは、人間たちだけではなかった。

 致命傷を負わされることはないとわかったペリネイの動きが大胆になっていく。反撃上等でウェスリドを叩き潰しにかかった。

 爪を振るい、刀角で追いかけ、尻尾を振り下ろす。ウェスリドは回避しては攻撃し、首を狙うチャンスも得たが深手を負わせることはできなかった。

 ペリネイが体をたわめ、宙に跳び上がる。


「なっ……!」


 ボディプレス。腹を晒しても貫けないと思われた。そしてそれは正しい。本気で逃げなければ圧し潰される。

 ウェスリドはなんとか直撃からは逃げたものの、風圧に吹き飛ばされて転がった。すぐさま飛び起きるが、もう眼前には頭部の角を振りかざしたペリネイが迫っていた。

 反射的に刀角の剣をかざす。が、頭部の刀角は一番固く鋭い。幼体の刀角ではまず受けきれない。

 その時、ペリネイの頭の上を大きな影がよぎった。ペリネイがびくりとして上を見上げる。

 防壁の上が騒がしい。何だあれはという悲鳴のような叫びが聞こえる。

 中天の太陽を背にしたシルエットは、細長い首と尻尾、そして皮膜の翼を持つ生き物。それはまるで墜落するかのようにこちらへ向かって急降下してくる。

 ウェスリドはそれを見て目を細め、苦笑すると大きくため息をついた。


「まったくもって、凡人は理不尽には勝てんな」

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