第5話 王都脱出

「こっちだ、こっちだアレックス」


 路地裏を逃げ回る彼を呼び止める声があった。


「よーう、カピタン。生憎俺は急いでんだ。何か用か?」


 たっぷりとそばかすが乗った悪友の顔に、アレックスはそう言って間延びをした返事をした。


「なに呑気な事言ってんだ! 早くこっちにこい!」


 囁くような大声に、アレックスは進路変更し、扉の隙間に潜り込んだ。

 彼に続いてセシリアも逃げ込むと、扉は音も無く閉められた。


 家の裏口と思われる場所から中に入ると、そこにはアレックスの悪友たちの顔があった。


「ここなら大丈夫なはずだ」


 カピタンはそう言いつつも、扉の外へ聞き耳を行い、追手が見当違いの方向へと行き過ぎるのを慎重に確認していた。


「はっはー。こんな夜更けに雁首揃えて何やってんだお前ら」

「それはこっちの台詞だぜアレックス」


 カピタンはため息まじりにそう言うと、現在の状況についての説明を開始した。


 ★


「はーん。俺が親父をやっちまったって事になってんのか」

「何をテメェ他人事みたいに」


 ほうほうと、顎をさするアレックスに、カピタンは呆れた顔をしてそう言った。


「んで、やってねぇんだなテメェは」


 その問いかけに、アレックスはやんわりと肩をすくめる。


「はぁ……まぁそうだろうよ。テメェにはその動機も実力もありゃしねぇ」

「けけけ、そりゃそうだ。俺に親父を殺すメリットなんざありゃしねぇ。なんたって親父が生きてる間は、俺は好き放題出来るわけだしな」


 そう言って笑みを浮かべるアレックスに、彼の悪友のひとりはこう言った。


「いやいや、そうでもねぇぜ。俺の聞いた話だと。国王陛下は放蕩王子のお前にとうとう見切りを付けて、どっかから養子をもらってくるつもりだったって話だぜ」

「なるほど。それなら確かにつじつまは合うな」


 そういいポンと膝に手を当てるアレックスに、周囲から盛大なため息が漏れた。


「まったく、どうしたもんかねこのポンコツは。おメェがそんなだからこんな事になってんだよ」

「かかか、そのポンコツと日々遊びほうけてたおメェらに言われる筋合いはねぇよ」


 そう笑うアレックスに、悪友たちは肩をすくめた。


「で、どうするつもりだよ」

「どうするもこうすもねぇ、この街に俺の居場所なんてありゃしねぇだろ?」


 アレックスは何ともなしにそう言った。


「おいおい、あきらめんのかよ」

「かかか、あきらめるも何も、俺は一度たりとも王になりたいなんて言った事はねぇぜ」

「けどよ、親父さんの仇だろ?」

「それこそまさかだ。親父がくたばったのは寿命だよ。

 親父は腐っても元勇者だ、その、何とかという貴族程度に殺されるようなたまじゃない」


 アレックスはきっぱりとそう言いきった。


「そうか……お前がそう言うならそうなんだろうな」


 カピタンは気落ちした思いでそう言った。

 街の、いわゆる不良少年である彼にとっても、国王は誇りだった。その国王がなくなった事が虚言でなく真実であると、息子であるアレックスの口から伝えられたからだ。


「けっ、気にくわねぇな」


 別の者が、そう言って口をとがらせる。


「陛下がなくなったのが寿命だと言うのならそれはそれで仕方が無い。だが、その後釜に座るのがよりによってガルスタインの野郎だと?」

「そうだな、奴は大戦時には意の一番に逃げ出した卑怯者だ。そんな奴が今更どんな面してこの国のてっぺんに立つって言うんだ」


 彼らはそう言って口々にガルスタインをののしり始める。

 その様子を見て、アレックスはセシリアにこう尋ねた。


「あー、セシリア? そのガルなんちゃらって奴は無能なのか?」

「いえ、残念ながらそうではございません。国王陛下はただの無能者を大臣の座につけるようなお人よしではございません」

「かかか、そーだろうよ。親父が無能に目をつぶるのはせいぜいが俺ぐらいだ」


 アレックスはそう皮肉げに笑った後、彼の悪友たちに向けてこう言った。


「ってなわけだ。そのガルなんちゃらがそのまま王位につくかどうか知ったこっちゃねぇが、俺が運営するよりもこの国はよっぽどスムーズにいくと思うぜ。

