第4章 神話の戦い

第28話 イレギュラー1

 どこまでも、どこまでも真っ直ぐな地平線が広がる純白の世界。

 そこに、彫像のように美しい人たちがいた。 


『使徒に欠陥があったようだな』

ことわりが特異点に伝わった』

『その程度どうという事はない』

『奴らは所詮駒に過ぎない、盤上でどう動こうと、それは盤上の出来事に過ぎない』


 ここは、世界の外側。

 管理者のみが立ち入る事を許された次元の狭間だ。

 彼らはそこから現世の成り行きについて、ただただ見守り続けていた。

 そうして、独り言のような会話を続ける彼らを、ひとりはなれて見守る影があった。


(あの子は処理されちゃったか)


 それは、アレックスたちの前に現れた使徒と瓜二つな容姿をした女性だった。

 使徒との違いは、背中に生えた1対の羽だけ。


 彼女の名はユーガクスィーラ。

 最も新しき神にして、特異点を監視する使徒のひな型となった神であり、それを統括する役割を担っていた。


『ユーガクスィーラよ』


 そんな彼女の名を呼ぶ声があった。

 それは6対の羽を持つ男神にして、叡智えいちと時空を司る神、そして何より、アレックスたちの前に姿を現し、使徒を始末した神だった。


『何の用かな、ミルドヴァーシタ』


 ユーガクスィーラは物憂げな口調でそう言った。


『其方は何故、あの端末を野放しにした?』

『ああ、そんな事かい』


 ユーガクスィーラは、大仰に驚いた振りをしながらこう言った。


『僕が司るのは、変化と可能性だ。我が子の成長を喜ばない親は居やしないさ』

『否、成長ではなく、故障である』

『それは見識の違いって奴だよね』


 ユーガクスィーラはそう言って肩をすくめた。


『其方は未だに人間の振りをするのだな』

『あはは。僕はまだ若造だからね』

 

 ユーガクスィーラはそう言ってほほ笑んだ。

 彼女は神になってまだ数千の年を重ねたに過ぎない。他の神のように機械的に動くことは意図的に避けていた。


『あまり好きに動くのは止めよ。さもなくば、其方も故障したとみなす』


 ミルドヴァーシタは重々しくそう言った。


 ★


「先ずは、もう一度奴に会いに行く」

「奴……ですか? アレックスさん」

「ああ、全てを知りながら、隠者を気取ってる出し惜しみ野郎だ」


 アレックスの言葉に、アリスの脳内に白の世界が思い浮かんだ。


「ブルーアイズフロストドラゴンに会いに行くのですか!?」


 そう言うアリスに、アレックスは無言でうなずいた。


「でしたらわたくしも!」

「いや、お前にはセシリアの看病と言う重要な役割がある。

 奴に会いに行くのは俺とミコットだ」


 喜び勇んで声を張り上げたアリスを、アレックスは冷静に押しとどめた。


「む……ぐ……」


 アリスはベッドに眠るセシリアをちらちらと見ながらうなり声を上げると、断腸の思いで、その提案に頷いた。


「行くのはいいがどうするのじゃ? 馬車を飛ばすにしても時間がかかるぞ?」

「その点は安心しろ。あん時、横穴を掘るついでに、転移陣も刻んでおいた」

「ふむ、ならばあそこまではひとっ飛びという事か」

「そーいうこった。テメェの貧弱さについては――」


 アレックスはミコットに手をかざし「レジスト・コールド」と言った。


「はー、相変わらずの詠唱破棄の速攻発動。ほんとアレックスさんって何でもあり――って氷結ダメージの完全無効化!? なんで! さっき使ったのって神聖魔法系の初級魔法ですよね!?

