第7話 女騎士の意地
軽快なリズムで荒野を駆け抜ける爽快感。本日も快晴なり、だ。
「筋がいいな、リリシャ殿」
「やられっぱなしではいられませんからね!」
「上手く手懐けたな。お見事だ」
「まだ油断も隙もありませんけどね」
速度を落として横に並んできたハラルリクムにリリシャは答える。今日のリリシャには並走しながら会話をする余裕があった。
件のグルウェルだが、機先を制することでリリシャが主導権を取ることに成功したのだ。じゃれついてくるのをいなすのに戦術も何もないが、とにかくグルウェルはリリシャの言うことを聞くようになった。
そのせいか騎乗についても楽になった。振り回されることもなく、時々横目で構って欲しそうに見てくるので撫でてやると喜ぶ。
自由に乗れるようになると、このスピードが楽しい。慣れてしまえばトカゲも可愛くなってきた。爬虫類など冷たいものだと思っていたが、意外と触り心地も悪くない。
「もう間もなく最後の休憩地だ。そこから先はピナリア男爵の領地になる。休憩中はそいつを可愛がってやってくれ」
「あ、はい」
リリシャはハラルリクムが何故わざわざそんなことを言うのかわかっていなかった。リリシャはすっかり失念していたのだ。グルウェルがどういう生き物なのかを。
「……せっかく仲良くなったのに」
「まあ、仕方ないですよね」
「お前がそんな冷たい奴だとは!」
「リリシャ様ひどい!」
ぐるぐるぐると喉を鳴らしてリリシャに頭を擦り付けるグルウェル。リリシャが首を抱いてやると前足の爪を立てないように器用に抱き返す。ただ頭をもぐもぐされるのだけは避けるリリシャを、アンサト家一同が微笑ましく眺めている。
「ほら、行きなさい」
リリシャが押しやるとグルウェルは二、三歩行って立ち止まり、振り返る。ぐるぅ、と小さく鳴いた。
リリシャが手を振ると、グルウェルは少し先で待っていた群れと合流して、振り向きながら駆け去って行った。
「あいつらなら大丈夫ですよ。勝手に館に帰りますから」
「馬と違って簡単には食われませんしね」
ジムルスの言葉尻に乗っかって、知った風な口をきくチェカナにイラッとする。
「自力で乗れもしないのに……」
「さあ、行きますよ。リリシャ様」
チェカナは元気に拳を掲げる。従者は主の呟きを聞いていなかった。
「すまないが、さすがに辺境の外には連れて行けないのでな」
「わかってます」
地平線にはもうグルウェルたちの姿は見えない。リリシャは後ろを向くのをやめて、進行方向に向き直った。
ハラルリクムが言うのは当然だ。辺境では珍しくないとしても、グルウェルは魔獣。リリシャ自身最初に見た時にはぎょっとしたのだ。騒ぎになることは間違いない。ピナリア領に乗り入れるわけにはいかなかった。
「最寄りの町まで徒歩になるが、そんなに遠くはない。急げばすぐに見えてくるだろう。そこで馬車を一台確保して馬を替えながら王都を目指す予定だ」
「なるほど。交代でずっと走らせるのですね。それなら間に合いそうだ」
リリシャは往路では辺境に入ってからも街道を三日がかりで来たことを思い出す。まだ出発して一日半。半分の時間で辺境を出たことになる。
「二人とも、疲れたら遠慮なく頼ってね」
スズルナが女神の微笑でそう言った。
「では、行くぞ、皆!」
「「「応ッ!」」」
ハラルリクムの号令がかかると同時に駆け出す辺境組。隊列はグルウェルがいた時と変わらない。ハラルリクムはもとより一番鈍重に見えるティテリーも、女のスズルナも当然のように荷物を担いだまま走って行く。
「えっ?」
「っ! 行くぞ、チェカナ!」
リリシャはチェカナの首根っこをひっつかんで慌てて後を追った。自分たちの荷物は私物と万一を睨んだ最低限の水や食料、傷薬の類だ。彼らに比べて明らかに負担は少ない。
「と、徒歩って言いませんでした!?」
「言った!」
「歩いてないですよね!?」
「言うな!」
置いて行かれるわけにはいかない。というか、彼らがリリシャたちを置いて行くことはあり得ない。つまり、ついて行けなければ足を引っ張ることになるのだ。
すでに色々と意地もプライドも砕け散ったリリシャだが、それでもまだ折れない気概は残っている。行けるところまででも食らいつく。王都の騎士は軟弱者だと思われるのは我慢ならない。
「負けるものかああっ!」
「何でそんな気合入れてるんですか!」
