第15話 崩落

 アトネルが使った魔法具は、彼が宝物庫で忘れ去られていたのをたまたま発見したものだ。最初はどんな効果があるのかわからなかった。

 しかしこれを向けられた魔獣は大人しくなり、簡単に追い払うことができた。そこから国境の山に魔獣を集め、バーンイトーク王国に攻め込ませるなどという計画ができあがったのだが、魔獣を自由に制御するほどのものではない。正確には魔獣を嫌がらせることができる、魔獣除けの魔法具なのだ。

 前方の恐怖ハラルリクムと、後方の嫌悪感アトネルに挟まれた魔獣の子はパニックに陥っていた。


「へぶしっ!」


 ペリネイが振り回す尻尾に当たってアトネルが吹っ飛んだ。


「逃げろ!」


 誰ともなく叫んで、兵士は脱兎のごとくペリネイから逃げた。

 森が切り裂かれ、地面が揺れた。倒木に巻き込まれて兵士が悲鳴を上げる。跳ね飛ばされた木や岩、土砂が飛び散る。


「あいつ何をした!」


 ハラルリクムは嵐のような中を、ペリネイに向かって走った。回るように暴れるペリネイは、それだけで十分な破壊兵器だ。このままではワイラの兵だけでなくリリシャたちも危ない。

 長い尻尾が邪魔だ。ハラルリクムは飛んできた尻尾を切り落とす。勢いのついた尻尾の先は、木にぶち当たってそこに落ちた。

 狂乱状態のペリネイはもうハラルリクムを見ていない。悲鳴のように吠えながら闇雲に残った手足を振り回す。

 ハラルリクムは蹴ってきた後ろ足の爪を剣で受け止めて押し返す。そのまま踏み込んで刀角を叩き折った。ペリネイは頭部の角を振り下ろした。横っ飛びに回避する。


「早めに片付けないと色々ヤバイな」


 ハラルリクムは爪や刃をかいくぐり、先ほど前足を切断した側に回り込む。本来なら最硬の鱗は何者の攻撃も通さない。が、同じペリネイの刃角は別。ハラルリクムはその首に、剣を振り下ろした。

 暴風が止まり、どさりと音を立ててペリネイの首が、力を失った胴体が地面に倒れる。


「な……!」


 切り札のはずの、誰も敵わないはずの魔獣が倒された。それはつまり、敵は魔獣以上の強者であることを意味する。ワイラ軍は圧倒され立ちすくんだ。

 静寂を破ったのは、武官に助け起こされたアトネル王子の怒鳴り声だった。


「く……あの女だ! 奴らの指揮官を狙え!」


 血まみれの歯の欠けた顔で、アトネルはリリシャを指差した。

 アトネルはアンサト家一行を、王国の騎士が雇った傭兵だと考えていた。騎士の鎧を身に着けているのは女二人。他は各人バラバラの装備だったからだ。魔獣を単独で狩るような男とまともに戦うのは愚策。ならば雇い主を始末すれば、交渉の余地が生まれる。

 呆然としていたワイラの兵士は、反射的にその命令に従った。

 矢が飛び、何人かは槍を投げた。


「リリシャ様!」


 ペリネイの凄まじい暴れっぷりに、こちらもバラバラになっていた。砕けた岩だの木片だのが飛び交っていたのだ。そのせいで辺境組とリリシャの間に距離があった。

 リリシャをかばうように飛び出したのはチェカナだった。チェカナはアンサト家一行ほど身体能力に差がなかったせいで、逆にリリシャの近くにいたのだ。

 守るなんておこがましいと思っていたのに、咄嗟に前に出てしまった。

 やっちゃったなあ。預かってるペンダントが、ちゃんと防御の魔法具でありますように。

 チェカナは頭の隅でそう考え、ぎゅっと目をつむる。


「えっ?」


 背中から突き飛ばされてチェカナは目を開いた。倒れながら振り向くと、リリシャは仕方のない奴だという顔で笑っていた。


「リリシャ様あっ!」


 矢と槍が突き立ったのは、リリシャとチェカナの間の地面だった。チェカナを突き飛ばした反動で、リリシャは後方に倒れていた。それが幸いして上手くかわす形になったのだ。


「大丈夫よ!」


 リリシャが手を振り、チェカナはほっとした。


「ティテリー、姫様のところへ行け! ジムルス!」


 ウェスリドが指示を飛ばす。ティテリーはリリシャの盾になるべく走り出し、ジムルスは彼女を狙った兵士を次々と射抜く。

 リリシャも立ち上がろうと地面に手をついた。


「え……」


 突然ぐらりと傾いた足下。逃げ回り、リリシャが倒れたのは峡谷に面した崖っぷち。そのリリシャがいる部分がガラガラと崩れた。


「リリシャ!」


 伸ばされる手。ハラルリクムだった。アトネルが命令を出した時、ハラルリクムもすぐさま駆け付けようとしていたのだ。

 リリシャは手を伸ばす。が、届かない。もう足の下には何もなかった。宙に投げ出されたリリシャは絶望に身を縮める。今まで聞こえなかった轟々たる水音が、はるか下方から耳に届いた。