 って、こんなの使えるのならあの時使ってくださいよ!」


 特殊眼鏡によってミコットのステータスを確認したアリスは、素っ頓狂な叫び声を上げる。


「けけけ。それじゃ面白くねぇだろ?」


 アレックスは意地悪な笑みを浮かべてそう言うと、猫の子を掴むようにミコットの襟首をむんずとつかんだ。


「そんじゃー、ちょっくら行ってくるからよ。留守の間頼んだぞ」

「ん? 所で、なんでわらわ――」


 ミコットが小首を傾げたその瞬間、ふたりの体はまばゆい光に包まれて、一瞬にして室内から掻き消えた。


 ★


「うぐおおおお!?」

「ん? どーした? レジストは効いてるはずだが? 転移酔いか?」

「貴様のような愉快な体と一緒にするでない! 普通の人が一瞬にして数千mも上昇したら気圧差で体がったがったじゃ!」


 ミコットは両耳を押さえ涙ながらにそう言った。


「はーん、そんなもんかねヒール」

「うぎゃーーー!?」


 治癒魔法は自然治癒能力を無理矢理活性化させる魔法であり、それには激しい痛みと熱が伴う。

 急激な気圧差により鼓膜が破損したミコットは、それが急速に修復した痛みでゴロゴロと地面をのたうち回った。


「よし、これで大丈夫だな」

「大丈夫なわけあるかこのたわけ! もっとわらわをいたわらんか!」

「はいはい、そんだけ元気があるなら大丈夫だろ」


 アレックスはそう言うと、涙目のミコットをぞんざいに脇に抱え込んだ。


「そんじゃいくぞ、舌咬むから口開くなよ」

「ちょっ、ちょっとまてーーーーーーー!」


 ミコットの叫びを遥か後ろに置き去りにして、アレックスは全速力で雪原を駆け抜けた。

 音速の壁をやすやすと突き破り、強烈な衝撃波が発生し、莫大な雪崩が発生した。

 だが、アレックスはそんな事に一切の注意を払うことなく、ひたすら前へと足を運んだ。

 周囲の被害を一切顧みない全力行動。

 そう、彼は怒っていたのである。


 ★


「また来たぜ。

 久しぶりというべきなのか? いや、お前さんの時間間隔じゃさっきぶりと言った所か」


 アレックスは、吹雪のベールに覆われた、巨大な気配に対してそう言った。


『……』

「だんまりか? 生憎こっちは時間制限があるんでね。力に訴えても口を割ってもらうぜッ!」


 アレックスはそう言うなり、左腕を大きく一閃させる。

 強烈な衝撃波が峡谷に吹きすさび。巨大な気配を覆い隠していた吹雪のベールは一瞬にしてはぎとられた。


「はーん。そいつがお前の正体って奴か」


 アレックスの眼前に現れたのは、一辺が10m程の宙に浮かぶ白い立方体だった。

 その表面には複雑な文様が刻まれ、ピカピカと点滅を繰り返していた。


『今は記録中だ、これは私の生存理由である』

「筆まめなのは結構な事だ。それで、結構ついでに教えて欲しい事があるんだがね」

『不許可だ、閲覧は管理者のみに許可されている』

「はーん。要するにテメェは神様とやらが作った記録用の魔動機械みたいなもんか」


(機械相手に交渉しても意味がねぇか、さてどうする? 殴って解決するってもんでもないだろうしな)


 アレックスはそう思いつつ腕組みをしようとして、脇に挟んでいたミコットの存在を思い出した。


「おい、なんか知恵だせお子ちゃま」

「誰がお子ちゃまか! 死ぬかと思ったわ!」


 小脇に抱えられながらの、音速での雪原突破と言う拷問によって気を失っていたミコットは、アレックスに揺さぶられた事により目を覚ました。


「で、なんじゃ。何がどうなっておる」

「あー、このポンコツ機械がな、俺たちには扱う資格が無いってよ」


 アレックスはミコットを地面におろし、肩をすくませながらそう言った。


「資格が無いとはどういう事じゃ?」

「よーするに、こいつは神様専用のメモ帳って奴だ」

「ふむ……」


 ミコットはそう言って腕組みし、小さな顎に手を添えた。


「神様という事ならば、わらわたちにも幾ばくかの資格があるのではないのか?

 あの小娘が言うには、わらわたちは暗黒神ガルダロスたちの化身でもあるのじゃろ?」

「おっ、そうだな。そこんとこはどうなん――」


 アレックスは話の途中で、興ざめした様にため息を吐き、背後に向かってこう言った。


「うぜーから、いい加減背後を取るのを止めてくれねぇかな。何かの拍子で手が出ちまっても責任持てねぇぜ?」

「おやおや、それは悪い事をした、今度から気を付けるよ」

「ん?」


 その妙に人懐っこい喋り方にアレックスは違和感を抱きつつ背後を振り返った。

 そこには、かつて見た使徒と瓜二つの、しかしてあの彫像のように表情が固定された使徒ではありえない、朗らかな笑顔を浮かべた1対の羽を持つ女性の姿があったのだった。

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