第14話 刀竜の名

 ワイラ王国。バーンイトーク王国の隣に位置し、建国以来常に”危険な隣人”として腹の探り合いをしてきた相手だ。

 バーンイトークは基本的に内政に努めてきたが、あちらはそうではなかった。

 ワイラの国土はあまり農耕向きではなく、気候的にも厳しい。そのため隙あらば豊かな土地を切り取ろうとしていた。あちらからすれば南部のバーンイトークは、魅力的な場所に違いない。

 とはいえ、両国の間には山脈が走っている。軍を展開するような場所はなく、今のところ矛先はバーンイトークとは逆側の小国たちに向かっていた。


「それがいつの間に……」


 シンクレアが何度も縁談の話を持ち掛けられていると言っていた。なんとか足掛かりを作ろうとしたが、果たせないまま王女の縁談が進められたから暴挙に出たのか。


「どっちにしてもここでやられたら終わりですよう!」

「相手が人間なら私とて後れを取る気はないぞ!」

「敵の数見て言ってください!」


 大量の矢が雨あられと降ってくる。大勢から一度に攻撃されれば辺境の民とて対処しきれない。リリシャもチェカナも、必死で飛んでくる矢を剣で払い飛ばす。ジムルスが片っ端から射手を狙って数を減らしていく。

 その間に槍兵がじりじりと距離を詰めてくるが、合流したハラルリクムとウェスリドが追い払った。

 ひと当てしてみて簡単には始末できないと思ったのか、互いに睨み合いの状態になった。


「貴様たち、ワイラ王国の者だな! ここはバーンイトーク王国の領土、何故国境を侵した!?」


 リリシャが怒鳴ると、人垣の一角に進み出た者がいる。


「その鎧……貴様たち、やはりバーンイトーク王国の調査隊だな!」

「……は?」


 怒鳴り返してきたのはワイラらしい浅黒い肌をした若い男だ。ワイラの紋の入った金色の鎧を身に着けている。装飾も多く、他の者に比べて明らかに豪奢できらびやか。指揮官で間違いない。その表情から驕慢な性格が見て取れる。


「どこから嗅ぎ付けたのだ! 貴様らのせいで手間暇かけた計画が台無しだ!」

「……何か勘違いをしているようだが、いずれにせよ捨て置くわけにはいかんな」


 リリシャの近衛の鎧は、見ればバーンイトーク王国の者だとすぐにわかる。こちらは偶然巻き込まれただけだが、あちらはそうは思っていない。魔獣を使って何やら企んでいたようだが、どうやらアンサト家一行は、意図せずその計画をぶち壊したようだ。


「リリシャ様、あいつら本当にワイラ王国なんですか?」


 チェカナが不意に割り込んだ。


「だって、隠れて入り込むのにあんな派手な恰好します?」

「チェカナ?」

「見つかったら戦争ですよ? なのにキンキラキンの紋章入りの鎧なんて、目立ちまくりでしょ」


 チェカナは当然と言えば当然の疑問を声を潜めることもなくぶち上げた。隠密行動をしている軍なのに、何故儀礼用まがいの派手さなのかと。それを聞いた金ぴかの男が顔を真っ赤にして怒鳴る。


「不敬だぞ女! 俺はワイラ王国第四王子アトネルだっ!」


 チェカナは上目遣いにリリシャを見る。リリシャは小さくため息をついた。


「まあ、確かにその名前には聞き覚えがある」


 仲の良いモーサバー侯爵の子息と一文字違い。でなければ四番目など覚えていなかっただろう。


「えー!? じゃあマジで戦争仕掛けに来たんですか!? 馬鹿じゃ……」

「黙れッ! この俺の覇業を妨げた罪、死をもって償え!」


 アトネル王子が手を振って合図する。

 鎧の一団がさっと下がると、木々をへし折りながら巨大な獣が姿を現した。

 黒い羽毛に覆われた四つ足の獣。羽毛を持つが鳥には見えず、翼もない。どちらかというと顔つきはトカゲに似ている。頭の位置は人が見上げる高さにあり、特徴的なのは、頭部と四肢それぞれに刃を生やしていることだ。頭は頭頂から前へ真っ直ぐに、手足は手首や足首に当たる部分の外側から上に向かって。


