第10話 山中行軍(2)

 ざわざわと木々の梢が風に揺られて音を鳴らしていた。

 黒い影が闇の中から現れる。一、二、四、八……倍が倍になりどんどん数が膨れ上がる。


「こんな……ッ!」


 リリシャは驚愕と恐怖に慄く。チェカナはリリシャの後ろでその腕をつかんで声も出ない。


「釣れたわね……」


 リリシャの隣でスズルナがぽそりと呟いた。


「国内では魔獣はほぼ駆逐された……にしては多くない?」

「多すぎる! 何だこれは! こんなのどうやって……!」


 広場を取り囲む赤い目、目、目。

 廃村の中央に焚かれた大きな焚き火の明かりが届くその外側に、びっしりと狂暴な気配が満ちている。

 昼の襲撃のあと、一行は奥まった山中に見つけた廃村に腰を据えた。

 スズルナは回収した魔獣の内臓をすりつぶして鍋で煮込み、持参のハーブ類を混ぜ込んで何やら魔女めいた作業を始めた。男たちは朽ちた家屋や家具を叩き壊して広場の中央に積み上げる。

 リリシャとチェカナは比較的形を残していた石壁の倉庫を片付け、四方に魔獣除けの香を設置するように言われた。

 作業が一段落すると、ウェスリドとジムルスがスズルナの作った魔女薬っぽいものを受け取って出掛けて行き、ハラルリクムとティテリーは広場の周囲を片付けて広く場所を空けた。

 外回りの二人が戻ってくると、仮眠と食事。日が暮れてからは女性三人は倉庫に待機となり、男たちは焚き火のそばに集まった。ハラルリクムが焚き火に魔女薬の残りを放り込むと、独特の臭気があたりに漂い始める。


「スズさん、あれって?」

「魔獣寄せの香」

「ひえっ?」


 チェカナが聞いたことを後悔するような顔になる。スズルナはウインクして言った。


「辺境では普通にやってる方法だから大丈夫よ。ここは中央に近いし、若の手に負えないようなのはいないでしょう」


 スズルナは気楽な感じでそう言っていた。

 だが数は力だ。辺境の住人ほどの力を持たないリリシャたちでも、多数で魔獣を討伐するのだ。それを思えばいかなハラルリクムたちでも。


「……は?」


 彼らは敵が襲ってくるのを待ってはいなかった。各人平然と赤い目の海へ飛び込み、容赦なく白刃を振るっている。断末魔の声が響いているが、それはどう聞いても人のものではなかった。

 炎を映している赤い目が、どんどん消えて行く。


「えええええ……」


 無双、という単語がリリシャの頭に浮かぶ。いくらなんでもそれはないのではないだろうか。


「ちょ、リリシャ様! 凄いですよ皆さん!」


 さっきまで後ろで震えていたチェカナが、身を乗り出してはしゃいだ声を上げる。炎に照らされている部分以外はよく見えないが、昼間の大口の魔獣だけでなく、狼に似たタイプや、猿っぽいものも混じっているようだ。だがそれは、右に左に、上へ下へと閃く剣や槍に切り裂かれ、戦槌に打ち抜かれて沈んで行く。


「ウェスリドさん竜巻みたいっすね! あんなの見たことないです!」

「あら、ありがとう」


 チェカナの称賛に、スズルナが嬉しそうに応じる。二剣で舞い踊るウェスリドだけでなく、ジムルスは目にも止まらぬ刺突を繰り出しているし、ティテリーの打撃は魔獣を吹き飛ばしていた。


「スズ殿、ハラル殿は一体何者なのだ……?」


 リリシャは聞かずにはおれなかった。

 ハラルリクムはその身長ほどもある剣で、一振りごとに魔獣をまとめて斬り捨てていた。剣を振るごとにその一角が空き、後続が埋めればまた平らげられる。おかげでその動きは他の三人に比べてゆっくりに見えた。だがそんなはずはない。魔獣が素直に首を差し出しているはずがないのだ。

