第18話 魔獣襲来

 王宮の一室。父はのんびりと酒を嗜み、娘はその相手をしていた。


「明日になればあの子も帰ってくるかしら。トラブルがあったみたいだから心配ですわ」

「なに、辺境伯家の者たちもおるし、大丈夫だろう」


 父のグラスに酒を注ぎながら、シンクレアは憂い顔になる。


「でもお父様。少し悪戯が過ぎたのではありませんか?」

「ふむ」


 王は少し考える。モーサバー侯爵の領地で魔獣が目撃されたという話を聞いて、いささか強引にことを進めたのは確かだ。


「だが、こうでもしないと納得せんだろう。何せ本物かどうか見極めると豪語しおったからな」

「それはそうですけど、当人同士で腕試しをするという手も」

「お前こそ、相談した途端に見合いの件をバラしおって。怒鳴り込まれて肝が冷えたわ」


 白薔薇の姫はくすくすと笑った。


「だってその方がお父様に都合がいいと思ったのですもの」

「まあ話を持っていくのは楽だったが」

「辺境伯のご子息を気に入ってくれればいいのですけど」

「お前の結婚にもかかわるからな。まったくあのじゃじゃ馬めが」


 優しい罵声に、シンクレアは王の顔を見て微笑んだ。父も娘も、真っ直ぐな気性の赤薔薇の姫を愛していた。彼女に幸せになって欲しいと願うその点に関して、二人は共犯でもあった。


「さて。そろそろ寝るか」

「そうですわね」


 王が立ち上がろうとした時、扉の外が騒がしくなった。


「夜分遅く失礼します! 陛下! 危急の用件でございます!」

「何事だ?」


 飛び込んできたのはモーサバー侯爵だった。王は眉をしかめる。形相も顔色もただ事ではない。


「姫様が……リリシャ様が行方不明に……!」


 それを聞いてさしもの国王も絶句して動きを止めた。隣にいたシンクレアは、息を呑んだと思ったらそのまま気を失った。王は慌ててその体を支える。すぐに侍女が駆け寄り、姫君を運び出した。


「何があった!?」

「仔細はこれに……」


 モーサバー侯爵は息子マトネルからの報告書を王に手渡す。読み進める王は、みるみる表情を変えた。ギリッと歯ぎしりの音が響く。


「ワイラだと……ハゲワシどもめ!」


 忌々し気に怒鳴る王の前にモーサバー侯爵は平伏する。


「このようなことになったのもすべて私の不行き届き。この首いかようにも……」

「勘違いをするな。侯爵領の問題を利用したのは儂だ。責任なら儂にある」

「しかし魔獣の数も質も見誤っておりました!」

「ワイラの者どもが送り込んでいたのだろう? 儂とてそんなことになっているとは夢にも思わぬわ!」

「しかしリリシャ様が!」

「くっ……! 辺境伯にも何と言えばいいのだ!」


 王と侯爵は二人して頭を抱える。


「アンサト辺境伯は見合いの裏を御存じなのですか……?」

「うむ。書状にはこちらの事情と、ついでに侯爵領の魔獣討伐を頼むとしたためた。イベントとして丁度いいだろうと思ったのだ……」


 モーサバー侯爵は領内の山岳地帯で魔獣が目撃されたため、それに対処しようとしていた。小型だが一匹二匹ではないようだと、そういう報告を受けていたのだ。

 遊戯室でチェスを指しながらそんな話をしていたら、見合いの話を聞いたリリシャが乗り込んできた。それで王が悪ノリしたのだ。

 ハラルリクムの実力を疑うような発言。自分の目で見極めるという宣言。ならば見る場を用意してやろうと王は考えたのだった。王として辺境の実情はある程度把握している。ついでで充分な案件のはずだった。

 王の企みに乗った辺境伯も、何も言わずに息子を送り出した。実際に辺境基準では大した敵ではなかったのだ。わざわざ教える意味もなく、必要も感じなかった。

 途中で魔獣の数が想定よりはるかに多いことに気づいて、モーサバー侯爵は慌てて領軍を派遣した。どうなっただろうかと思っていたら、アンサト家の従者がマトネルの報告書を届けに来た。

