第4話 辺境伯領(3)

 身だしなみを整え、人心地ついてからリリシャは辺境伯と面談した。

 アンサト家当主オゼクスは、頬に傷を持つ、強面という言葉がこよなく似合う偉丈夫だった。相対するだけで只者ではないと感じさせる。領主といっても間違いなく自ら兵を率いて前線に出るタイプだ。

 辺境伯は国王からの書状に目を通すと、離れて控えていた侍従を呼んだ。


「ハラルリクムを呼べ!」


 すぐさま人が走り、間もなく応接間に見覚えのある青年が入ってくる。


「お呼びですか、親父殿」

「ハラル。すぐに準備にかかれ。十日後に王宮にてお前とシンクレア王女の見合いの席が設けられる。必ず駆け付けよ!」

「は?」

「ありがたくも陛下がお前と姫の縁組をご提案くださったのだ。遅れようものなら重い咎めがあると心得よ!」

「かしこまりました!」


 ハラルリクムは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして頷いた。


「え……十日ですって?」


 リリシャは驚いて思わず声を上げた。十日で王都までというのは無茶な話だ。リリシャが辺境へ到着するのに半月かかっているのだ。猶予が短すぎる。


「書状にはそのようにある。わかっておるな、ハラル。不甲斐ない様を見せるでないぞ」

「はっ」


 ハラルリクムは一礼すると出て行った。旅の手配をするのだろう。


「リリシャ殿。慌ただしくて申し訳ないが、明日彼奴あやつと共に王都へ発っていただきたい。準備はこちらでするので、今宵はゆるりとなされよ」





「はあ……」


 ベッドの上で膝を抱えてチェカナはぐったりとうなだれた。疲れているはずなのにどうにも神経が昂って眠れない。

 隣のベッドを見れば驚くほどあっさりと夢の国へ旅立っていったリリシャがいる。

 どんよりとそれを眺めていると、外から何かの咆哮が聞こえてきた。


「うひっ」


 チェカナは吐きかけた息を呑んで枕を抱き締める。頼りの上官はぴくりともしない。窓の向こうからは何やら戦闘音らしきものが聞こえているのだが。


「リリシャ様、図太すぎますよぉ……」


 チェカナは恨めし気にリリシャの寝顔にため息をつく。

 昼間魔獣と相対して、巨大ムカデと衝突したというのに、この騒音の中平然と安眠を貪っている。羨ましい。

 眠らなければやばい。王都への帰還のリミットは十日だと聞いた。明日からは強行軍待ったなしだろう。上からは「絶対に姫様から離れるな」と言われているのだ。


「万一の時には盾になれってことですよねえ? 体を張って守れっつーことですよねえ?」


 身分やなんやかやを考えれば当然のことなのだが、できるかどうかはまた別。そもそもチェカナよりリリシャの方がはるかに強い。自分が守るなどおこがましいのだ。


「もしかしてこれ、防御の魔法具だったりするのかな」


 使者として向かうリリシャに同行する任務を命じられた時、渡されたペンダント。24時間必ず身に着けるように言われている。

 もしこのペンダントが何かそういうものであるなら、リリシャと共にチェカナも守ってくれるはずだ。直接リリシャに渡さなかったのは、きっと「そんなものは必要ない」と拒否されるからだろう。


「うう……とにかく寝よう」


 外ではまた遠くで何か違う吠え声と、怒号が響いている。

 チェカナは渡されたペンダントを握り締めてベッドに潜り込み、頭の上まで布団をかぶった。


「大丈夫、きっと大丈夫。うん。大丈夫に違いない」


 大丈夫、大丈夫と繰り返し唱えながら、チェカナはいつの間にか寝入っていた。


「いつまで寝ている! 起きろ、チェカナ!」

「……えっ? あれ? もう朝ですか?」


 リリシャに叩き起こされるまで熟睡していたのだから、彼女もまた自分で思うほど繊細な性格ではなかった。


「朝食を済ませたら出発することになる。期日に間に合うとは思えんが、我々が足を引っ張るわけにもいかん。一体どうするのか、お手並み拝見といったところだな」


 リリシャは短すぎる日程に、国王も多少は自分の奏上を聞き入れてくれたのかと思った。遅刻を口実に「やはり王女はやれん」と断る。だが無理難題をふっかけたことに対してはフォローし、努力を見せた分忠誠を称えるといった風に持っていくのかと。

