第6話 荒野にて(2)

 リズミカルに飛び跳ねる感覚。吹きすぎる気持ちのいい風。暖かく快適な場所にいることを感じながら、リリシャは揺られていた。


「若、もうすぐです」

「ああ、あそこか。じゃあ夕飯を探しに行かなければならんな」

「俺たちで行ってきますよ。若はスズと姫様たちを……」


 声が聞こえる。まだ意識がぼんやりしていて、起きたくない。


「……リリシャ様。リリシャ様!」


 呼ばれてリリシャはいやいや目を開ける。せっかく居心地のいい寝床にいるのに、と子供のような不満を感じながら。


「チェカナ……?」

「もう! いい加減正気に戻って下さい、リリシャ様!」

「正気って、なんでそんなこと言われなきゃならないの?」

「自分がどういう状態か理解してから言って下さい!」

「ええ……?」


 改めて周囲を見直してリリシャは跳ね起きた。旅の途中だ。ベッドで惰眠を貪っているわけがなかったのだ。


「ハ……ハラルリクム殿ッ……!」

「鞍の上ではそれほど疲れも取れなかっただろうが、ちゃんと眠れたか?」


 相変わらずこの若殿は緊張した風もなくそう言った。グルウェルに跨り、リリシャを胸の前に抱きかかえたままで。


「リリシャ様がぶっ倒れたから、ずっと若様が乗せて行ってくれたんですよ!」

「若のグルウェルが一番タフだし、あたしじゃいつまでも支えきれないもので……」


 チェカナが駄々っ子を叱るように言い、スズルナが申し訳なさそうに言った。


「ご、ご迷惑をおかけしました……」


 蚊の鳴くような声でリリシャは謝った。もはやどうしていいかわからない。あの妙に構ってくるグルウェルが、物語ではぼかして表現されるモノをリリシャに押し付けたところまでは覚えている。そのあと何かぷつんと切れたような気がする。


「コイツの走り方は少々癖があるのを失念していた。リリシャ殿は大丈夫そうに見えていたが、やはり疲れていたのだろう。ちっと暴れたしな」


 ハラルリクムは片手で軽々とリリシャを地面に降ろす。チェカナとスズルナが支えようとそばに寄った。別に問題なく立てる。ちょっと気分的にへたれているだけで。

 周囲を見回すと、石畳が敷かれて整備された広場だ。リリシャが起きる前にもうテントの設営はされていたようで、焚き火の準備もできていた。


「休憩所です。今日はここで一泊します。荒野にはこうして所々に安全なキャンプ地を作ってあるの」


 スズルナが説明した。広場の四隅には篝火台がしつらえられており、そこで魔獣除けの香を焚くのだという。


「飼い慣らされたグルウェルは、飼い主がいれば魔獣除けがあっても平気なんですよ。男どもが狩りに出てるうちに、水浴びしませんか?」

「それはありがたい!」


 荒野を走ってきて汗もかいたし埃っぽい。ちょっと思い出したくない記憶によれば、頬っぺたがどうなっているかも気になる。

 少し先に川があり、キャンプ地を整備する時に水浴びができる程度には水辺も整えてあるという。


「ありがたいが、魔獣が出たりはしないのだろうか?」

「番犬を連れて行けばいいんですよ。……若ー!」


 スズルナはグルウェルから鞍や手綱を外していたハラルリクムを呼んだ。怪訝な顔のリリシャとチェカナをうながして、水場へ案内する。


「あたしだけならともかく、お客様がいますからね」


 スズルナは川べりにハラルリクムを連れて行くと、布で目隠しをする。


「おい」

「山の中ならともかくこの辺なら問題ないでしょ」

「まあそうだが……」


 リリシャは当然の疑問を抱いた。


「あれで見張りになるのか?」

「取ってもいいんですか?」

「いや、それは困るが……」


 目隠しのまま仁王立ちするハラルリクムに、リリシャは複雑な目を向ける。


「リリシャ様、あんまりゆっくりもできないんですから」


 ちゃちゃっと自分の脱いだ服をまとめてチェカナが言った。スズルナは言わずもがな。リリシャも若干残るためらいを捨てて旅装を脱ぎ捨てた。

 水は少しひんやりしていたが、澄んで綺麗だった。

 向こう岸に何かの影を見てリリシャははっとするが、すぐにその影は藪の奥へと引っ込んだ。ちらとハラルリクムを見れば目隠しのままそちらを見ている。

 まさか気配だけで威圧を返しているのか?

