第2話 クーデター
国王倒れる。
その知らせは瞬く間に国中に広まり、突然の凶報に国中は大パニックに陥った。
「んで? 親父の具合はどうなんだ?」
「たちの悪い流行り病という事にございます」
「まったく、仕事の虫にも程があるだろう、ぶっ倒れる前に休んどけってんだ」
アレックスは腕組みをしながら、そう呟いた。
彼が聞いた話によると、晩餐会の途中で退席した国王が、控室についた時に突然吐血して倒れたという事だった。
「んで? 俺の予定はどうなるんだ?」
「国王陛下が絶対安静な今、お坊ちゃまには国王代理として公務に当って頂く必要がございます。
さしあたっては――」
セシリアはそう言って説明を開始した。
流行り病。それは、ここ数年で猛威を振るっている恐怖であり、アレックスの母もそれに罹り亡くなっていた。
「まっ、細かい所はお前らに任せるわ。俺は人形みたいに頷いてりゃいいんだろ?」
長々とした説明を聞き終わったアレックスは、肩をすくめながらそう言った。
それは、彼の従者を信頼しているというよりも、ただ面倒くさいからそうしていると言った感じだった。
「お坊ちゃま、そろそろいいのではないのですか?」
「んー、何の話だー?」
セシリアの真剣なまなざしに、アレックスは間延びした声でそう言った。
「道化の仮面をかぶるのは、そろそろ終わりにしていいのでは。と、言っているのです」
従者であり、なにより彼をよく知る幼馴染であるセシリアの言葉に、しかし、アレックスはへらへらとした笑みを浮かべこう言った。
「買いかぶり過ぎだよ、買いかぶり。俺は皆が知っての通り、ただのぼんくら王子さ」
「そんな事はございません! お坊ちゃまは――」
セシリアがそう言おうとした時だった。
執務室の扉が乱暴に開け放たれ、そこから完全武装の衛兵たちが流れ込んできた。
「何者ですか! この方をどなたと心得るのですか!」
「はっ、どなたも何も痴れ者の王子だろう。そんな奴にこれからのこの国を任せられぬと言うの……だ?」
衛兵たちに囲まれながら入室して来た豪華絢爛な衣装を身にまとった男は、セリフの途中で語尾と視線を迷わせた。
執務室には、机の前でこちらを睨みつけるメイドしか存在しなかったのだ。
「おい、貴様。バカ王子は、何処に行った?」
「何処って……」
セシリアはそう言って背後を振り返った。
そこには主を失った机がぽつねんとあるだけだった。
「あれ?」
彼女が視線をさまよわせていると、爽やかな朝風にはためくカーテンが目に入った。
「まさか、お坊ちゃま!」
彼女が急ぎ、窓辺に足を運ぶと、眼下にはするするとまるでトカゲのように城壁を下るアレックスの姿があった。
アレックスはセシリアの視線に気が付くと、呑気な声でこう言った。
「なーに、のんびりしてんだお前。クーデターだよ、クーデター。とっとと逃げるぞ」
「お! お坊ちゃま!?」
「くそ! 逃げ足だけは一人前か! 者ども! そ奴を逃がすな!」
男はそう言って配下の者に命を下す。
しかし、完全武装の兵士では、軽業師のような真似をすることは出来ない。
「殺せ! 生かしておいては碌なことにはならん!」
「はっはー。 こんな所で殺されてたまるかよ」
あっという間に地上にたどり着いたアレックスはそんな捨て台詞を残し、脱兎の如き勢いで駆け出していく。
「お待ちください! お坊ちゃま!」
セシリアはそう言うと、窓からポンと身を乗り出した。
彼女は国でも、否、大陸でも屈指の実力者だ。高々3階程度の高さから身を投げ出しても無傷で着地することは造作も無い。
「追え! 追え! 逃がすでないー!」
男は、小さくなるふたりの影に向かって、ひたすらに指を伸ばし続けた。
★
「で、誰だっけアイツ?」
町はずれの薄暗い路地裏で、ようやく足を止めたアレックスは、呑気に耳をほじりながらそう言った。
「はぁ、重鎮の顔ぐらい覚えておいてください。彼の者はわが国で最も古く、もっとも財力のある貴族でもある、財務大臣のガルスタインですよ」
「あー? うちの貴族って事は、30年前に真っ先に逃げ出した連中だろ?」
アレックスは欠伸交じりにそう言った。
彼の生まれる前の事なので伝聞でしか知らないが。この国の貴族と言えば、開戦時にはいち早く疎開した裏切者ばかりだと言うのがもっぱらの評判だ。
「まぁ、それは否定しませんが……」
セシリアは、複雑な思いでそう言った。
彼女にとっても生まれる前の事なので実感はないが、貴族に対する恨み節は良く知ったものだ。
「しかし、国王陛下はご無事なのでしょうか……」
「親父ねぇ……どうかねぇ……」
アレックスはそう言って眉根を寄せる。
国民に絶大なる人気を誇る国王をその手にかけたとは考えにくい。
だが、国王が生きている内にクーデターに及んだとすれば勇み足だ。
「あまり期待しない方がいいだろうな」
アレックスは冷静にそう呟いた。
生き馬の目を抜く貴族社会の最上部で生き抜くには、耳の速さが重要だ。
おそらく、自分の父親は、母親と同じく流行り病に刈り取られたのだろう。
彼は静かにそう思い、黙とうした。
「お坊ちゃまは、これからどうするおつもりですか?」
静かに、だが、熱のこもった視線を向けるセシリアに、アレックスはにへらと笑ってこう言った。
「どうするもこうするもねぇだろ。クーデターは実行されちまったんだ。そうなると俺はお尋ねもんさ」
「何をあきらめているのですか! お坊ちゃまは正統なる王位継承者! 一度はこの国を見捨てた貴族たちに、この国を好きにしていい権利などあるはずがございません!」
「権利が無くても力はあるだろうさ。まぁ俺を逃すような間抜けって所が多少心配ではあるがね」
語尾を強めるセシリアに、アレックスは気軽にそう言い肩をすくめる。
「いーんだよ。元々俺にはそんな器が無かったって事さ。これからは気軽なその日暮らしが待ってるぜ」
そう言い、何処かへと歩き去ろうとするアレックスに――
「しッ!」
セシリアはその全力を持って、背後からアレックスの急所目がけて抜き手を放った。
だが――
「くっ……」
セシリアは口惜しさに口を滲ませる。
完璧なタイミングで放たれた必殺の一撃は、紙一重でアレックスの背に届かなかったのだ。
「いつまで……」
セシリアの呟きに、アレックスは黙して語らず。
「いつまで! その力を隠すのです!?」
路地裏に、セシリアの叫びが木霊したのだった。
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