第8話 白薔薇と蛙

 王宮の庭園を歩く男女の姿がある。王国の白薔薇、シンクレア王女とモーサバー侯爵の嫡子マトネルだった。


「リリシャは元気でいるかしら」

「公女のことだ、きっと大丈夫だよ」


 不安げなシンクレアにマトネルが笑みを見せる。


「そう、そうよね。行き先が行き先だから何だか心配になってしまって」

「辺境とはいうが、ちゃんと人が住む我が国の領土だ。魔獣がいるといっても、辺境から救援要請が来たことはないし、僕はむしろリリシャ公女が帰ってきたら、魔獣討伐の土産話を聞かされるんじゃないかと思っている」


 マトネルは冗談めかしてそう言った。シンクレアは胸の前で軽く手を叩く。


「まあっ。そういえば騎士団で討伐に行った時は、三日くらいそのことばかり……」

「だろう? 久しくそんな機会はなかったし、せっかく辺境まで行くのならと張り切りすぎてやしないか、僕はそちらの方が心配だ」

「うふっ、いやだわ。あの子っぽい」


 クスクスと笑うシンクレアの横顔を見て、マトネルはほっと胸を撫で下ろす。美女は憂い顔も様になるが、やはり彼女には笑っていて欲しいのだ。


「まったくもって、赤薔薇の君は昔から人の度肝を抜くのがお上手だから」

「デビュタントの時のことを仰ってるの?」

「ああ、あれは凄かった」


 マトネルはその時のことを思い出して苦笑する。

 王女と公女が同時に社交界でお披露目されるのだから、貴族の子弟は皆浮足立った。それまで王がどこにも出さなかった同い年の二人の姫。特に王の掌中の珠と噂のシンクレア姫。誰も彼もが彼女の知遇を得ようとしており、言い方は悪いが獲物を狙う猛獣のような目つきで待ち構えていた。

 そこへシンクレア姫をエスコートしてきたのがリリシャ公女だった。シンクレアは白とピンクの愛らしいドレス姿で。リリシャは赤と金の近衛の礼装で。そしてそのまま最初のダンスを姫君二人で踊ったのだ。


「午前中に近衛の入団試験を受けて、夜会には貴女のパートナーとして登場だもの。騎士団の知人も固まっていたな」


 現場にいた貴族の中には騎士団の関係者もいた。彼らの話によれば、彼女はリリシャという名だけを名乗って試験官に挑んだらしい。姓まで名乗ればすぐに王族に連なる者だとわかってしまうし、手心を加えられるかもしれないからだ。

 そしてリリシャは見事試験官を下し、近衛の入隊権利を得た。だから騎士団関係者は腕利きの新入りの存在は知っていたが、何者かまでは上層部以外はまだ把握していなかったのだ。


「わたしが知らない殿方は怖いって言ったら、じゃあこうしようって」

「素晴らしい守護騎士ぶりだった。貴女が怯えるような相手は一切近づけなかった」


 堂々とした軍服の公女にダンスを申し込む度胸のある貴公子はなく、花のような王女に辿り着くには彼女のガードをかいくぐらねばならなかった。


「僕は幸い公女のお眼鏡に叶って貴女と踊ることができたけどね」

「マトネル様は優しい方ですもの」


 無垢なシンクレアの笑顔が眩しくて、マトネルはさりげなく目を逸らした。シンクレアが荒々しい武張ったタイプが苦手なのは知っている。自分が武人とは程遠いことは承知しているが、男としてはなんとも複雑な気分だ。


