ノザマレン

#12

「大切な話があると言うから聞いてみれば、何をふざけた事を言い出すの気持ちが悪い」

他の誰でも無い実母に軽蔑の眼差しを向けられながらそう告げられた彼、野座間蓮の心は針を突き刺した風船のように破裂しました。

「母様、アタシは……」

「やめなさい。野座間の次期当主が女言葉なんてみっともない。……誰にもその話をしてはなりませんよ。野座間の家紋に泥を塗ることになります」

 一切の温かみを感じられない声色でピシャリと告げた蓮の母親は静かに立ち上がり部屋を出て行きました。その瞳に涙を添えて。

「アタシは、僕は……」

蓮は自身の一人称がぐちゃぐちゃになりながら男性としても女性としても整ったその顔がぐちゃぐちゃになるほど大量の涙を流しました。


***


蓮が自分の性に対する違和感に気付いたのは性に敏感になり始める中学一年生のときでした。


蓮には仲の良い女性がいました。蓮と同い年で古くから家族ぐるみの付き合いのある幼馴染でした。

蓮にとってその幼馴染の少女が幼い頃から唯一の遊び相手で、それは中学生になっても変わりはありませんでした。

 ただ、そう感じていたのは蓮だけだったようで幼馴染の少女は蓮と過ごす内に蓮を幼馴染の友人ではなく異性として意識し始めるようになっていきました。

そして、ある夏の日。

二人は浴衣に着替えて夏祭りへ向かいました。

「蓮、話があるの」

幼馴染の少女はそう言って蓮を人混みから引き離し、屋台の裏の小さな路地で二人きりになりました。

「あのね、わたしは蓮の事が……」

幼馴染の少女は蓮の両手をしっかりと握り、蓮に想いを告げました。

とても大事な二文字を伝えた瞬間、大きな花火が打ち上がりました。

ただ、その想いはしっかりと蓮の耳へ届きました。

「ごめんなさい」

蓮はそう呟くと、幼馴染の少女の手を振り払い逃げるように走って行きました。

取り残された幼馴染の少女の頰には大粒の涙が流れていました。

走る中で蓮は今まで感じたことのない嫌悪感に襲われていました。

それは自分を異性として認識している幼馴染の少女に対しての嫌悪感ではなく、幼馴染の少女を異性として認識出来ない自分自身に対しての嫌悪感でした。

「アタシは……」

幼馴染の少女の好意を拒絶した事で蓮は自分自身の性に関する違和感に僅かながら気付きました。


***


月日が経ち、物語冒頭。


一時的なものだと思い、信じていた性に関する違和感が変わらず自分の中に残って消えなかった蓮は高校生になった事を機に両親へ自分の思いを伝える事を決意しました。

その結果は物語冒頭の通りで、息子である蓮の告白を信じたくはなかったあまり出てしまった拒絶反応が蓮の心に大きな穴を開けてしまう事になってしまいました。

涙と声が枯れるほど泣き尽くした蓮は空っぽになった心を持って野座間家を出ました。

蓮はただひたすらに歩きました。行くあてもないままただひたすらに歩きました。

そうしている内に蓮は見知らぬ場所へと辿り着いていました。

「アタシは、誰にも……」

着信履歴のない携帯電話を見て、蓮は母が自分に失望して見捨てたのだとネガティブな想像を膨らませ、空っぽの心をさらに空っぽにしてしまいました。

「はぁ」

大きな溜息を吐いた蓮は無意識に信号が赤になっている横断歩道へ一歩踏み出してしまいました。

「……」

「駄目だ!」

その叫び声が蓮の耳に届いたと思ったら、蓮は見ず知らずの人の胸の中に抱かれていました。

「何があったか分からないけど、命を絶つなんて手段は選んだら駄目だ!」

 蓮は見ず知らずの人の胸に顔を押し付けられたままその人の言葉を黙って聞きました。

「すぐ近くに喫茶店があるからそこで少し落ち着こう。僕も君も一度冷静になるべきだ」

 そう言われた蓮は見ず知らずの人に手を引かれ、言葉通りすぐ近くにあったレトロな雰囲気漂う喫茶店へ入りました。

「僕はコーヒーにするけど君は?」

「じゃあ、アタシも同じものを」

「マスター、コーヒー二つ」

 ダンディという言葉がピッタリと当てはまるマスターに友人感覚で注文をした見ず知らずの人を蓮はジッと見つめていました。

