第12話 守る者、守られる者

 ウェスリドとジムルスが偵察から戻り、一行は峡谷を見下ろす場所に陣取った。位置で言うとモーサバー侯爵領の北の端に近い場所だ。山を下ればもう王家の直轄地。街道に出れば王都までは一日か二日といったところか。アンサト家一行なら一日で走破するのではないだろうか。


「調査がなければ余裕だったか」


 リリシャは一人ごちる。まだ三日残っている。辺境を出る時には間に合うわけがないと思っていたが、もうここまできた。思えば最初から彼らは日限をプレッシャーには感じていなかった。


「陛下の方が辺境を正しく認識していたということだな」


 のほほんと玉座に座り、隙あらば執務をサボろうとする困った国王だと思っていたが、なんだかんだ一国を治める者。シンクレアの輿入れ先に、というのもアンサト家を評価しているからだろう。少なくとも何も見えていなかった自分よりはいい目をしている。


「リリシャ様あ、ぼーっとしないで手伝ってくださいよう」

「ああ、ごめんなさい」


 キャンプ地にはリリシャとチェカナの他、スズルナとハラルリクムの四人が待機している。スズルナは魔獣除けだの寄せだの、こんなところで使うとは思っていなかった薬香を作るのに忙しい。万一のために最大戦力であるハラルリクムを残し、他の三人があちこちに散っていた。

 そして戦力外のリリシャとチェカナの仕事は、回収された魔獣素材の下処理と保存食作りだった。

 アンサト家一行もさすがに腰を据えて魔獣と戦う用意はしてきていない。なので男たちが調査に出ている間、手すきのリリシャたちに準備を頼んだのである。とはいえ、専門の職人や工房があるわけでなし、どちらかといえばお客様待遇を嫌うリリシャに配慮した割り振りだ。

 リリシャやチェカナは元が何だったかわからない、ヒレのような皮を広げて乾かしておく。大型のハリネズミっぽい奴の死体から針毛を引っこ抜いて積み上げる。肉を適当に切り分けて燻製作り。簡単な仕事だが手伝えるだけましだ。


「お昼できたわよ」


 スズルナが皆を呼ぶ。薬を煮込むかたわら、違うものも作っていたようだ。


「いい匂い!」

「言っちゃなんだけど、食べきれないくらいあるからたくさん食べてね」

「わーい」


 チェカナが嬉しそうに肉にかぶりつく。タレのかかった串焼きは、香ばしく噛み応えもあり味も濃い。予定外だが肉はたくさん手に入ってしまった。


「倒せるのなら魔獣も美味しいのね……」

「全部が全部食べられるわけじゃないがな。だが辺境では牛よりも魔獣を食べる方が多いな」


 ハラルリクムはスズルナから串焼きを受け取ったが、周囲を警戒しているのか立ったままだ。


「……魔獣を食べていれば私でも強くなれるかしら」

「なれますよ」


 あっけらかんとしたスズルナの言葉にリリシャは目を丸くする。


「うちの亭主は、元はあちこち渡り歩いていた傭兵だったんです」

「え?」

「仕事にあぶれて辺境まで来たんですよ。生意気な口をきくから片手でのして上げましたわ」


 からからと笑うスズルナ。苦笑するハラルリクム。チェカナが目を輝かせる。


「うわー、やっぱスズさんお強いんですね」

「自衛くらいできないと討伐隊の薬師なんかやれません。うちの人、最初はそんなんで落ち込んだり戸惑ったりしてたんですけど」

「あー、二人とも。その先はただののろけになるからな?」

「聞きたい! あたし聞きたいですっ!」


 チェカナが身を乗り出し、スズルナはそちらに向き直った。ひそひそ話も交えながら、時にはきゃーっとかしましい悲鳴も上げながら盛り上がっている。

 ノリについていけないリリシャは軽く肩をすくめて串焼きに集中しようとした。


「ウェスリドがスズと並ぶまで、半年ほどかかったかな」


 はっとハラルリクムを見上げると目が合った。


「そちらの方が興味がありそうだった」

「はい。……何だかああいう女の子らしいことは苦手なのです……」

「そうなのか? リリシャ殿も姫君だろう?」

「私は……身近に守ってあげなきゃと思う子がいたので」


 美しく可憐な従姉妹をリリシャは思い浮かべた。世の男たちがこぞって奪い合う、庇護欲を掻き立てる愛らしい姫君。

 出会ったのはまだもっと幼い頃だ。だが一目見て、守ってあげないと折れてしまうと、そんな風に思った。

 姫君を守る騎士という配役は、リリシャの性格にも合っていたし苦にはならなかった。自身も楽しかったし後悔はない。

 ただ年頃になると、周囲の女官や令嬢たちと比べてことには気づいた。価値観のズレや興味の方向性の違い。騎士として生活したために女性目線は身につかなかったのだろう。

 結婚して子供を産み、夫に仕えて家を守る。そんな一生はつまらないと考えてしまう。


「リリシャ殿らしいな。貴殿に守られる者はきっと幸せだ。俺も見習わなければ」

「え……」


 ハラルリクムが目を伏せたのを見て、リリシャの胸がざわつく。


「努力はしているつもりだが、俺では及ばないこともある」


 それを聞いてリリシャの胸がまたちくりと痛む。

 辺境の生活は魔獣と切り離すことはできない。魔獣は今でも頻繁に現れて民を脅かす。無念に思うこともあったのだと想像できてしまった。

 リリシャは思わず立ち上がった。


「私は貴方に守られている辺境の民こそ幸せだと思う。貴方が及ばないと言うのなら、他の誰にも守れない」


 きっぱりと言い切ったリリシャにハラルリクムは目を丸くし、それから照れ臭そうに天を仰いだ。


「あー……その、ありがとう。こいつは参ったな……」


 リリシャは我に返って頬を赤らめた。


「すまない。つい差し出がましいことを」

「いや。リリシャ殿はやはり姫君なのだな」

「は? どういう……?」


 少し前から話を中断して見守っていたスズルナとチェカナは、互いに微妙な表情で見合った。


「リリシャ様……」

「若……」

「「串焼き片手じゃなければいい感じだったのに!」」


 小道具が残念過ぎると評を下した二人がため息をついていると、人の気配が近づいてきた。


「あ、ジム君。おかえりー!」


 戻ってきたのはジムルスだった。それに目ざとく気付いたチェカナが手を振る。


「ご苦労様。お昼あるからこっちにいらっしゃい」

「あっ、はい。でも先に報告が」

「何かあったのか?」


 ハラルリクムが訊ねると、ジムルスは緊張した様子で言った。


「フラリビスを発見しました」

「何っ!?」

「本当!?」


 ハラルリクムとスズルナ、二人ともが思わず声を上げる。


「大きさは?」

「少し小ぶりです。十二メートルくらいですね。北西にある岩棚の陰で眠っているのを見つけました。夜になったら動き出すかと」


 ハラルリクムはスズルナとジムルスを見、リリシャとチェカナを振り向く。


「七人ならいけるか。ウェスリドとティテリーが戻ってきたら行くぞ!」

「わかったわ!」

「了解です!」

「絶対に見逃すわけにはいかない」


 ハラルリクムが低い声で呟く。そのただならぬ様子に、リリシャもチェカナも息を呑んだ。

 辺境の三人は互いに視線を交わし、頷き合う。その様子はいつになく真剣で、リリシャは不安を抱いた。十二メートルもあってなお小ぶりだという魔獣。一体どれほど危険な相手なのだろうか。

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