姫騎士と行くお見合い道中

踊堂 柑

第1話 王女の縁談

「はあ……」


 バーンイトーク王国、王宮の中庭。咲き乱れる花に囲まれた四阿あずまやでため息をついたのは、咲き初めの薔薇のような美少女だった。ふわりとした黄金の髪、華奢な手足。薄紅色の唇。整った容貌は美しく愛らしく、おっとりとした風情は見る者の庇護欲を掻き立てる。


「どうしたの、シンクレア。ため息なんかついて」

「あ……」


 顔を上げたシンクレアは微笑みながら近づいてくる女騎士を見た。幼馴染で親友。引っ込み思案で大人しい彼女にとって、最も近しく頼りになる相手。

 少しためらったあと、彼女は思い切って口を開いた。


「今朝、お父様から縁談の話を聞いたの」


 彼女のお父様、すなわちそれはバーンイトークの国王のことだ。


「縁談ですって?」


 女騎士は秀麗な眉をひそめた。

 うつむく姫君とは対照的に、姿勢よく凛とした立ち姿。真っ直ぐな長い黒髪も、強い光をたたえた紫水晶の瞳も、彼女の気性を現している。こちらもまた十人が見て十人ともが美しいと言うだろう美貌の主だ。


「相手はアンサト家の嫡男で、とても勇猛な方だそうなの」

「アンサト家? ……辺境伯じゃないの!」


 姫は不安そうな顔で頷いた。辺境という名が示す通り、アンサト家があるのは王都からは遠く離れた異郷の地。しかも魔獣が跋扈ばっこする魔境に近い国内随一の危険地帯だった。


「もう百年も魔獣を退け続けている実績もあるし、問題はないと仰られて」

「馬鹿を言わないで! こんなか弱い娘をあんな危ないところに嫁入りさせるなんて……」

「でも、リリシャ……隣国からもしつこく申し込みがあって、断るのが大変だって。お父様もお困りなのよ」


 隣のワイラ王国の王は野心家で、そんなところへ縁づけばいいように利用されることは目に見えていた。王が断るのは当然だ。


「だからって辺境じゃなくてもいいだろう!」

「でもお父様がお決めになったことですもの」


 リリシャはシンクレアの肩に手を置く。うつむきがちな顔を覗き込み、柔らかい口調で尋ねた。


「本当はどうなの? 遠慮なく言ってごらんなさい」

「……私は、やっぱり怖いわ。辺境だなんて」

「わかった。私から陛下に申し上げるわ。任せて」


 安心させるように姫君の肩を叩いた女騎士は、人の気配にはっと口をつぐむ。


「やあ、シンクレア姫。リリシャ公女。ご機嫌麗しゅう」

「マトネル様」


 シンクレアは相手を見てほっとしたように笑みを浮かべた。かがんでいたリリシャも立ち上がり、会釈を返す。

 近づいてきたのは貴族然とした洒落た衣装の若者だった。上下に平たい顔と、大きな……やや大きすぎる目と口がカエルを連想させる。

 マトネルはモーサバー侯爵の長子だ。大貴族の跡継ぎであり、二人ともそれなりに親しい。どちらかというと芸術家肌で、大人しい性格のシンクレアとは趣味が合う。

 四阿の手前で立ち止まったマトネルは、優雅に一礼した。


「あちらのサロンで音楽家を呼んで演奏会をするのだが、お二人ともどうだい? 王国の白薔薇と赤薔薇がお揃いでいらっしゃるなら、皆喜ぶ」


 シンクレアは国王の娘、リリシャは王弟の娘、つまり従姉妹同士だ。王弟が早逝したため、リリシャは王宮に引き取られて姉妹のように育った。タイプこそ違うが、年頃になった今、二人は甲乙つけがたい美姫として知られていた。

 見上げてくるシンクレアの背を、リリシャは軽く押した。


「行ってらっしゃい。私は陛下と話してくるから」


 シンクレアは申し訳なさそうにしながら、マトネルにエスコートされて庭園を出て行った。二人と別れたリリシャは遊戯室へ向かう。この時間、王は政務を抜け出して一服しているに違いないのだ。