「リリシャ公女なら、きっと貴女に一番良いように取り計らってくれるだろう」

「そうね。真っ直ぐな子だもの。でも」


 シンクレアは微笑んで、咲いている深紅の薔薇に手を伸ばした。


「わたしは臆病でずるい女なの。なのにリリシャはずっとわたしを守ってくれて……もうわたしのことはいいから、自分のことを考えてほしいわ」


 赤い花びらをそっと撫でながら言うシンクレアに、マトネルは返す言葉を失った。




 王宮を出て屋敷へ戻る途上、マトネルはシンクレアの言葉の意味を考え続けていた。

 もしや彼女は辺境へ嫁ぐ覚悟を決めたのではないか。自分がいればリリシャをずっと縛り付けることになる。そう考えているのではないか。

 そもそも王が言い出した縁談。本来なら異を唱えることなどできない。リリシャだからこそ王に強気の発言ができるのだ。

 王弟の忘れ形見。父の不名誉な死にざまを、自ら武威を示すことで振り払った剣姫。

 彼女ならきっとシンクレアを意に染まぬ結婚から守ってくれると思っていた。だがシンクレア自身が諦めてしまっていたら。

 ぐるぐると考えているうちに馬車は屋敷へ到着し、マトネルは玄関をくぐる。


「父上は?」

「執務室にいらっしゃいます」


 執事の返事に、マトネルは無意識に父の助言を求めてそちらへ向かった。執務室の扉をノックし、中へ入る。返事を待たずに入ってしまったのは、マトネルが平常心ではなかったせいだ。

 執務室には父はおらず、続き部屋の方から話し声が聞こえてきた。


「閣下。本当によろしいのですか?」

「無論。遠慮はいらぬ」

「しかし、リリシャ公女もご一緒なのでは」

「わかっておる。だが手を控える必要はない。あの方はご自分で身を守れるお方だ。リリシャ様を慮って攻めが甘くなっては意味がない」


 はっとしたマトネルは一体何の話かと耳をそばだてる。


「街道を封鎖し、アンサト辺境伯家の一行を山に追い込め。そこで――」

「父上!?」


 マトネルは思わず続き部屋のドアを開けて中へ飛び込んだ。

 父と、その前に控える武官が振り向く。


「一体どういうことですか? アンサト家一行に何をすると仰るのです!」


 マトネルが大きな目を見開いてモーサバー侯爵に詰め寄る。モーサバー侯爵は眉を寄せて難しい顔になった。


「聞いていたのか」

「お答えください! まさかよからぬことをお考えなのでは……」


 モーサバー侯爵は息子の肩に手を置き、じっと目を合わせた。


「すまぬ。そなたが儂ではなく奥に似ておれば」

「父上?」

「そうであれば、そなたもシンクレア姫に思いを告げることもできたであろうに」


 マトネルはぎくりとする。侯爵家という身分の高さから面と向かって言う者はいないが、薔薇の足下で鳴く蛙と陰口を叩かれていることくらいは知っている。

 誰もが美しく愛らしいと思う美貌のシンクレアと並ぶにはふさわしくない、麗しい貴公子とは到底言えない容姿であることは自覚していた。


「御存じだったのですか……」

「当たり前だ。我が子のことだぞ。お前には本当に済まぬことをした」


 その大きな目を伏せるモーサバー侯爵に、マトネルは唇を噛んだ。

 シンクレアは優しいし、リリシャも見た目で人を選ぶようなことはしなかった。だが、男らしい武勇もなく、凛々しくも美しくもないことはマトネルの引け目になっていた。せめて人並みでさえあればと思うが、父と揃って扁平な顔に大きすぎる目と口という、いささか人とはバランスの違う容貌に生まれてしまった。


「そんなことはっ……僕は父上を誇りに思っておりますっ!」

「ありがとう。お前こそ儂の自慢の息子だ」

「なればこそ、僕のために道を誤るようなことはお止めください!」


 マトネルは訴えた。国の重鎮である父が、何故武官と不穏な相談をしているのか。理由は今父が言ったことしか考えられなかった。

 王女の相手としておかしくない身分と年齢の男は限られる。王の可愛がりようから外国へ出すことも考えにくい。アンサト家の邪魔をし、見合い相手を排除すればマトネルにも目があるのだ。


「よく聞け、マトネル。こうなったらお前にも納得してもらわねばならん」


 それから父と子は互いを説得するため話し合いを始めた。それは丁度、大それた命令を下されて戸惑っていた武官を納得させることにもなった。

 数十分後。


「ではすぐ街道封鎖を手配いたします。現場の監視はお任せを!」

「うむ。頼むぞ。くれぐれも彼らに気取られぬようにな」

「父上、わかりました。卑怯な手段を講じるようでは、到底彼女の前に立てぬと思っておりましたが」

「そんなことはない。お前も理解しただろう。これもすべて……」

「「シンクレア姫のために!」」


 親子は力強く頷き合った。

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