 リリシャは驚くが、領都の門前で見た強者つわものぶりを思い出せば納得でもある。何となく安心して水に浸かった。

 スズルナが水桶を手に髪を洗うのを手伝ってくれる。リリシャが若干引け目を感じるほどの見事な肢体は女神の彫像のようだ。横でぱしゃぱしゃやっているチェカナを見て少し気を取り直す。気付いたらしいチェカナが恨めしそうな顔をしたが黙殺した。


「その、スズルナ殿は……」

「スズ、でよろしいですわ。親しい者はそう呼びますから」


 そう言えばハラルリクムもスズと呼んでいた。主と家臣にしては二人は気安く見える。あまり聞きたくないような気もするが、シンクレアが嫁ぐ可能性を思えば確認しておかねばならない。


「不躾だが、スズ殿はハラルリクム殿の……?」


 スズルナは一瞬きょとんとして、それから笑い出した。


「嫌だわ、若はこれからお見合いだというのに誤解させてしまいましたか。あたしはただの幼馴染。乳兄弟という奴ですわ。奥方様が亡くなってから、奥向きのことは任されておりますけども」

「リリシャ様。スズさんはウェスリドさんの奥様ですよ?」


 チェカナが突っ込んだ。


「は……? 何でお前が知ってるの!?」

「ジムルス君に聞きましたもん」


 あっけらかんと答えるチェカナに、リリシャはひどい敗北感を覚えた。リリシャがグルウェルの背中で悪戦苦闘している間に、チェカナは楽をしながらちゃっかり情報収集までしていたのだ。

 自分はといえば意地を張った挙句に醜態をさらす羽目になって、もう何度穴の奥底に埋まりたいと思ったか知れない。

 水浴びを終えてキャンプ地に戻ると、丁度男たちが獲物を持って帰ってきたところだった。下処理を済ませてきたらしく、人間用に良さそうな部位を確保した残りは、グルウェルたちの晩御飯になった。

 スズルナが料理をしている間に男たちも水浴びに行き、戻ってきたら夕食だ。


「夜番はどうするのですか?」

「いらない」


 尋ねたリリシャにハラルリクムはさらりと答えた。


「テントの周りでグルウェルが寝るから、何かあればあいつらが先に気付く。雑魚程度なら勝手におやつにするしな」


 そう言われてリリシャはクロキュータが襲ってきた時、グルウェルのリーダーが警告の声を上げたことを思い出した。

 テントは男性用に二つ、女性は一つを三人で使う。何かの時には辺境に慣れたスズルナがリリシャたちを守る。女性ならではの問題や相談にも都合が良い。

 皆がテントに引っ込んだ後、リリシャは焚き火のそばでぼうっとしていた。何だかんだ午後一杯鞍の上で寝ていたのだ。まだ眠気がこない。ハラルリクムの膝の上で抱えられていた事実は、棚の上にしまっておく。頭が沸騰するだけだからだ。

 そのハラルリクムはウェスリドと地図を広げて旅の相談をしている。街道を無視して最短で隣の領に出る予定らしい。

 夜の闇を背景に、焚き火に照らされる姿は二人とも妙に似合っていた。騎士団の遠征でも見る光景だが、頼もしさと安心感が違う。陰影のくっきりしたウェスリドは格好いいし、スズルナが惚れるのもわかる。

 そのウェスリドと並ぶハラルリクムは、泰然とした風格を滲ませていた。何というか、体格だけの話ではなく大きいのだ。どちらが主か間違えようもない。辺境の荒野なのに妙に穏やかな気分でいられるのは、ここに柱が存在しているからかもしれない。

 シンクレアはハラルリクムを気に入るのだろうか。

 考えていたリリシャははっと片手を上げる。手のひらにぽむっとぶつかってくる感触。


「食うな」


 何度もやられてたまるか。リリシャが横目で睨むと、グルウェルは不満げに鼻先を手に擦り付けた。ならばと口を開けようとするのを、リリシャが両手で押さえる。

 焚き火の向こうでそれを見ていた男二人が笑った。

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