 時間が引き延ばされたような感覚の中で、リリシャは腕をつかまれた。目を上げればすぐそこにハラルリクムの顔。


「どうして……」

「わからん。体が勝手に動いた」


 共に落下しながら、相も変わらず太い笑みでハラルリクムは言った。


「貴方という人は……」


 馬鹿なことをと思う反面嬉しくて、リリシャは抱き締める腕に身を任せた。不思議ともう怖いとは思わなかった。


「リリシャ様! 若様あっ!」


 チェカナの悲鳴が遠くなる。リリシャは気を失った。




「若……ッ!」


 残されたアンサト家の一行も、チェカナも、愕然として動けずにいた。

 おそらくさっきペリネイが暴れたせいで、地面が不安定になっていたのだ。リリシャのいた場所が崩落し、手を伸ばしたハラルリクムは届かないと見るや彼女を追って飛び降りた。


「は……はは!」


 アトネルが笑い声を上げた。


「邪魔者は片付いた! 降伏しろ。この数に勝てると思うか?」


 無言のままアンサト家一同は崖下を覗き込むチェカナのそばに集まった。ウェスリドは眼下の峡谷をちらと見下ろすと、呆然としたままのチェカナを助け起こしスズルナに預ける。


「数、なあ……」


 ウェスリドは目を細めてアトネルを見た。


「その言葉そのまま返そう。元々数などどうでもいいがな」

「負け惜しみを……」


 その時、向こうの方からワイラ王国の兵士が慌てた様子で走ってきた。


「た、大変です! 多数の兵士がこちらに向かってきて……」

「何だと!?」


 アトネルのそばに残った者もいるが、ペリネイに怯えて逃げて行った者もいる。そいつらが叫びながら戻ってきた。


「もう駄目だ! 敵の増援が!」


 彼らを追い立てるように、槍を構えた兵士が何人も姿を見せる。ウェスリドは彼らの気配を察知していたのだ。


「新手だと!? くそ、脱出を……」


 言いかけたアトネルは、後ろ手に腕を固められ、首に剣を当てられて地面に突き倒された。いつの間にかウェスリドがアトネルの後ろに迫っていた。


「おい、答えろ馬鹿王子。ペリネイは一匹しかいなかったのか?」

「くっ、放せ!」


 腕を捻られ、アトネル王子は悲鳴を上げた。


「聞こえなかったのか? あいつは幼体だ。親はいなかったのか!?」

「……大きい方は、魔法具が効かなかった。だから……」


 ウェスリドは舌打ちし、力任せにアトネルを地面に叩きつけた。その鬼気迫る様子に周囲の兵士がひっと悲鳴を上げた。ウェスリドは気を失ったアトネル王子を引きずってワイラ側に続く方向を苦い顔で見つめた。

 モーサバー侯爵の紋章をつけた兵士たちに、ワイラ軍は投降していく。魔獣の暴威に晒され、さらに王子を捕らえられたワイラ軍は抵抗する気力を失っていた。


「リリシャ公女! アンサト家の方々! 御無事でいらっしゃいますか!」


 護衛らしい兵士を何人か連れ、目と口の大きい若者がやってくる。それを見てチェカナが駆け寄った。


「マトネル様あ……」

「君は、リリシャ公女の従者の?」


 直接の知り合いというわけではないが、チェカナはリリシャやシンクレアと親しいモーサバー侯爵の令息を知っていた。


「これは……」


 現場を見たマトネルは、あたりの惨状に絶句した。暴風が荒れ狂ったような破壊の跡。そこに倒れて動かない巨大な魔獣の亡骸。


「すまない、貴方が指揮官ですか?」

「そうだ。モーサバー侯爵の名代として軍を預かっている。嫡子のマトネルだ」

「コレが首謀者です。すぐに軍をまとめて下山を!」


 昏倒している王子をモーサバー侯爵家の武官に預け、ウェスリドは切迫した口調で言った。


「えっ? しかし……」

「早く! あいつの親が来るかも知れない! 今の我々では……」


 ウェスリドが言いかけた時、長く尾を引く遠吠えが響き渡った。

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