「僕の顔に何か付いている?」

「いえ、そうではなくて……。凄く整った顔立ちだと思いまして」

「そ、そうかな? それなら君……そういえば、まだ名前を聞いていなかったね。僕は佐竹幸華さたけさちか。気軽にタケって呼んで」

「アタシは野座間蓮です……。あの、違ったら申し訳ないのですが、タケさんって」

「そう、御察しの通り僕は戸籍上の性別は女性だよ」

 彼もとい彼女は先程までの格好良すぎる笑顔とは違う真剣な顔つきでそう言いました。

その顔つきを見た蓮はきっと彼女は自分と似ているのだろうと何となくそう思い、それ以上追求することはしませんでした。

「コーヒーです」

「ありがとうマスター。蓮さん、砂糖とミルクはいる?」

「いえ、アタシはブラックで」

「蓮さん、大人だね」

 再び格好良すぎる笑顔を見せながらコーヒーにミルクと砂糖をたっぷり入れる彼女を蓮はにこやかに見つめながらコーヒーを一口だけ飲みました。

「蓮さん、そろそろ聞いても良いかな?」

 彼女は敢えて主語は伝えずまっすぐ蓮の瞳を見つめてそう告げました。

 蓮もまた彼女の瞳をまっすぐ見つめてただ二文字、

「はい」

 そう返しました。

「蓮さんはどうして自ら命を断とうとしたの?」

「それは……」

 蓮は何度も言葉を詰まらせながら中学時代から自分の性に違和感を覚えていること、

 誰にも相談できずにいたその悩みを母親に話すと信じてもらえないだけでなく軽蔑されてしまったこと、

 自分を自分として認めてもらえない世界に嫌気がさしたこと、

 自分の中で溜め込み続けていたこと、

 全てを彼女へ吐き出しました。

 それを聞いていた彼女は余計な質問をすることなく要所、要所で適度に相槌を打ち、

 全てを吐き出した蓮にたった一言、

「蓮さん、辛かったね」

そう告げました。

 彼女からその言葉を受け取った蓮の瞳からは自然と涙が溢れ出していました。

「タケ君はどうしてアタシなんかの話をこんなにも真剣に聞いてくれるんですか?」

 瞳に溜め込んでいた涙を全て出し尽くし少しだけすっきりした蓮は彼女にそう聞きました。

「僕も似たような経験があるから。そんな時にここでマスターと出会って僕が蓮さんに言ったように『辛かったな』って言ってもらえたから」

 その時のことを思い出したのか、彼女はそう語りながら涙を流していました。

「蓮さんごめんね。泣くつもりは無かったのに」

「タケ君も辛かったんだ」

「今は僕を受け入れてくれる人がいるし、居場所があるから。蓮さんもきっといつかそんな人が、そんな場所が見つかると思う。簡単なことではないけど」

 彼女のその言葉で蓮は今まで抱え込んでいたものがとても軽くなったような気がしました。

「僕はいつでもここにいるから蓮さんが辛くなったら……辛くなくてもまたおいで。僕もマスターも歓迎するよ」

「ありがとうタケ君。マスターさんも」

 蓮は野座間家で嫌ほど教え込まれたとても丁寧なお辞儀を彼女とマスターそれぞれに行いました。

 喫茶店を出た蓮の表情は入った時とは比べ物にならないほど生き生きとしていました。


***


「こんにちは」

蓮が再び喫茶店を訪れるとあの時と同じようにダンディという言葉がピッタリと当てはまるマスターが、

「いらっしゃい」

 と出迎えてくれました。

「待っていたよ。蓮さん」

月日が経って少し……だいぶ雰囲気の変わった蓮と同じくらいに男らしい雰囲気になった彼女が蓮のところへ駆け寄ってきました。

「タケもマスターもお久し振りです。今日からお世話になります」

 そう言うと蓮は深々とお辞儀をしました。

「タケ、蓮さんを部屋まで案内してあげてくれ」

「わかったよ、マスター。さあ、蓮さんこっちへ」

 彼女はそう言い、蓮を新たな生活拠点へと案内しました。


野座間家という鎖を断ち切り新たな道を選んだ蓮はこれから多くの壁に当たることになるでしょう。

わたしが現時点で語ることが出来るのはここまでです。続きはまたいずれ。


語り手 古本屋栞

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る