第2話 辺境伯領(1)

 街道を行く騎馬が二頭。

 周辺は一面の平原。畑があり、放牧されている牛の姿もある。


「リリシャ様、もうすぐ見えてくるはずですよ。領都の門」

「そう。さすがに遠かったわね」


 王都を発って半月余り。馬を飛ばしてやってきた。


「意外と普通ですねえ」


 リリシャの従者として同行してきた女騎士チェカナが、草を食む牛を見ながら言う。


「ええ。私も思ったわ。魔獣防衛の最前線って聞いていたから、何だかこう、もっと殺伐とした感じの荒んだ場所を想像していたのだけど」


 中央で魔獣の姿を見ることはほとんどない。たまに鼠や狼に似たタイプのものが発見され、騎士団が派遣されて討伐する。

 リリシャもそういった討伐に赴いて魔獣と戦ったことがある。魔獣は例外なく瞳のない赤い目をしていて、大体は人よりも大きく凶暴で力も強かった。魔獣一匹で十数名の被害が出たこともある。

 訓練された兵士でも、複数でかからねば犠牲者が出かねない。そういう危険な相手だった。

 だから魔獣の出現頻度が高い辺境は、もっと追い詰められていると思っていた。来る前に報告書を見たが、出現数も討伐数も桁が違うのだ。しかも中央にはいない大型種ばかり。

 倒しても倒しても次が現れ、どんどん人が死んでいく。そんな荒れ果てた貧しい土地をイメージしていたのである。


「なんかのんびりしてるわね」


 畑で作業していた農夫はリリシャと目が合うと、にっこりと笑顔で手を振った。警戒する様子もない。


「百年の実績って、こういうことなのかしら」


 少なくとも民間人の住む地域には魔獣の侵入を許していない。きちんと守られているということなのかもしれない。

 雰囲気は悪くない。このゆったりとした感じは、おっとりとしたシンクレアと合いそうだ。

 ひとまず領地の雰囲気は問題ないか……とリリシャが思った途端、馬が驚いたように足を踏み鳴らした。


「っ!?」


 地面が畝のように盛り上がり、一直線に先ほどの農夫に向かって進んで行く。


「ちょっとあなた……!」


 何だか嫌な感じがしてリリシャは警告の声を上げた。農夫もすでに気付いていたらしい。横の柵に立てかけてあった農業用フォークを手に取り、身構える。

 そこからがリリシャの想像を越えていた。

 農夫はフォークを両手で構え、盛り上がった土の先頭に素早く突き刺したのだ。


「キュ――――ン!」


 鳴き声だけは可愛らしく、土の中から飛び出したのは2メートルほどもあるモグラだった。


「魔獣!?」


 赤い目を見てリリシャは馬から飛び降りた。剣を抜き放ち、農夫のもとへ駆け寄る。


「下がって! ここは私が……」

「んや、騎士様のお手を煩わせるようなことじゃねえっす」

「えっ?」


 糸目の農夫は笑顔でフォークをモグラに向けた。やたらと堂に入っているその姿は、歴戦の槍兵のようだ。


「こいつら、ほっとくと作物を食い荒らしちまうから、さっさと始末しないと!」


 再び地中に潜ったモグラ。地面にひび割れが入り、下で何かが動いていることがわかる。軌道からするに農夫の周りをぐるぐると回り、隙を伺っているようだった。

 リリシャは使い慣れた剣を見て唇を噛む。スタンダードな長剣では、いくら質が良くても相手が地上に出てくるまで手の出しようがない。

 足元の軌道を見定めていた農夫が、鋭い気合と共にフォークを地中へ繰り出す。その直後、モグラの体が土を巻き上げて跳ね上がった。頭はフォークに押さえ込まれていて、動けないのだ。