 まるで麦を刈るように赤い目が収穫されていくのを、リリシャは唖然としながら眺めていた。


「何者って……名実ともに辺境伯の跡取り、ですかしら」


 スズルナの答えに、リリシャは辺境で初めて彼を見た時のことを思い出した。巨大なムカデを包囲していた兵士があっさりと場を譲ったこと。見物していた農民たちがハラルリクムの登場と共に脱力したこと。

 

 そんなことをリリシャは思った。

 アンサト領の民は農民でさえ異常なほど強いが、やはり命の危険が隣にあることに変わりはない。無条件で安心できるはずがないのだ。実績があるから信用されているのだ。

 リリシャも、きっとハラルリクムなら何があってもシンクレアを守り切るだろうと思ってしまう。縁談に反対するつもりで来たのに、大丈夫だと思ってしまう。

 リリシャは首を振った。

 まだだ。まだ武力を認めただけだ。他にも見極めるべき点はいくらでもある。


「私も……手伝わせてもらっていいだろうか?」


 低い声でリリシャが訊ねると、スズルナは一瞬驚いた顔をして、それからハラルリクムに怒鳴った。


「若、リリシャ様が戦いたいって!」

「ティテリー、リリシャ殿を頼む」

「承った!」


 ハラルリクムのそばには行けない。身体能力も武器のリーチも違うし、隣にいても邪魔にしかならない。盾と戦槌で戦うティテリーなら、長剣を持つリリシャと上手くバランスを取れるだろう。

 それはわかっている。わかっているが何だか口惜しい。

 普段なら怖気づくほどの数の魔獣が、まだこちらの隙を狙っている。だがリリシャは丁度いいと思った。この訳の分からない鬱憤をぶつけられるなら大群上等だ。


「実戦経験を積ませてもらうぞ」


 赤い目に向かってリリシャは覇気を持って言い放った。

 ティテリーの助言を受けながら、リリシャは無心に剣を振るい続けた。気付けば空は白みかけており、生きている魔獣ももういなかった。


「お疲れ様」


 声に振り向けば、スズルナがこちらに手を振っていた。終わったのだとほっとすると、どっと疲れを感じる。ふと物足りなさを覚えてよく見れば、チェカナが倉庫の床で毛布に包まって熟睡していた。

 あの戦闘の只中で眠れる神経を褒めるべきか責めるべきか。リリシャは迷うことなく後者を選ぶ。


「馬鹿者ッ! 味方が戦っているというのに貴様と言う奴は!」

「ふえっ!? ……あ、終わったんですか、リリシャ様……」

「ちゃっちゃと起きろッ!」


 リリシャはチェカナの首根っこをひっつかんだ。だって起きていてもどうせ役に立たないというチェカナの弁明はまるっと無視する。そしてハラルリクムたちに休憩を勧め、チェカナには山になった死体の片付けを命じたのだった。


「あれを一人でとか無茶振り過ぎますぅ!」

「どうせ移動は担いでもらうのだろうが! 荷物になるなら精魂尽き果てるまで働けッ!」





「狩られた……? あの数をか!?」

「は……。信じがたいことですが」


 報告を持ってきた武官はなるべく主の機嫌を損ねないよう淡々と説明した。廃村に籠った旅の一行が、襲い来る魔獣を片っ端から屠ったこと。全滅したのは奴らではなく襲い掛かった魔獣の方であること。


「馬鹿な! 王国の騎士団でも壊走するはずだ! それをたかが七人程度で……」

「しかしながら奴らはまだ生き残っており……」

「黙れ!」


 武官は主に平伏する。主が怒り狂っているのがわかる。冷や汗が流れるが、自分に落ち度はないはず。相手が想定外だっただけだ。


「まだ準備した駒はあるはずだ。お前には魔法具を貸し与えただろう! もっと上手く使え、馬鹿者が!」

「は、はいっ!」

「よいか。次は必ず仕留めろ。万が一奴らが王都にたどり着くようなことがあれば……」

「もちろん、その前に片をつけます!」


 武官は再度平伏し、顔を伏せたままその場を辞した。

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