ヒカワヒナ

#4

 もしも自分が今とは異なる生活をしていたら……。誰しも一度はそんな『もしも』の世界に想いを馳せたことがあるのではないだろうか?

 これから語る物語はそんな『もしも』の世界と『もしも』の世界が邂逅する物語。

 物語の主役は、成績優秀・家事万能・真面目だけが取り柄の女子高生ヒカワヒナ。

 そしてもう一人、成績不良・素行不良・不真面目としか言いようのない男子高校生ヒカワヒナ。

 性格も性別も真逆な同姓同名の二人彼と彼女が邂逅した時、どのような物語が紡がれていくのか、時間の許す限り語らせていただきます。


***


 夏休み最初の一週間を余すところなく補習授業に費やしたヒカワヒナは同じく補習授業を受講した悪友たちと夜が更けるまでカラオケボックスやゲームセンターといった娯楽施設へ赴き、補習授業で積もり積もったストレスを解放していた。

「それじゃあ、また来週な」

 遊ぶ金が尽きた悪友の一人がそう告げると、

「それじゃあ俺も」

 と、誰かが先陣を切ってそう言ってくれるのを待っていたかのように次々とそう言いだしてその日はあっさりとお開きになってしまった。

 特段理由があった訳でもないが、彼は悪友たちが公共交通機関で帰宅するのを見届け、悪友たちの中で唯一郊外に暮らしている彼は少し離れた駅へと向かって行った。

 彼の生活圏内の中で最も大きな駅ではあるが、帰宅ラッシュが完全に終わっているだけあって、駅には改札の外と中を合わせても両手で数えきれるくらいの人数しかいなかった。

駅のホームへ上がってみると、2~8番ホームまで乗客の影は無く、もう間もなく列車の到着時刻となる1番ホームも乗客は彼一人だけであった。

『まもなく……1番ホームに……列車が参ります。白線の……内側に下がって……お待ちください』

 スピーカーが不調であるのか、ノイズ交じりのアナウンスは聞き取り難いほど低音で、ホラー映画好きな彼でさえ恐怖を感じるほどであった。

 彼の目の前に不快な金属音を鳴らしながら黒光りした列車がゆっくりと停車した。

 列車の種類や駅の時刻表に関する知識が皆無な彼は何の不信感も無く乗り込んだが、彼の乗り込んだ列車の型はこの時間に駅に停車する事は無く、そもそもその型で黒光りする列車はこの世界のどこを探しても存在はしていなかった。

 そんな事は一切知らずに乗車した彼は適当な席に着くと眉間にしわが寄るほど大きく不快な金属音を鳴らしながら閉まるドアを睨みつけるように見つめた。

 そして列車は他の乗客を乗せることなく彼だけを乗せて静かに発車した。

 彼以外の乗客が一人として乗車していない列車の窓から見える景色は真っ黒でそこには少し眠たげな彼の顔だけが映っていた。

自分の顔しか映らない寂し気な景色を眺めている内に彼は列車の僅かな振動によって眠気を増幅させられて、次の駅に停車する前に眠りに落ちてしまった。

「んっ。んん? 寝ていた、のか?」

 小さな欠伸を一つ吐き、目を覚ますと列車が自宅の最寄り駅に停車する直前だった。

「誰もいない」

 列車には他の駅で誰も乗車してきてはおらず、出発した時と同じように彼一人だけが車内に居た。

 列車が駅に着いて完全に停車すると、彼はいつもの様に鞄を背負って不気味に黒光りする存在しないはずの列車を降りた。

「静かだな」

 静かと一言で片づけるには不自然過ぎて違和感を覚えるほどだった。

 が、

「帰るか」

 彼はその違和感を、

(いつもとは帰宅時間が違うからだろう)

 と合理化して、自宅までおよそ十分の道のりを人や動物、さらに車ともすれ違わなかったことに気が付かないまま帰宅した。

「ただいま」

 家族に対しても礼儀としてきちんとそう告げて家に入った彼は、それなりに遅い時間であるのにもかかわらず母親もしくは妹がまだ起きているのかリビングの電気が付いていることに気が付いた。

 そして、微かに食欲を掻き立てられる美味しそうな和食の香りが彼の鼻に入り込んできた。

「連絡忘れていてごめん。遊んでいたら遅くなった」

 彼の鼻に入り込んできた香りには味噌汁と肉じゃがのような香りが感じられた。あと梅の香りも微かに漂っていた。

(これは母さんがよく作る混ぜ込みご飯の香りだろうか? いつもながら随分と美味しそうな香りだ)