刀竜ペリネイ……」


 辺境組が呟いた名前に、何だか聞き覚えがあると思ったリリシャだが、彼らが揃って眉をひそめたのに気付く。


「若」

「あのサイズはまだ幼体だな。俺がやる」


 ハラルリクムが言い、家臣たちが頷いた。

 リリシャはまた部外者にはわからないネタがあるのかと若干期待したが、ぴりりとした雰囲気や真剣な様子を見れば真面目に強敵らしい。心配になって声をかける。


「ハラル殿」

「大丈夫だ。任せろ」


 笑うハラルリクムに、リリシャも小さく頷いて引き下がった。


「下がってください、リリシャ様!」


 前に出るハラルリクムとは逆に、ウェスリドがリリシャとチェカナの腕をつかんで後退した。心構えができているアンサト家一同もその場から距離を取る。

 ハラルリクムが向かってくるのを見て、ペリネイがぐるりと頭を回した。ハラルリクムは転がってそれを避けた。頭部の刀角があたりの木々をなぎ払う。滑らかな断面を見せて木が倒れていく。

 まるで草を刈ったように、その場が丸く切り開かれた。


「うはははは! そいつは魔獣の中でも特に危険な奴だ! 刃は岩も切断するし、剣も槍も通らぬわっ!」


 アトネルが高笑いをしている。リリシャが説明を求めるように辺境組を見ると、ウェスリドが言った。


「羽根のように見えますが、あれは鱗です。非常に硬く、簡単には傷をつけることができません」

「え……」

「我々の武器では歯が立たない。目か口の中を狙うしかありません」

「そんな!?」


 焦ったリリシャが振り向くと、血飛沫が舞った。悲鳴のようなどよめきが起きる。

 襲い掛かったペリネイの前足を、刃ごとハラルリクムが斬り飛ばしたのだ。

 ペリネイが叫び声をあげ、その鱗が逆立つ。

 笑っていたアトネル王子が硬直し、兵士たちは浮足立ってざわめいた。


「ですが、同じペリネイの刀角なら通用します」

「若の剣はペリネイの成竜のものなの」


 ウェスリドとスズルナの夫婦は笑みを浮かべた。ティテリーが補足する。


「成人の儀で討伐なさったのござる。ゆえに若のお名前には”刀竜ペリネイ”と」

「あっ!」


 聞き覚えがあったはずだ。ハラルリクムのミドルネームが”ペリネイ”だったのだ。


「じゃあ」

「油断はできないでしょうが、若なら大丈夫ですよ」


 ぱっとリリシャの表情が明るくなる。そういうことなら落ち着いて観戦できそうだ。

 最初上から攻撃していたペリネイは、いなされ、受けられるうちにどんどん体を低くしていた。頼りの鱗が防御の役に立たないことに気づいたのだ。

 自分よりはるかに小さな敵が、同等以上の力で襲ってくる。種として強者であったペリネイの、しかもまだ子供には経験も少なかった。どうしていいのかわからず、徐々に後退り始める。


「く……! おい、魔法具を寄越せっ!」


 アトネルがそばにいた武官の胸ぐらをつかみ、持っていた短杖ワンドを奪い取った。


「役立たずめ! 我が軍にはあれほどの被害を与えておいて、たかが男一人にそのざまだと!? ふざけるなッ!」


 アトネルは激怒した。

 こいつを見つけて魔法具の支配下に置くには苦労したのだ。多数の犠牲が出たがその価値はあると思っていた。それなのに何というざまだ。もう他に使える魔獣はいない。ここで敗北などあってはならない。

 アトネルが短杖の先をペリネイに向ける。キイン、と空気が張り詰めるような感じがして、ペリネイはびくりとした。


「後退は許さん! 叩き潰せ!」


 アトネルが怒鳴りつける。ペリネイは嫌がるそぶりを見せたが、アトネルはさらに短杖を突き付けるように近づいた。ペリネイは遠吠えのように悲鳴を上げると、狂ったように暴れ始めた。

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