 手紙を開いたことを、これほど後悔したことはない。

 魔獣の出現自体がそもそも隣国の陰謀。魔獣の大群もワイラ軍もわずか七人で粉砕した。そこまではよかった。その過程で一番何かあってはならぬ二人が崖から落ちて行方不明になった。そして最凶の魔獣はまだこれから襲ってくる。


「モーサバー」

「はっ」

「すまんが付き合え。今日は眠れんぞ」

「御意」


 行方不明の二人は心配だが、先に魔獣に対処しなければならない。王は侍従を呼び、各所へ使者を出すよう命じた。





 国王と国の上層部が眠れぬ夜を過ごした翌日。

 王都の防壁の門は閉じられ、物々しい雰囲気の騎士や兵士たちが緊迫感を滲ませながらあたりを警戒していた。普段なら旅人や商人の馬車で列ができることもあるが、今は街道の途中で兵士が通行を制限している。

 町の中はまだ日常が残っているが、魔獣襲来の可能性は市民にも通達されていた。


「魔獣なんてもう辺境にしかいないんだろ? ホントにそんなもんが来るのかね?」

「たまに騎士団が討伐に行くじゃねえか。どっかの山奥とかにさ」


 市場は買い物客でごった返している。魔獣が王都に現れるなんて、実際にはあり得ないと思っているものの、なんとなく不安になって色々買いこむ者が結構いるのだ。


「騎士の人たちがやっつけるんでしょ? 魔獣って見てみたいな」

「あとで広場で見れるわよ、きっと」


 子供連れの母親はにっこりとそんなことを言う。魔獣などめったにないイベントだ。討伐したら見世物にしてくれるかもしれない。

 その程度には王都の市民は無知だった。そして平和慣れしていた。

 ほんの百年前には、まだこのあたりにもそこそこの魔獣がいた。そして多大な被害を生んでいたのだが、今ではそれも子供を諫めるための昔話でしかない。

 どこか他人事で真剣みのない人々の耳に、緊急事態を知らせる鐘が鳴り響いた。


「あら?」

「鐘だ」

「ありゃ。店じまいしなきゃなんねえか」

「家に引きこもれってお達しだったねえ」

「いい天気なのに」


 この期に及んでも、一般市民はまだ危機感を持っていなかった。


 しかし。


 鐘が鳴りやまぬうちに、ビリビリと空気を震わす咆哮が日常の音を消し飛ばした。

 人々は硬直し、市街に静寂が降りる。

 それを再び破壊したのは、ザクッと防壁に切り込む刃の音。斬り下ろし、斬り上げる。V字に抉られた防壁と門が、音を立てて崩れ落ちた。

 その向こうにある赤い目をした大きな黒い獣の顔。

 その顔が口を開く。巨大な赤い口には巨大な牙が並び生え、その奥から再び物理的な圧迫さえ伴った咆哮が放たれる。その声は否応なしに、人々にもう安全が担保されないことを知らしめた。

 悲鳴が上がる。物が壊れる音がする。泣き叫ぶ者、パニックに陥る者、座り込んで動けない者。

 市街警備の兵が駆けつけ、保護、あるいは捕縛して秩序を回復しようとした。

 幸い破壊された門からこちらを覗き込んでいた怪物は、一旦見えなくなった。微かな振動や、破砕音、唸り声などは聞こえているが、至近距離ではなくなっただけましだ。


「頼んますよぉ、偉い人たち」


 警備隊の兵士は首をすくめながら呟いた。町中で酔っぱらいの相手ばかりしている警備兵では、出世は望めない。城にいる銀の甲冑の騎士たちを羨む日々だったが、今日に限っては市街警備の下っ端でよかったと思う。

 真っ青になった親子を保護しながら、外で決着がつきますようにと兵士は心から祈った。

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