第11話 山中行軍(3)

 この数日でリリシャは随分魔獣に詳しくなったと思う。

 リリシャが討伐したことがあるのは、狼に似たガウルフと巨大な鼠であるズムラットくらいのものだった。

 辺境で出会ったモグラっぽいのはタルピッド。巨大ムカデは、ミルパダと呼ばれていた。そしてすっかりお世話になったグルウェル。山に入ってから襲ってきた大口のあれはクルロルシというらしい。

 そして今目の前にいるのは、ティグテーラだとスズルナが教えてくれた。体長四メートルはあろうかという虎だ。もちろん目は赤いし、虎よりも耳は大きく長い。尻尾の先は鉤爪になっているし、縞模様でもなかった。一般的な動物の何に一番似ているかという話だ。

 番なのかそれが二匹。大きい方をハラルリクムが、小さい方をティテリーとジムルスが担当している。普通は逆なのだろうが、そういうことなのだろうと思う。

 ウェスリドは便乗して襲ってきた猿っぽい魔獣の群れを処理しており、リリシャもそっちを手伝っている。時折隠れて近づく猿が叩き落とされているのは、チェカナと二人で後方にいるスズルナが何かしているのだろう。今となってはスズルナ一人だけが戦えないなどとは到底思えなかった。


「うわあ。これ、皮剥いでいったら高値で売れそうですね」

「辺境領の館に、もっと大きいのが敷いてあるよ」

「えっ、あたし見てませんよ?」

「あはは。御館様の寝室だからね……」

「そ、それは無理」


 戦闘後、完全に観戦モードだったチェカナが、ジムルスと他愛ない話に興じている。


「チェカナ」

「あっ、はーい」


 リリシャが咎めるとチェカナは慌てて猿の死骸を拾いに行った。一体や二体ならまだしも、大量の魔獣の死体を放置していくのはよくないらしい。開けた場所に集め、特殊な薬剤を撒いて後始末をする。残留魔力を散らすのだそうだ。

 廃村で魔獣を集めて退治したあと、仮眠と休憩をとって半日進んで一泊。その後また少し進んだところでハラルリクムは再び魔物寄せの香を焚いた。今度は昼間だ。

 釣れたのは鼠や爬虫類が多かった。グルウェルの群れも混ざっていたが、野生のは可愛げがないとリリシャは思った。魔獣の凶暴さが前面に出ていて、食うか食われるかの二択しか感じられなかった。構ってちゃんのあの子が懐かしい。

 そして今日は朝一番に魔獣をおびき出してみた。結果が今のティグテーラと猿だ。


「どうも変だな」

「変ですね」

「変でござる」


 男たちが顔を見合わせて言う。


「弱くないですか?」

「弱いというか、弱っているのでは?」

「そもそもこのあたりに魔獣がこんなにいるはずはないでござる」

「ですね。大型種の形跡はないし、顔ぶれも何というか不自然です」

「どういうことです?」


 不審に思ったリリシャが訊ねると、ハラルリクムが言った。


「魔獣といっても、魔獣なりに自然界でのバランスというものがある。それぞれに習性があって、それに合わせて生活しているんだ。餌の好みもあれば住処にもこだわりがある。そういう営みが感じられない」

「猫だけがいて鼠はいない、そんな感じなんですよ」


 ウェスリドが補足した。


「もちろん異常発生とか変種が生まれることもありますが、例えばクルロルシなんかは、通常は湿地帯に住む奴らです」

「なのにこんな山の中にあれだけの数がいた。このティグテーラも、もっと高山で見ることが多い。それに鳥どもが少なすぎる」

「そういえば鳥系の魔獣がいませんね。昼間なら寄ってきそうなものですが」

「魔獣の構成がおかしい。無理矢理集められた感じだ」


 ハラルリクムが眉を寄せて考え込む。しばらくして彼は言った。


「少しこの辺を調べてみよう」

「えっ?」


 リリシャは驚いた。期日までに王都へ行かねばならないことはわかっているはずだ。元々余裕がなかった上に、魔獣の相手で結構な時間を無駄にしている。


「期日に遅れてしまったらどうするのですか!」

「平身低頭謝罪するしかないな」

「だって陛下のお召しなのですよ!?」


 リリシャが柳眉を逆立てると、ハラルリクムは苦笑した。


「使者であるリリシャ殿には迷惑をかけるかも知れんが、アンサト家の意義にかかわることゆえご容赦願いたい」

「意義……?」

「我がアンサト家の初代は、バーンイトーク王が国を建てる時、共に戦った家臣の一人だ。初代は魔境に対し国家の盾となるよう命じられ、辺境の地に置かれた。陛下は『困難は承知の上、アンサト家になら任せられる』と仰せられたのだという。以来、魔獣と戦い、民を守るのが我らの存在意義なのだ」