 なにしろ俺は王が認めた唯一の無能だからな」

「それは、胸を張っていう事じゃねぇだろ」


 周囲のものたちはそう言って盛大なため息を吐いた。


「まっ、親父が右腕として認めた位の奴だ、上手い具合に落としどころを見つけて、混乱はじきに収まるだろうよ」


 みんなが今一納得いかない顔をしているのを他所に、アレックスはそう言って頷いた。


「んじゃ、お前はどーすんだよ」

「俺か? 俺は王子と言う楔から解き放たれて自由に世界を飛び回るのさ」

「ばーか言ってんじゃねぇよ。テメェ如きに何が出来るってんだ」

「かかか、少なくともこうして奴の追手から逃げ回る程度の事は余裕だぜ」


 そんな屁理屈を言うアレックスに、彼の悪友は口をへの字に曲げこう言った。


「あほかてめー。王都は奴の手先で一杯だ、そんな事は王都を脱出できてから言いやがれ」

「やれやれ、どいつもこいつも俺ばっかりに目が言って、こいつの存在を忘れてるんじゃねぇのか?」


 アレックスはそう言って、彼の背後に立つセシリアを指さした。

 セシリアは複雑な思いを抱えつつも、ほんのわずかに頭を下げた。


 ★


「んじゃ、セシリア、派手にやれ」

「はっ、了解しました」


 彼女はそう言うと、片手にフードを目深く被らせた人形を抱えて夜の街に飛び出した。


「……あんなんで上手くいくのか?」

「かかか、セシリアと俺がワンセットなのは丸一日かけて刷り込んである。半信半疑でもくいつかにゃ猟犬失格だ」


 カピタンから借りた服に着替えたアレックスはそう言って自信満々に腕組みをした。


「セシリアさんは上手く逃げられるかもしれねぇけど、お前は大丈夫なのかよ」


 心配そうにそう言うカピタンに、アレックスは気軽に腕を振りながら堂々と夜の街に踏み出していった。


 ★


「ええい。まだ捕えられんのか!」


 時刻は深夜。

 だが、ガルスタインの部屋には煌々と明かりがつき、机に広げられた王都の地図には細かなメモがびっしりと書き込まれていた。


 ガルスタインは焦りと怒りが入り混じった表情を浮かべ部下たちを叱咤していた。

 上司から激しい言葉を受けた部下たちは新たな情報を求め我先にと部屋を後にする。

 そして、最後のひとりが部屋を後にし、室内にはガルスタインだけが残された。

 その時だった。


「くくく、セシリアは随分と張り切ってるみたいだな」

「!?」


 部屋の隅から聞こえて来たその声に、ガルスタインは驚愕の表情を浮かべながら振り向いた。


「貴様、いつからそこに!」


 そう言いつつも、ガルスタインは素早く呼び鈴に手を伸ばす。

 だが、アレックスは肩をすくめながらこう言った。


「あーよせよせ、この部屋には既に結界を張ってある。人を呼ぼうとしても無駄な事だ」


 ガルスタインはその言葉を無視して呼び鈴を鳴らす、ジリリリと言う金属音が部屋に木霊するが、それに反応してドアをノックする物は現れなかった。


「貴様……」


 ガルスタインは歯ぎしりをしつつも、じわりじわりと猛獣から距離を取るかの如く、アレックスの前から後ずさる。


「はっ、その様子だと、俺の事は薄々ながら知っているってか?」

「半信半疑であったがな。噂は本当だったのか、この……化け物め」


『化け物』その言葉に、アレックスはニヤリと頬を歪めた。


「ああそうさ、俺は勇者ばけものの息子だぜ? 化け物ゆうしゃに決まってるじゃねぇか」


 アレックスは皮肉げな笑みを浮かべてそう言った。


「それでどうするつもりだ。裏切者の儂を殺すのか」

「けけけ。お前さんは俺の親父に仕えていたんじゃないんだろ? 玉座に仕えてたんだろ?」

「ふん、儂を軽く見るな。儂はこの国に仕えているのだ」

「かかか、それにしては住民からの評判は今一のようだがな」

「大局が見えん市井の奴らのいう事など聞く価値はない。儂は儂の正義に乗っ取って行動したに過ぎん」


 ガルスタインは覚悟を決めたのか、椅子に深く腰掛けながらそう言った。


「まっ、そこら辺はどうでもいい」


