第3話 秘めたる力
戦後の混乱期、様々な理由で孤児が生まれた。
セシリアはその中のひとりだった。
「おい、どうしたんだお前」
薄暗い路地裏。もはや何日もまともな食事をとっていなかったセシリアは、薄れゆく意識の中でその声を聞いた。
「どうした? 死ぬのか?」
死ぬ。
ああ、確かに自分は死ぬだろう。
そう思っても、涙さえ出てこなかった。
そんな水分すら彼女の中には残っていなかった。
「んー、どうしたもんかねぇ?」
目の前の少年は、そう言ってボリボリと頭を掻いた。
「まっ、いっか。このまま見過ごすのも寝覚めが悪い」
少年はそう言って、服が汚れるにも構わずに、泥にまみれた彼女を軽々と拾い上げた。
それは正しく、捨て猫を拾うような手軽さだった。
「まぁ、いつも王は国民の為とか言ってるから大丈夫だろ」
それが、アレックスとセシリアとの出会いだった。
★
セシリアは王城へと迎え入れられた。
アレックス以外に子を授からなかった国王夫妻は、彼女の事を暖かく迎え入れた。
彼女はその恩に報いようと、血のにじむような努力を重ねた。
剣術、体術、学問。
その全てにおいて、彼女は凄まじい才能を発揮した。
だが、彼女を拾った当の本人は、その努力を他人事のように眺めるだけであった。
そんなある日の事だ。
他国の王族を招いての郊外での園遊会に、アレックスたちも付いていく事となった。
それはアレックスのお披露目の意味もあった会だったが、なんと当のアレックスはいつの間にか忽然と消え去ったのだ。
周囲の人間は慌てに慌てた。
王子が不出来な事は広く知れ渡っている。魔族との戦争は終わり大局的に安全になったとはいえ、ここは辺境の地、どれ程の危険が転がっているのか分かったものでは無い。
従者たちは総出で、アレックスの探索に出かけた。
★
「私も行きます!」
「お前はよい、セシリア。年の割には腕は立つが、お前はまだまだ子供、危険に過ぎる」
「ですからです!
お坊ちゃまが危険な目にあっているかもしれないのに。お坊ちゃまに拾われた私がじっとしている訳にはいきません!」
セシリアはそう言うと、周囲の大人が止めるのも聞かずに駆け出して行った。
当時のセシリアはまだ十の年を数えたばかりであったが、彼女の戦士レベルもそれと同等。その腕前は駆け出しの冒険者、いや中堅どころの冒険者と比べて相違ないものであった。
そうして、解き放たれた猟犬の如き勢いで駆け出したセシリアを見守る人物がいた。
「あなた、よろしかったのですか」
「セシリアならば問題ないだろう。そしてもちろんアレックスもな」
国王アレンは、優しげな、そしてどこか悲しげな口調でそう言った。
★
(おぼっちゃま、何処に)
園遊会が開かれているこの場所は、少し足を踏み外せば深い森が広がっている場所である。
セシリアは、見通しの悪い森の中、アレックスのくすんだ金髪を見逃すまいと必死に目を凝らしながら走っていた。
駆ける、駆ける、駆ける。
彼女のよく知るアレックスは、いつもけだるげな笑みを浮かべ、何事にも不真面目な少年。
そして何よりも、誰よりも弱い存在だ。
(もし、お坊ちゃまが森に潜む獣に襲われたらひとたまりもない)
駆けて、駆けて、駆け抜けて。
セシリアの視界に森の緑とは違う、くすんだ金が飛び込んできた。
「お坊ちゃま!?」
セシリアは驚愕の光景に目を見開いた。
ポケットに手を突っ込みながらけだるげに立つアレックスの前には、一頭の巨大な魔猪がいたのだった。
「ちっ、何だ、セシリアか。あんまこいつを刺激すんな、襲ってくるぞ」
アレックスは、へらへらとした笑みを浮かべながら、そう言って悠長に振り向いた。
「お坊ちゃま! 今すぐお逃げください!」
セシリアはそう言いながら、腰に手を伸ばし――
「あ」
今更ながら帯剣していない事を思い出し唖然とする。
(お坊ちゃまだけは、この命に代えても)