 リリシャはそれを聞いて目を見張った。


「だからここで魔獣を見過ごすことはできない。しかも何者かの意図を感じるとなれば、尚更な」


 彼らがそんな覚悟を持って戦っているとは知らなかった。長い平和で、王都と辺境の距離は遠ざかるばかりだったのだ。その平和が誰のお陰なのかすら忘れ去っていた。

 ハラルリクムは迷いのない顔で笑った。


「王女との縁談は名誉だが、そもそも本分を忘れては本末転倒。ほまれを受けるもおこがましいというものだ」

「ハラル殿……!」


 リリシャは騎士を名乗りながら考えの及ばなかった自分を恥じた。思わずハラルリクムの手を取り、声を張り上げる。


「貴家の心意気、感じ入った! 得心いくまでお調べなさるが良い! 期日に間に合わなくとも陛下へは私が取り成そう。アンサト家の名が損なわれるようなことは決してさせない!」

「頼もしいな、リリシャ殿。感謝するぞ」


 手を取り合い、背伸び気味にハラルリクムと見つめ合うリリシャに、チェカナが無言で生暖かい視線を向ける。アンサト家の家臣一同はそっとため息をついた。


「若……王女殿下との見合いを控えているのでほどほどに」

「突然何の話だ? 今はそんなことを言っている場合ではないだろう」

「はいはい。とりあえずベースキャンプになりそうな場所を探してきます」


 ウェスリドはジムルスに目配せをして偵察に向かわせる。スズルナがそっとウェスリドの袖を引いた。


「なんか、見合いの相手を激しく間違えてる気がしてきたわ」

「俺もだ」


 夫婦で囁き合った後、ウェスリドも手頃な場所に目星をつけるため走り去るのだった。





 モーサバー侯爵は、屋敷で執務に精を出していた。

 執務室にはマトネルもいる。先日の話のあと、マトネルも自らの立場や侯爵家の使命を自覚したらしく、熱心に父の仕事を手伝うようになっていた。芸術家肌で善良な息子は政治には向かないのではと思っていたが、期待以上の働きをしてくれている。

 やはり自慢の息子だ。

 親馬鹿を自覚しつつも、父は息子の恋の成就を願う。此度の一件が上手く収まれば、王に婚姻を願い出ることもできるかも知れない。いや、必ず成功させて実現してみせると侯爵は思う。


「閣下!」

「何事だ、騒々しい」


 ノックももどかしく執務室に飛び込んできた武官に、モーサバー侯爵は眉を寄せる。


「想定外の事態です! アンサト家一行が……」


 武官の報告を聞いてモーサバー侯爵とマトネルは顔色を失った。


「なんということだ!」

「それほどの魔獣が……!」


 武官は平伏して主の指示を待つ。これは自分の失態だ。もっと入念に調査させるべきだったのだ。見通しが甘かった。

 モーサバー侯爵は渋面で考え込み、しばらくの後に意を決して命じる。


「領軍を出せ」

「閣下!」

「いかな辺境の猛者とはいえたった五人。数には抗し切れまい」

「父上!」


 マトネルが声を上げた。


「僕が参ります。戦働きができるとは思いませんが、このままではシンクレア姫に合わせる顔がありません!」

「マトネル!」

「これでも侯爵家の嫡子。僕がいることで軍もスムーズに動けることもありましょう」


 モーサバー侯爵は息子の覚悟を見て取った。


「わかった。現場はお前に任せよう。儂は行かねばならぬところがある」


 侯爵親子は立ち上がった。


「では父上」

「うむ。武運を祈るぞ」

「お任せください」


 二人は屋敷を出てそれぞれ馬車に乗り込む。そして二台の馬車は互いに逆方向へと走り去って行った。

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