 だが、その考えは少々甘すぎた。断る気なら最初から話を持っていかなければいいだけだ。使者を出した時点で王は本気なのである。

 そしてアンサト家一同は当然遅参する気など皆無であった。

 リリシャとチェカナが朝食を済ませ、館の玄関へと向かう。門前ではもう何人もが準備を進めており、開いた扉の前では辺境伯がその様子を眺めていた。


「おはよう、使者殿。昨夜はちゃんと眠れたようだな」

「おはようございます。お陰様でゆっくり休ませてもらいました」


 リリシャの返事を聞くと、辺境伯は声を上げて笑った。


「それはよかった。道中何かあれば遠慮なく愚息に申し付けてくだされ」

「お気遣い痛み入ります」

「使者殿。今のうちに供回りを紹介しておこう」


 門前にやってきたハラルリクムがリリシャに声をかけた。

 ハラルリクムに呼ばれて、背の高い精悍な男がやってくる。二十代後半から三十過ぎといったところか。その後ろにさらに二人がついてきた。


「ハラルリクム様の補佐をしているウェスリドと申します。どうぞお見知りおきを」

「僕はジムルスです」

「ティテリーでござる」


 ウェスリドに続いて軽装の斥候の少年が、盾を背負った岩のような男が挨拶してくる。


「近衛騎士のリリシャだ。こちらはチェカナ。王都までよろしく頼む」


 挨拶を返したあと、彼らの背後に引き出されてきた騎乗用動物を見てリリシャは固まる。


「どうかしたか?」

「い、いや。もしやそれは……」


 リリシャの引き攣った表情に、ハラルリクムは首を傾げた。


「ん? ああ、初めてか? こいつはグルウェルといってな。馬よりずっと速いぞ」


 楽し気に笑うハラルリクム。

 鞍を置かれ手綱をつけられたそれは、どう見ても爬虫類の一種だった。

 後ろ足が発達し、立ち上がった大型のトカゲ。前足は反対に小さく、ただ爪だけはしっかり凶悪なのがついている。ぞろりと生えた牙は明らかな肉食。そして目は真っ赤だ。


「これは、魔獣ではないのか……?」

「折ってあるから問題はないぞ」

「折る?」


 ハラルリクムは気軽にトカゲの頭をぽんぽんと叩き、一頭を連れてきて手綱をリリシャの手に渡した。


「え……」

「大丈夫ですよ、リリシャ様」


 肩に手を置かれて振り向くと、藍髪の美女がそこにいた。昨日リリシャたちを館へ案内してくれたスズルナだ。


「野生のものは頭に角があるんですけどね。それを叩き折ると、折った相手に服従するようになるんですよ。若が一緒ですからおいたもしませんわ」


 そう言うスズルナもバッグを乗せたグルウェルトカゲの手綱を引いていた。


「あたしもご一緒します。医療の心得があるので、不調を感じたらすぐに仰ってくださいね」


 見知った女性が同行するというのは大変ありがたい。が、リリシャはそれどころではなかった。ハラルリクムに渡されたグルウェルが、リリシャに顔を寄せてふんふんと匂いを嗅いできたのだ。

 自分よりも背の高い爬虫類、しかも赤い目にじっと見つめられて非常に心臓に悪い。周囲が何の反応もしないということはきっと問題はないのだろう。だが。

 この手の動物になめられてはならない。リリシャは負けじと睨み返した。

 不意にそいつがぱかっと口を開き、リリシャの頭をくわえた。


「リリシャ様ああっ!?」


 硬直するリリシャ。悲鳴を上げるチェカナ。目を丸くするアンサト領一同。


「ほう」


 もしゃもしゃとリリシャの髪を食んでいるグルウェルを、ハラルリクムが撫でてやる。


「初対面でこんなに懐かれるとは珍しい」

「なっ……なああああああ!!」


 涎まみれになったリリシャの髪を洗うために、出発は一時間遅れた。

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