 そんな事を考えながら彼の帰りを遅い時間まで待ってくれていたのであろう母か妹、もしくはその二人に対して軽く謝りながらリビングと廊下を遮る扉を開けた。

 すると、彼の瞳には扉の真正面にあるキッチンに見知らぬ少女が当たり前のように立つ姿が映った。

「鍵は閉めていたはずなのだけれど、どちら様かしら?」

「お前こそ、人の家に上がり込んで何をしている?」

 間取りや家具の配置、彼女が手にしている食器も全て間違いなく彼の家の物だから帰宅する家を間違えたという事は考えられない。仮に間違えていたとしても、同じ間取りに同じ家具の配置になるなんて事があり得るはずが無い。

 そうあまり優秀とは言えない頭で考えを巡らせていた彼だったが、彼女からの返答は彼の頭では想像も出来ないものだった。

「ご飯を余分に作ってしまったのだけれどあなたも食べる?」

 彼女は優秀過ぎるほどの思考力で瞬時に状況を理解したようで、とても冷静な表情で淡々とそう告げた。

「じゃあ、食べる」

 彼女に言われるがまま、彼女の作った一人分というにはやけに多過ぎる料理を一通り食べた彼は何故か互いに自分の家だと主張するこの状況について少なくとも自分よりは賢いであろう彼女の考えを聞くことにした。

「この状況についてお前は」

「陽奈」

「えっ?」

「陽奈、氷川陽奈。私の名前よ」

「その名前、本名か?」

「えぇ、間違いなく」

 彼が驚きながら訊き返した質問に彼女は彼と一字一句同じ苗字、名前を答えた。

「その反応から何となくだけど理解したわ。あなたの名前も」

「氷川陽奈だ」

「字は予想が付くけれど念のためこの紙に書いてもらえるかしら?」

 彼は彼女の指示通りに彼女が用意したメモ用紙程度の紙に自分の名前を書いた。それを見た彼女は眉間を抑えながらも納得したかのように頷いた。

「何となくだけど色々理解したわ」

「何を?」

 彼女は彼の質問を完全に無視すると、彼の瞳をじっと見つめて、食い気味に聞いた。

「聞きたいのだけど、あなたの家の間取りや家具の配置は今朝まで暮らしていた家のものと同じよね?」

 その質問に彼は首を二度、三度縦に大きすぎるほど振って肯定した。

「やっぱり」

「何がやっぱりなんだ?」

「まだ確信は出来ないししたくは無いのだけど、ここはパラレルワールド。並行世界の一つと考えられるわ」

「パラレ? 並行? 何だっけ? それ」

 聞き覚えはあるような気はするが、聞きなれないカタカナと漢字に混乱した彼がそう聞き返すと彼女は呆れ顔で、

「一度聞いた事くらいすぐに記憶しなさい」

 と勉強における記憶力が皆無と言っても過言ではない彼に上から目線で言い放った。

「パラレルワールドつまり並行世界というのは図に表した方が判りやすいわね」

 彼女はそう言うと近くに置いてあった彼の鞄から勝手にノートを取り出して、定規も使わずに綺麗な十字の線を引いた。

「縦の線を時間だと考えるとパラレルワールドというのは横の線」

「思い出した! 科学が発達した世界と魔法が発達した世界が横並びに存在するみたいなあれだろ!」

「どうせ、ゲームか何かで得た知識なのだろうけれど大体そのようなものね。今回の場合はあなたの暮らしてきた世界と私が暮らしてきた世界がその二つの世界に当てはまるわ」

(ゲームの知識もたまには役に立つものだな。受験勉強をおろそかにしてまでラスボスから同じような話を聞いた甲斐があった)

