第9話 山中行軍(1)
アンサト家の一行が街道封鎖の話を聞いたのは、馬と馬車を調達しようとやってきた馬車屋でだった。
「なんでもタチの悪い盗賊が出て、それを一斉検挙するんだとか」
「おうおう、穏やかじゃないな」
「いやあ、もうちょっと遅かったら町から出てこれないところだったぜ」
荷馬車の整備に訪れた商人が、声高にそんな話をしている。すぐさまウェスリドやジムルスが何か所かに聞き込みに行き、ピナリア男爵領からモーサバー侯爵領へ入る道が通行止めになっていることが判明した。
「当てが外れたな」
「使者である私がいるのですから、入れてもらうことはできるのでは?」
「それでも足止めを食らうのは間違いないな」
すぐ納得してもらえればいいが、盗賊の取り締まりだ。何らかの疑念を持たれたら手間取るだろう。最悪王都へ確認するなどと言われたらどうしようもなくなる。
「侯爵やご子息とは顔見知りなのですが、二人とも王都にいるので……お役に立てず申し訳ありません」
「リリシャ殿のせいじゃない」
ハラルリクムはリリシャの頭を軽くぽんぽんと叩くと、ウェスリドに行程の見直しを命じ、残りの面子は買い出しに行った。
「どうするんですか?」
リリシャが尋ねると、ウェスリドは言った。
「走ります」
ハラルリクムも頷く。
「リリシャ様……」
「うん、わかってた」
悲壮な目で見てくるチェカナ。思わず平坦な声になるリリシャ。
街道が使えないなら街道以外を行くことになる。そして地形的に、この付近は北側から山脈が食い込んでいる位置だ。南の平原へ回り込んでいては到底間に合わない。
つまり、直線で王都へ向かって山を突っ切る。そういうことだろう。
「あの、ハラル殿……」
「大丈夫。女二人くらい担いで行ったって速度は落ちん」
「頼もしいお返事ありがとう」
リリシャはため息交じりにうなだれた。さすがにリリシャも山中をあの速度で走れと言われたら両手を上げるしかない。予定はさらに差し迫っているのだ。意地を通して足手まといになるのはもう許されない。
間もなく買い出し組が戻り、荷物を振り分けた後一行は町を出た。軽く走って町から離れる。もうこの時点で街道からは外れていた。
「しっかりつかまっていてくれ」
「は、はい」
リリシャとチェカナはそれぞれハラルリクムとジムルスの背嚢の上に寝そべるように乗っかる。肩の上から手を回してつかまり、足の方は馬役が腕で抱え込んだ。
「きつくなったら言ってくれ」
「向きを変えるなりできるからね」
二人の背嚢にはタオルや毛布などクッションになるものが詰められている。リリシャとチェカナは例によって最低限のものをベルトポーチに入れ、あとの荷物はお任せだ。
「じゃあ……」
一陣の砂煙を残して、七人の男女はみるみるその場から遠ざかって行った。
☆
「作戦の第一段階は上手くいったようだが……」
モーサバー侯爵家の武官は主から預けられた魔法具の地図を見て唸った。人間には直接魔力を扱うことはできない。魔力という摩訶不思議な力は魔獣のものであり、その素材を使った魔法具は大変に貴重なものであった。
幻影のように描かれた地図は常にその形を変えている。それは地図と紐付けられた
近くに控えた部下が眉を寄せて言う。
「しかし信じがたいですね」
「ああ。だが彼らがピナリア領の宿場町を出るのは確認したのだろう?」
「ええ。報告がきています」
「辺境の兵というのは噂に違わぬ化け物か」
武官は侯爵から命じられて以降、この地図を見るたびに自分の目を疑った。目印を常に中心に、その周囲を描く地図だ。それが騎馬で駆けているかのように変化していくのである。
宿場町を出た時は徒歩だったはず。だが到底人の足とは思えぬ速さで山岳地へ突入し、以後も速度はさほど落ちていなかった。
「これは仕掛ける場所を修正せねばならんな」
相手の進行速度が速すぎる。先手を取って部下を配置しなければ、策が不発に終わってしまう。
武官は兵を動かす手順の変更を指示し、タイミングを失した手勢は引き上げさせて新たな命令を与える。
「まずはお手並み拝見といこうか」
☆
リリシャは何とも言えない微妙な気持ちでハラルリクムに担がれていた。
斜面や段差をものともせず、木々の間を駆け抜けて行く。先を行くウェスリドが邪魔になりそうな下生えを切り払ってはいるものの、到底まともな道であるわけがない。だが存外と安定感と安心感があるのだ。