 アレックスは興味なさそうに耳をほじるとこう続けた。


「この国が欲しけりゃお前にやるさ。まぁ元々俺のもんでもないしな。

 ただ、あとくされがあると面倒くさい。俺は死んだことにしろ」

「ふん、元よりそのつもりだ。

 儂は貴様ら化け物からこの国を取り戻すために行動を開始したのだ」


 ガルスタインは口をへの字にしながらそう言った。

 アレックスは値踏みする様にガルスタインを眺めたあと、一言、こう言った。


「親父は……本当に死んだのか?」

「ああそうだ。病死だ」

「そうか……」


 アレックスは静かにそう言った。


「ま……そういう定めだったのか」


 アレックスはボンヤリと天井を見上げながらそう言った。

 母親に続いて父親も病でなくなった。

 かつての勇者ばけものも人として死ねたのだ、それならばいう事はない。

 アレックスはそう思い、暫し目を閉じる。


「どうした? 今なら本当に殺せるかもしれないぞ?」

「冗談を言うな化け物。儂如きの老骨の刃が貴様に通るはずがない」


 ガルスタインはそう言って鼻で笑った。


「あーそうかい。まっ俺もこんな所で死ぬ気はないからな」


 アレックスはそう言いながら、壁にかけられた時計を確認する。


「そろそろ予定の時間だ、ちとそれを借りるぜ」


 アレックスはそう言うと、部屋の調度品として置かれている鎧に視線を向けた。


 ★


 城下を貫く大通り、王城手前のひときわ目立つその広場で、セシリアは十重二十重と衛兵に囲まれながらも大立ち回りを繰り広げていた。


「大人しく投降しろ!」

「お断りいたします」


 片手にアレックス――を模した人形を抱えながらも、彼女は次々と降りかかる攻撃をかわし、いなし、そらし、そして反撃をくわえていく。


「くそっ! なんて強さだ!」

「諦めるな! 王国を我らの手に取り戻すのだ!」


(ずいぶんと身勝手な事を)


 セシリアはそう思いつつも、衛兵たちを無力化させていく。

 それはアレックスの『殺すな』という命に従っているからに過ぎない。彼女がその気ならば、ここには死山血河が築かれている筈だった。


 そうして、彼女が孤軍奮闘を繰り広げている広場に、王城よりひとりの騎士が姿を現した。

 そのものは全身鎧で身を固めておりその顔は覗けないが、鎧越しに立ち上るその威容が強者であることを物語っていた。


 騎士の迫力に、衛兵たちは知らずの内に道を開ける。

 そして、騎士とセシリアは無言で相対した。


「どけ」


 騎士は鎧越しのくぐもった、だが、不思議と良く通る声で、そう周囲に命令した。

 衛兵たちはその言葉に広く、広く距離を取った。


「この国は、もはや貴様らを必要としていない」


 騎士はそう言うと、剣をすらりと抜き放つ。


「ひっ! やばい! 逃げろ! 逃げろー!」


 剣に込められた魔力は常人のものではなく、あふれ出る魔力に刀身は砕け散り、光の刃が柄から真っ直ぐに伸びていた。


「消えろ、とわに」


 そして、その一撃は振り下ろされた。

 光の刃は大通りを飲み込み。セシリアたちの姿はその影も残さず消え去った。


 ★


「死ぬかと思いました」

「あー? あれぐらいなんて事ねーだろ、ただピカピカ光って派手なだけだ」


 朝日があがるころ、王都から続く街道にふたりの姿はあった。

 謎の騎士――アレックスの放った一撃を、セシリアはアレックスの人形を盾にして逃げおおせた。

 アレックスについては、王城に戻ったと見せかけて、卓越した潜伏スキルを使って、誰にも見とがめられることなく、悠々と城門を超えたのだ。


「まーこれで晴れて自由の身だ、これからは好き放題出来るってもんだ」


 アレックスはそう言って背伸びをする。


「いえ、今までも十二分に自由気ままにやられていたかと」


 セシリアはそう言いながらアレックスの後に従った。

 伝説の勇者の息子。

 その檻に囚われていたアレックスは、両親の死をきっかけに自由な空へと羽ばたくこととなったのである。

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