 彼の思考が何となくだけど理解できてしまったのか、彼女は呆れるような視線を彼へと向けた。

「つまり、ここもパラソルなんたらの一つって事か?」

「恐らく、あなたの世界と私の世界の中間地点がこの世界という事になるのでしょうね。あと、パラレルワールドよ」

 呆れるような視線をいい加減覚えろという怒りの視線へ変えて彼女は強めにそう告げた。

「そんなに怒るなよ。それでだ、ここがパラレルワールドって事は分かったけど、どうすれば自分の世界に戻れるのか分かるか?」

「そんなことまで分かる訳が無いじゃない。思い当たる節と言うとこの世界に来る直前に全く人の乗ってこない列車に乗ったくらいだけど」

 『全く人の乗ってこない列車』そう告げられて彼は先程乗って帰って来たあの黒光りした不気味な列車が頭に浮かんだ。

「陽奈も何か思い当たる節があったの?」

「人のいない列車なら俺も乗った。いつもは乗らない黒い列車だった気がする」

「この世界に来た理由はそれが原因と考えて良さそうね」

「戻れる方法が分かったなら早速駅に行くぞ」

 受験勉強を付き合ってくれた彼の友達以上恋人未満の女友達の口癖を引用するなら『思い立ったら即行動』という気持ちで彼は思い切りそう告げた。

「思い立ったら即行動するのは嫌いではないけど、駅には明日行きましょう」

「早いに越したことは無いだろ?」

「外は暗いし、じっとりと汗を掻いているから早くお風呂に入りたいわ。それに戻り方が分かったからと言って絶対に戻れるという確証は無いでしょ? 運良くあなたが見たという黒い列車が来るとは限らないし」

 そう告げた彼女はテーブルの上の食器を台所へ片付け、すたすたと浴室へ向かった。

「はぁ、何だよ、あいつは。別世界の俺のくせに頭良さそうだし、料理上手いし、女だし。似ている所なんて胸くらいだろ」

 彼は彼女が聞いたら教科書の角で思い切り殴られてしまいそうなことを愚痴りながら窓の外を覗いた。すると、人の気配どころか目に見える限りの建物の電気が全く付いていない事実に気が付いた。

「電話は、通じないよな」

 通じたとして、彼と彼女しかいないことは間違いないこの世界で必要性がないことは明らかであった。

「ふぅ、さっぱりした。あなたも入ってきたら?」

 彼女は随分と風呂に入っている時間が短く、彼女が浴室に向かってから出てくるまでまだ十分も経ってはいなかった。

「それじゃあ、俺も入って来るとするよ」

 入ると言ったはいいが着替えはどうすればよいのか、彼女は着替えをどうしたのかと考えていると、その思考を察した彼女は告げた。

「言い忘れていたけれど、私の部屋、きっとあなたの部屋でもあるのだろうけれどその部屋のタンスの中にあなたのものだと思われる着替えも入っていたわよ」

 彼は彼女に言われた通りに自分の部屋でありまた彼女の部屋でもある八畳の洋室へと向かい、男女関係なく使用可能なデザインのタンスを開いた。

「陽奈の言っていた通りみたいだな。それにしてもこの部屋も全然変わっていないな、何処からどう見ても俺の部屋だし」

 何か変わっている所は無いだろうかと、彼は部屋を物色した。全て自分の部屋と変わっていなかったが、唯一ベッドの下に隠していたはずのお宝だけがどこかに消えてしまっていた。

「取りあえず、風呂だ、風呂」

 陽奈に聞こえるか聞こえないか程度の小声でそう呟きながら脱衣所に向かうと、その途中に女性ものの下着……明らかに彼女のものである下着が落ちていた。

「うっぇ」

 何か変な声が出た彼は彼女の年相応に大人な下着を見無かった事にして脱衣所で服を脱ぎ、湯気が全く立ち上っていない浴室に何一つ違和感を覚えることなく入った。

「はぁ、家なのに疲れる。風呂くらいはゆっくりしよう」

 今日は普段よりも何気ない独り言の回数が多いような気がすると感じながら、そんな事は温かい湯に浸かって疲れと共に忘れてしまおうと彼は全く湯気の出ていない浴槽に右足を入れた。

 すると、彼はようやく日常的な違和感を覚え、途端に体中に寒気がした。

「うわっ、冷てぇ。って、これ、冷水じゃねぇか」

 すぐに脛程度まで冷水に浸かってしまっていた右足を浴槽から戻し、仕方なく温かいというより暑すぎるくらいの温度に上げたシャワーを浴びた。

 疲れを忘れる為に入った浴室でさらに疲れた彼は身体が冷えない内にそそくさと脱衣所で着替えを済ませ、未だに廊下に放置されたままの彼女の下着に再び、

「うっぇ」

 と変な声を出し、洗い物をしていた彼女をじっとりと怒りの眼差しで睨みつけた。

「さっきから何か用でも?」

「どうして風呂があんなに冷たいんだよ。それに廊下に下着を放置するな」

 彼はそう言って彼女の顔色を窺いながらそう言った。すると、彼女は頬を少し赤らめて、

「あなたは熱いお風呂が好きだったのね。ごめんなさい、多重世界の自分だから好みも同じものだと思っていたわ。それよりも、下着は触っていないわよね?」

「あぁ、触っていない」

 彼女はホッとした表情になりながらも、

「異性とは言え多重世界の自分に触られても困らないけれど」

 と開き直っていた。

(そんな余裕を見せるくらいなら今すぐ廊下に放置されている下着を片付けてくれないかな)