ハラルリクムは本当にリリシャを負担とは思っていないようだった。
最初のうち遠慮して小さくなって固まっていたリリシャだが、同じ体勢で何時間もはいられない。都度体勢を変えさせてもらった。バランスが変わるのを心配したが、ハラルリクムはびくともしなかった。食生活が理由とのことだが、身体が強化されているというのはなるほどと思える。
慣れてくると今度は、荷物と同じように扱われているのがどうにも恥ずかしくなってきた。一応姫なのだ。だが女性らしく扱って欲しいなどと言うのは余計に恥ずかしい。
それはつまり俗にいう”お姫様抱っこ”を要求するということだ。そんなことをされたことはさすがにないし、どう考えてもその体勢はハラルリクムに負担を強いることになる。
そうだ。陛下が十日しか猶予を与えなかったのが悪い。
リリシャは脳内で国王をなじる。往路は馬で急いでも半月かかったのだ。日程には準備の時間や猶予を考えるのが普通ではないか。時間の余裕さえあれば、迂回ルートを馬車で行ってもよかったのだ。
何もかも陛下が悪い。リリシャはそう思って一人頷いた。
「どうかしたか?」
「い、いえ」
すぐそばにある横顔からリリシャは目を逸らした。
「若」
「ああ」
不意に浮遊感を感じてリリシャは呆気にとられる。足側を押さえていた手を、ハラルリクムが放したのだ。一体どうなったのかわからないままに、リリシャはハラルリクムを見上げる形に抱え直されていた。
「えっ!?」
背中と膝裏に圧力を感じる。さっき考えたお姫様抱っこだ。何故心中を読まれたのかとリリシャは愕然とし、同時に羞恥で真っ赤になる。
「リリシャ殿」
「ひゃっ、ひゃい!」
リリシャがあたふたしているうちに、ハラルリクムは彼女を下へ降ろした。
「スズと一緒にいてくれ」
「え、ええ」
同じように降ろされたチェカナが寄ってくる。二人はスズルナのそばへ駆け寄った。
「一体?」
「んー、なんか様子がおかしいなと思ってはいたのだけど」
スズルナは眉をひそめて言った。リリシャもお姫様抱っこの衝撃から復帰していた。男たちは臨戦態勢だ。読心術かなんかでバレたわけではなく、異常事態を察知してリリシャを降ろしたのだ。
「来るぞ」
女三人を囲むように男たちが四方を睨んで武器を構える。
ガサガサと藪をかき分ける音がして、そこかしこからのっぺりとした頭部と長い手足を持つ、虫のようなトカゲのような生き物が飛び出してきた。
「シャアアアアッ!」
音か声かわかりづらい叫びを上げて、飛び掛かってきたそいつの頭部が開いた。最初から口だとはわかっていたが、それは腕が生えているあたりまで上下に分かれる。中にはびっしりと牙が並んでいた。人をたやすく丸飲みにできるサイズだ。
「魔獣!?」
赤い目の見たこともない生き物に、リリシャが息を呑む。
男たちは動じることもなく、それを迎撃した。ウェスリドは左右二剣で開いた上下の口を縦に切り落とし、ティテリーは戦槌で頭を粉砕。ジムルスは恐れげもなく短槍を口の中に突き通し、ハラルリクムはといえば開いた口をさらに切り裂いて魔獣を真っ二つにしていた。
さらに数匹が襲ってきたが、誰一人怪我をすることもなくあっさりと返り討ちにする。
「リリシャ殿」
「はい」
剣を収めたハラルリクムが訊ねた。
「国内には辺境を除けばほとんど魔獣はいないと聞いていたが、この程度は割といるのか?」
「いやっ、こんな魔獣は見たこともない! それに……」
あまりにも彼らが軽々と屠ったせいで、たいしたことがないように見えるが、おそらく騎士団が対応するとなれば複数人でかかるような相手なのではないか。今の群れなら何十人もが必要だ。しかも負傷者なしというわけにはいかないように思える。
リリシャがそう説明すると、ハラルリクムは少し考えてスズルナを見た。
「スズ、まとめて狩った方がよさそうだ」
「了解。準備するわね」
「俺とジムルスで適当な場所を探してきます」
「頼む」
手短に打ち合わせをすると、スズルナは今倒した魔獣の死体をひっくり返し、ウェスリドとジムルスはあっという間に森の中に消えて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます