第5話 荒野にて(1)

 なだらかな起伏のある荒野。時折小さな森や岩場、湖などを横目に見ながら一行は駆け抜けてきた。もちろん道などない。

 アンサト家の面々があまりにも当然のように荒野へ向かって走り出したので、リリシャもついていくしかなかった。

 先頭を行くのはハラルリクム。彼を乗せているのは他の皆が乗っているものよりも、二回りは大きい個体だ。顔も体つきも厳つい。聞けばこの群れのリーダーなのだそうだ。


「商人の馬車を襲ってきたんだよ。それでたまたま近くにいた若と僕たちで対応することになって……」


 ジムルスがチェカナに話しているのが漏れ聞こえてくる。いつの間にか随分仲良くなったようだ。

 グルウェルは馬鹿みたいに速いが、馬よりも上下動が激しい。走らせるのも一苦労だ。チェカナは早々にギブアップして、ジムルスの背中に張り付いていた。空になったグルウェルには荷物が移され、乗り手もいないのにちゃんと隊列について来ている。

 リリシャは意地になって鞍に跨っていた。いきなりぱくっとやられて驚きのあまり反応できなかった。決して恐怖で動けなかったわけではない。自分で自分にそう主張する。

 実際に甘噛みだったらしく、リリシャは怪我一つ負ってはいなかった。髪だって引きちぎられたわけでもなく、ベロベロとなめ回されただけだ。

 こんなふざけたトカゲに侮られてたまるか。乗りこなしてみせる。その一念でリリシャは鞍にしがみついていた。


「この子たち馬車を襲ったんですか?」

「この辺じゃ馬はただの獲物だからね」


 ムカデを怖がって逃げた馬はどうやら絶望的らしい。リリシャは黙祷を捧げる。往路では世話になったのだ。


「だから辺境ではグルウェルに乗ることが多いかな」


 魔獣とは討伐せねばならないものだと、リリシャは思っていた。だが辺境では、魔獣の素材が農具武器になっていたり、こうして魔獣そのものが身近で利用されている。

 きっとそうしなければこの地で生きて行くのは難しかったのだろう。同時に人間の逞しさを突き付けられた気分だ。


「百年か……」


 リリシャはひとりごちる。この地を任されたアンサト家は、リリシャには想像できないほどの苦難にぶち当たったはずだ。文字通り国家の盾となって魔獣を食い止め、それは今も続いている。辺境領がなければ、王国の安寧はなく、現在の発展もなかっただろう。

 国王が王女との縁談を言い出した理由も察せられる。百年の功に報いるべきだ。そういうことなのだろう。


「でも、さすがにシンクレアにはっ……!」


 自分の体験を従姉妹に置き換えてみる。駄目だ。気絶して倒れる姿しか思い浮かばない。下手したら心臓を止めてしまうかもしれない。

 やはり此度の縁談には反対。

 そう思った時、ハラルリクムのグルウェルが鋭い叫びを上げた。

 近くにあるブッシュから次々と野犬のような生物が飛び出してくる。飛び掛かってきた一頭を、ハラルリクムのグルウェルが蹴り飛ばした。そいつは転がって地面に赤い染みを作り、もう動く様子はない。


「ギェエエエエッ!」


 リーダーの声に他のグルウェルも威嚇の声を重ねる。犬っぽいのももちろん魔獣だった。クロキュータと呼ばれる、魔獣にしては小型だが群れを作るタイプだ。あちらもぎゃんぎゃんと脅すように吠え、こちらを包囲にかかった。


「角なしだと思ってなめられてますね」


 ウェスリドが言うのは、普通はクロキュータ程度がグルウェルを襲うことはないからだ。一頭でいるならともかくこちらも群れ。体格的にも実力的にもかなう相手ではない。

 だが、角がないということは、言ってしまえば敗者の証明だ。だから狩れると思われている。魔獣は基本好戦的なのでそのあたりの判断は甘い。


「まあ丁度いい。……お前ら、食い散らしてやれ!」


 ハラルリクムの号令がかかった瞬間、グルウェルたちは猛然とクロキュータに襲い掛かった。力強い脚部による蹴り、見た目を裏切らない強靭な咬合力での噛みつき。バランスを取るためにある長い尻尾も武器の一つだ。