彼女はそう決意を固め、アレックスと魔猪の前に割り込むと、護身用にと忍ばせておいた小さなナイフを投擲――
「おいおい、何してんだ」
投擲しようとした瞬間に、アレックスに襟首を掴まれ、その拍子にナイフは手から外れて地面に落ちた。
「こいつは、この森の主だぜ。この森じゃ俺たちの方が他所もんだ」
「お坊ちゃま! なにをそんな悠長な!」
「だーから。あんま騒ぐなって……って今更か」
目の前で矮小な存在が大声を上げるのを威嚇ととらえたのか、魔猪は鼻息荒く威嚇を始めた。
「くっ。お坊ちゃまはお逃げください!」
セシリアは素早くナイフを拾い上げると、それを逆手に構える。
相手は身の丈3mは超える魔猪だ。このサイズの敵が相手だと、今の彼女には明らかに荷が重かった。
(せめて剣があれば)
血走った目をした魔猪は、今にも飛びかからんと地面を掻く。セシリアはその様子にかみ合わない歯を無理やりくいしばり、攻撃のタイミングを伺っていた。
「はぁ、しょーがねぇ。どけ、セシリア」
決死の覚悟を決めたセシリアの耳に、アレックスのやる気のない声が聞こえて来た。
「お坊ちゃま! 早くお逃げください!」
「いーから、ここは俺にまかしとけ」
アレックスはそう言って、呑気に耳をほじりながらセシリアの前に歩を進めた。
「お坊ちゃま?」
「まっ、これも大自然のおきてって奴だろ?」
「お坊ちゃ……ま?」
ゆるりと、アレックスは片手をポケットに突っこんだままだ。
だが、彼から感じる気配は一変していた。
やる気ない何時もの彼の背中。だが、そこから感じる力の奔流は、視認できるほどの輝きに満ちていた。
「グル」
今まで、歯牙にもかけない程の矮小な存在と思っていたものの急変に、魔猪は戸惑いつつも威嚇を続ける。
「おいおい、どーした。お前も野生なら、力の差ぐらい分かんだろ?
見逃してやるからとっとと失せろって言ってんだ」
アレックスは欠伸交じりにそう言った。
「お坊……ちゃ……」
戸惑うのはセシリアも同じこと。剣の一本すら碌に振るう事すら出来ないはずの目の前の少年から感じる力量は、彼女には到底計り知れない程の高みにあった。
「―――――!!」
緊張感に耐え切れなくなった魔猪は、ついにアレックスに向け突進をした。
だが――
「あー、色々と面倒くせぇから、ここで起きたことは誰にも話すんじゃねぇぞ」
アレックスはそう言いながら、片手で魔猪の突進をねじ伏せたのだった。
★
「ど、どういう事なのですか、お坊ちゃま」
巨大なる魔猪を、まるで子犬をあやすかのように扱ったアレックスに、セシリアは慎重にそう尋ねた。
「俺はな、化けもんなんだよ」
アレックスは、困ったような笑みを浮かべてそう言った。
「化け……もの?」
「あーそうさ。力の上限は桁知らず、魔力だってそうだ。意図的に力を押さえなけりゃ日常生活すらままならねぇ」
アレックスはそう言って肩をすくめる。
「セシリア。お前、アナライズ使えるか?」
「アナライズですか、使えますけど……」
アナライズは対象のステータスを調べる魔法だ。
だが、それは敵対するものに後れを取らないように使うのが主な使用方法であり、身内の、ましてや目上の者に使ってよい魔法では無かった。
セシリアはそう思い、語尾を濁す。
「いーから、抵抗しないでやるから、ちょっとかけてみろよ」
アレックスはへらへらと笑いながらそう言った。
「すみません、では失礼して」
セシリアは一言断りを入れ詠唱を開始する。
する、のだが……。
「ん?」
アレックスのステータスはその大半が文字化けをしており、彼女には読み取る事が出来なかった。
セシリアの困り顔を見たアレックスは悪戯めいた笑みを浮かべてこう言った。
「けけけ、いっとくが抵抗なんて一切してないぞ。それが俺のステータスとやらだ」
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