折れる気満々のチェカナの尻を叩きつつ、リリシャは隊列の維持に努めた。騎士団の訓練でも似たようなことはやるのだ。大丈夫。何とかなる。
何とかなる…………はずだ。
☆
何とかなったといえばなったが、結果で言えば微妙だった。
アンサト家一同は一定のペースで走り続け、その超人的な身体能力を見せつけた。
もちろんチェカナはあっさりと白旗を上げてジムルスの背中にいた。人一人背負って速度が落ちない。男たちの中で一番小柄なジムルスだが、見た目を裏切るタフさだった。辺境民おそるべし。
リリシャは頑張った。頑張って町が見えるところまでは粘った。だがそこから先は記憶がはっきりしない。
気づいたら運ばれていた。薄目を開けると刈り揃えられた茶色の襟足。ハラルリクムの背中にいるらしい。どうやらリリシャの担当は彼で固定されているようだ。多分リリシャの身分があるから、理由がなければ責任者が対応するということなのだろう。
もう辺りは暗い。明かりが灯りすれ違う人の姿もある。町の街路だった。
またやっちゃった。頭の隅で思う。意地になって、結局誰かの手を煩わせる。穴に入りたいと思うのはもう何度目か。
「ハラル殿」
「お? 起きたか」
「毎度毎度申し訳ない……」
「気にするな。むしろ俺は驚いている」
笑みを含んだ声でハラルリクムは言った。
「正直あそこまでついてこれるとは思っていなかった。最初から担いでいくのは織り込み済みだったんだ。どうやら辺境で長く暮らすと身体能力が格段に向上するらしくてな」
「何ですって!?」
「スズが言うには日常的に魔獣を食べるせいらしい。魔獣の魔力を取り込んでいるとかなんとか」
「た……食べる!? 魔獣を!?」
背中から降りるのも忘れて、逆にがしっとハラルリクムの肩に手をかけて、リリシャは問い返した。
「うむ。というかリリシャ殿も食べただろう?」
「え……」
「館の食事もそうだし、野営の獲物もそうだぞ」
「あっ、あの脂の乗った味の濃い肉がっ……?」
「美味かっただろ?」
リリシャはこくこくと頷いた。野趣あふれる旨味に、猪か何かかと思っていたのだ。
「というわけだから、気に病むことはない。羽を乗せているようなものだ」
「すまない。お言葉に甘えさせてもらう」
降ろしてもらおうかと思ったが、多分疲労でよろよろとしか歩けないだろう。結局肩を借りることになりそうだ。それなら諦めてこのままの方が気を使わせずに済む。
「リリシャ公女は王都でも名うての騎士と聞く。さぞ鍛錬を積まれたのだろう? 意志の強さも度胸も見せてもらった。未知への対応力もある。感服したぞ」
「……ひゃ、ひゃい」
リリシャは真っ赤になってハラルリクムの背に顔を伏せた。リリシャに投げかけられる褒め言葉は押しなべてその美貌を称えるものばかりだ。やれ薔薇だの星だの宝石だの、リリシャには何の実もない言葉。
騎士としての在り方を素直に認めてもらえたのは初めてだった。
「若……これからお見合いに行くんですよ?」
「ん? 当たり前だろう。何を言ってる」
横を歩いていたスズルナの指摘に、ハラルリクムは怪訝な顔を返す。スズルナはため息をついた。
「それより、早く宿を見つけないと……」
今そばにいるのはスズルナだけだ。他の面子は宿を探して町に散っているらしい。
「あっ、若ー! リリシャ様ー!」
通りかかった角を曲がったところで、チェカナがぶんぶんと手を振っていた。
「ここ、個室にお風呂つきですって!」
店の看板を見て、派手な外観を見てリリシャは首を傾げた。豪華に見えるが、見かけだけで何だか安っぽい。
「それはまた贅沢だが、一泊いくらなんだ?」
そちらへ行こうとするハラルリクムの腕をスズルナがつかんで止めた。
「若。ダメです!」
「何で?」
「言いにくいですけど、あれは連れ込み宿です!」
小声で囁かれてハラルリクムが出しかけた足を止めた。風呂がついているわけだ。さすが人妻。若殿も姫様も気づかないことを知っている。
うつむいていたリリシャが顔を上げた。その顔はさっきとは違う意味で赤く染まっている。
「チェカナ――ッ! この馬鹿者!! 私に恥をかかせるなッ!!」
「えっ? 何であたしそんな悪し様に言われなきゃならないんですかっ!?」
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