 廊下を進み真っ直ぐ目当ての部屋へ。ノックもせずリリシャはドアを開けて遊戯室へ入った。


「陛下!」


 先制の一声を放つ。

 室内にはチェスの駒を持ったまま硬直している王冠を被った男性。対面ではマトネルによく似たカエル顔のモーサバー侯爵が同様に目を見開いていた。

 我に返ったのはモーサバー侯爵の方が早かった。


「こ、これは姫……」

「あなたも陛下に付き合わされてご苦労ですね、侯爵。少々陛下に話があるので、仕事に戻られて結構ですよ」


 リリシャの怒りを察知したのか、モーサバー侯爵はそそくさと遊戯室を出て行く。


「あっ、待てモーサバー!」

「失礼ながら陛下。急を要する案件がございますので、これにて」


 貴族に空気を読む力は必須だ。誰に従うべきなのか大貴族には自明の理だったらしい。

 モーサバー侯爵を見送って、リリシャはドアを閉めた。


「早速ですが陛下」

「ち、父と呼んでくれて良いのだぞ?」

「私は近衛の騎士ですので」

「二人きりの時にそんな寂しいことを」

「縁談の話があるそうですね」


 ぎくぅ、と喉で空気が震えるほどに王は肩を縮めた。


「何故……」

「それはこちらが聞きたいのですが!」


 リリシャは反論を許さず一気にまくし立てた。


「何故シンクレアをあんなところへ嫁がせようなどと考えたのです! あの子は繊細で体だってあまり丈夫ではないのですよ! アンサト辺境伯領といえば、魔獣がはびこる魔境のすぐ隣ではありませんか! そんな危ないところに臆病なあの子をやるなんて!」


 王は目を丸くしたままリリシャの怒声を浴び続けた。気の強いこの娘は、途中でさえぎろうとすれば余計にヒートアップする。よく知る身内だからこその沈黙であった。奔流が止まったところで、事情を察した王は口を開く。


「ええと……姫よ?」

「私は断固反対です!」

「そなたも知っておるだろうが、アンサト家はこの百年、魔境からの侵攻をことごとく撃退した剛の者だ。娘を預けるに足ると儂は思っておるのだがな?」

「万一があったらどうするのです! 言っては何ですが、辺境伯の武勇とやらも噂だけで、その目で見たわけではないのでしょう!」


 魔境というのは、バーンイトーク王国の西端にある森林と山岳を含む一帯のことだ。そこには多数の魔獣が生息しており、足を踏み入れれば二度と帰っては来れないと言われていた。

 世界には普通の獣と違い、魔力を得て怪物のようになった魔獣と呼ばれる脅威が存在する。人類はそれらと戦いながら土地を勝ち取り、国を築いてきた。

 この百年で国内の魔獣は狩り尽くされ、被害はほぼなくなった。が、辺境はそうではない。魔境と隣接する辺境伯領は、依然として魔獣の脅威と戦っていた。餌を求めて領域を広げようとする魔獣を押しとどめる最前線なのだ。


「ふむ……」


 王は眉を寄せ、厳しい顔のリリシャを眺めて考え込んだ。やがていいことを思いついたとばかりに、ぽんと膝を叩く。


「ならばお前が直接見定めて来い!」

「えっ?」


 王はニヤリと笑った。持ったままだったクイーンの駒でリリシャを指す。


「縁談を進める前に、顔合わせのため当人を王宮へ呼び寄せることになっておる。お前を呼び出しの使者に任命しよう。辺境伯が嫡男、ハラルリクム・ペリネイ・アンサトという男。シンクレアの夫としてふさわしいか否か、お前自身で確かめるのだ。それなら文句はなかろう」


 しばし王と睨み合って、リリシャは息を吐き出した。


「……わかりました。辺境のゆうとやらが本物か、見極めてやりましょう。そのかわり!」


 リリシャはキッと王を見据えた。


「私が不適格と判断したら、破談にしてもらいます」

「ちゃんとした理由があれば聞こう。儂とて娘を不幸にしたくはない」

「その言葉、お忘れにならぬよう」


 リリシャは一礼してドアへと向かう。その背中に王はため息をついた。


「まったく。そんなだから男が寄り付かんのだ」


 ドアノブに手を伸ばしかけたリリシャは、それを聞いて立ち止まる。振り向いた時、ポニーテールの先が声を跳ねのけるように揺れた。


「私、自分より弱い男に興味はないので」

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