 リリシャはチャンスとばかりにモグラに剣を振り下ろした。モグラは斜めに体を切り裂かれ、キュウ、と小さく鳴いて大人しくなる。


「大丈夫か!?」


 青ざめたリリシャが声をかけたが、農夫はじっとモグラの死体を検分してため息をつく。


「あちゃあ……毛皮が台無しだ」

「ええっ?」


 魔獣を倒してそんな反応が返ってくるとは思わなかった。確かに背中から腹にかけてざっくりやってしまったから、剥ぐとなれば半端なサイズになってしまう。

 呆然とするリリシャを見て、農夫はああ、と頷いた。


「騎士様、他所の人だか? それなら仕方ないだ」

「は、はあ。何かその、すまなかった」

「いやいや、とんでもない。他所の人は大抵逃げちまうから、手を貸してくれただけ凄えだよ」


 にへらっと笑う農夫の視線の先には、小屋の陰に張り付いているチェカナの姿があった。


「……重ね重ね申し訳ない」


 民を守るべき騎士が何というざまだ、とリリシャはあとで説教と訓練を課すことを決める。


「私は王都から来たのだが、少し話を聞かせてもらっていいだろうか?」

「コイツの後始末をせねばなんねえから、作業しながらでもええだろうか?」

「ああ、構わない。しかし見事な動きだった。あなたは辺境領の兵士か?」


 開拓地でよくある屯田兵というのを思い出してリリシャは聞いた。農夫はモグラを吊るしながら首を振る。


「んや? おらはただの農夫だべ」

「冗談は……」

「おとんも爺さんも農夫だべや」

「だが、そいつは魔獣だろう!?」


 リリシャはぷらーんと逆さまに吊られたモグラを指して言う。農夫は首を傾げた。


「こんなんただの害獣だべ? 魔獣っつーのは、兵士の皆さんが何人もでかからにゃ倒せん相手だ」


 リリシャは詰まった。常識が合っているようで合っていない。齟齬を感じる。


「私の知る知識では、赤い目をしているものは全部魔獣なのだが……」

「この辺は家畜以外みんなそうだべ?」


 リリシャは絶句した。


「その……そいつのようなモグラは、よく見かけるのだろうか?」

「しょっちゅう出るべ。隙あらば畑を狙ってくるから、たまに近所で大掛かりに狩ることもあるだよ」

「さっき皮を剥ぐようなことを……」

「ああ、もう気にせんでくだせえ。こいつの価値はこれで、皮はオマケだで」


 農夫はモグラの手を持ち上げて見せた。そこには太く鋭い爪が生えている。農夫が並べて見せたフォークの先と同じものだった。


「鉄じゃ折れちまうんで、こいつじゃないと!」

「そ、そうか。ありがとう。よくわかった」


 呆然としながらも、リリシャは礼と詫びを兼ねて農夫に銀貨を握らせ、チェカナを連れて移動を再開した。


「リ、リリシャ様」

「周囲を警戒しろ」

「でも、もしまたアレが出たら……」

「気合で何とかしろ!」


 リリシャは屈辱に身を震わせる。モグラ相手では剣は分が悪い。地中に突っ込んでも農夫の言うように折るのがオチだ。長さ的に届くかどうかも怪しい。

 農夫のフォークは農作業具であると同時に武器だ。魔獣が出たら、即座に対応できるようにあつらえられている。農夫の態度からするに、すでにそれが日常。

 あのモグラはリリシャの知る鼠型魔獣よりも大きい。その上に地中を進む能力がある。あの爪。明らかに鼠なんかより殺傷力は高い。農夫が常に先手を取っていただけの話。

 そもそも農夫がどうして平然と魔獣を相手にしているのだ。正直リリシャには、あのモグラと戦って無傷で勝利する自信はない。


「一体どうなっているの、この領は……」


 のどかに見えた景色が、にわかに違う色で塗り潰されて行く。

 領都を囲む城壁が見えてきて、リリシャとチェカナはほっと胸を撫で下ろした。さすがに中は安全だろう。

 だがそこで、人間より鋭敏な感覚を持つ馬がぶひひんと鳴いた。向かう先、前方から人が走ってくる。子供を抱えた農婦だ。


「魔獣が出た! ミルパダだよ!」


 叫びながら農婦は走る。それを聞いて街道沿いの農民たちがフォークや鍬を手に集まってきた。

 農婦が逃げてきた方角から、空気を軋ませるような雄叫びが聞こえた。棹立ちになる馬をリリシャは必死に抑える。チェカナの方は振り落とされ、馬は一目散にどこかへ逃げて行った。

 金属を大きな樽に入れてかき回すような音がする。間もなく二度目の雄叫びが聞こえ、それに合わせて大きく体を持ち上げた魔獣の姿が見えた。


「なっ……」


 それは城壁の高さに匹敵するような巨大なムカデだった。多くの節を持ち、それに倍する足が左右でわしゃわしゃとうごめいている。頭部には触角と複数の牙を持つ口。あんなものに食いつかれたら、人間の胴など容易く食い千切られるだろう。

 城門から兵士が駆けつけ、ムカデを取り囲む。だがその姿は、あまりにも小さく見えた。


「何が辺境だ……」


 リリシャは叫んだ。


「ここが魔境ではないか!!」

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