 クロキュータは瞬く間に頭から踏みにじられ、腹を食い破られ、尻尾で跳ね飛ばされる。蹴散らすとはまさにこのこと。ものの数分で襲ってきたクロキュータは全滅した。

 が、リリシャ的には問題アリアリだった。

 戦闘挙動に入ったグルウェルについて行けなかったのだ。振り回され、走るだけとは比較にならない衝撃をいなすことができず、必死にしがみつくも結局鞍の上から吹っ飛んだ。


「きゃ――――ぁああ!?」


 宙に浮いた状態で見る空がやたらと青い。受け身を取る余裕があるといいな。とっさにそう思った直後、がしっと胴体を掴まれた。


「やー、すまんすまん。使者殿が一人で乗っていたのを忘れていた」


 頭の上から声がして、リリシャは顔を上げる。ハラルリクムだった。

 自分が一体どうなったのか左右を確認する。目の前にあるのは厳ついグルウェルの首。背中にはやたらと安定感のある背もたれがある。腰もがっちり固定されていて、落ちることはなさそうだ。

 ほっと安心してはっとして見直す。顔がぼんっと音を立てそうなほど熱くなるのがわかった。

 膝の上だ。ハラルリクムに背後から片腕で抱き締められている。そういう体勢だ。


「は……ハラルリクム殿っ!?」

「ん?」


 リリシャにここまで接近した男はかつてなかった。王家の姫であり近衛の騎士でもあるリリシャは、常に敬意と尊重をもって遇されていた。近づこうとする男たちは山ほどいたが、無遠慮に踏み込んでくるような気概のある者はいなかったのだ。


「お……降ろして、いただきたい……」

「わかった」


 気負う風もなくあっさりと、ハラルリクムはリリシャを地面に降ろし、自分も鞍から降りた。

 見れば皆同じようにグルウェルから降りている。自由になったグルウェルたちは、狩るつもりで狩られたクロキュータの死体をガツガツと食らっていた。


「ついでだから少し休憩するか」


 小腹を満たしているグルウェルたちを見ながら、各自適当に岩や倒木に腰を下ろす。

 スズルナが飲み物を持ってきてくれて、リリシャはそれを有難く受け取った。


「リリシャ様。疲れたら言ってくださいね。早駆けの途中で落馬したら大怪我だから」

「はい……」


 こうして一旦地上に降りると自分の消耗具合がよくわかる。朝から色々あって気力も体力もかなり削られているようだ。

 そうやってハーブティを飲みながらぼうっとしていたので、反応が遅れた。気付いた時には気配が近づき、べたりと顔に生温かいものが押し付けられていた。

 足元に落ちる、赤黒く、ピンクと白い筋が混じった物体。

 頬に手を当てると、べったりと赤いものがついてくる。恐る恐る視線を向ければ、牙と口を真っ赤に染めたグルウェルトカゲのどアップ。べろんとはみ出した舌も朱に濡れている。


「あらやだ。落っことしたお詫びのつもりかしら」


 横にいるスズルナの妙に落ち着いた声。


「持ってきたのが柔らかい内臓モツってあたり、子供扱いしてんじゃないですか?」

「保護対象だと思ってるのかね?」

「愛されてるな、使者殿」


 にこやかに笑うアンサト家一行。固まっているチェカナ。

 位置的にチェカナには絶対見えていたはずだ。どうして先に警告してくれなかったのか。使えない従者にもほどがある。


「ばかあああああ!!」


 リリシャはキレた。


「もうやだ! こんなのおおお!!」

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