「下着の事は置いておくとして、今後の為にもお互いの好みを知っておく必要がありそうね」

「どうせ、明日までだろうし知らなくても良いだろ。あと、下着のことは置いておくな!」

 彼は普段なら近所迷惑になるほどの大声で叫んだが、彼女は彼の言葉など全て無視して話を進め始めた。

「好みの味は?」

「いきなりだな。味? 味なら甘いのが好きだ。あんこでもチョコレートでも甘いものならいくらでも食べられる。逆に辛いのは苦手だ」

 彼の母や妹、悪友からは、

「女みたいな好みだ」

 なんてからかわれていたが、こればかりは彼の好みだから他の誰にも文句はつけられない問題であった。

「私とは真逆ね。じゃあ、料理は?」

「全く出来ない」

 だからという訳ではないが、彼があんなに美味しい料理を作ることが出来る彼女の事が少し羨ましいと思わなかったという事は無かった。

「何となくだけど理解したわ。私とは全てが真逆なのね、性別も味覚も、知力も」

「最後のだけは余計だ」

 と、声を大にして言いたかった彼だが、彼女よりも彼の知力が格段に劣っていることはここまでの会話で十分明らかになっているのは明らかで、返す言葉が無かった。

「何を考えているのか何となくだけど理解出来るけれど、今日はもう寝ましょう」

「寝るってまだ十二時前だぞ」

「そう言われてもこれから何をするの?」

「何も決めていないけど」

 彼女は彼に嫌でも聴こえるほど大きな溜息を吐くと、

「それなら寝たって良いじゃない。寝たくないのなら寝なければ良いだけの話でしょう?」

 と、どうしようもないほどに反論のしようがない正論を吐いて彼と彼女の共通の寝室に行ってしまった。

彼の寝つきが非常に悪いという事は、その逆である彼女は寝つきが非常に良いようで寝室に行って五分としないうちにとても別世界の彼のものとは思えないほど可愛らしい寝息が彼の耳に届いた。

「散歩にでも行ってみるか」

 もしかしたら自分たち以外にもこの世界に来てしまっている人が居るかもしれないという淡い期待を抱いて彼は火照った身体に丁度良い具合に涼しい夜風の吹いていそうな外へ出て行った。

「静か、だな」

 いつもは車が絶えず行きかっている国道でさえも車が通っておらず、ただただ不気味であるというのにそれに加えてこの世界には期待していた夜風どころか、風自体が存在していないようで、さらに不気味で不快だった。

 散歩していると、彼の心を支配していた不安や恐怖といったネガティブな感覚が徐々にこの不自然過ぎる違和感に慣れたようだった。

 そして、携帯の時刻表示を見ると何時間も長々と歩き回っていたはずなのにまだ十二時一分前を示していた。

「まだ今日は終わっていなかったのか」

 彼と違って寝つきの良い彼女はまで心地の良い夢の世界に居るのはほぼ間違いないだろうが、万が一にも目が覚めた時に心配させる訳には行かないので、彼はこの世界での探検をこの辺で区切りを付けてまた明日に持ち越すことにした。


***


 携帯の時刻表示が十二時を示したその瞬間、この世界に大きな鐘の音に似た音が鳴り響いた。


***


 気付いた時には彼は寝室のベッドで横になっていた。

「夢? あの世界も、女の俺も全て」

 それがくどいほど長い悪夢ならどれだけ良かった事だろう。

「この声」

 自分の声に異変を感じた彼はすぐに自分の姿が映る物を探して自分の姿を映した。そこには氷川陽奈ではなく氷川陽奈が映っていた。

 ……この表現では間違いなく彼女に陽奈レベルだと馬鹿にされてしまいそうなので、もう少し的確な表現をしよう。

自分の声に異変を感じた彼はすぐに自分の姿が映る物を探して自分の姿を映した。そこには男性の氷川陽奈ではなく女性の氷川陽奈が映っていた。

「何がどうなっているんだ?」

 このパラレルワールドで日を跨いだ彼らの身体と精神は『もしも』の世界による悪戯によって入れ替わってしまっていた。


 『もしも』の世界による悪戯で邂逅した彼と彼女。

 『もしも』の世界による悪戯で身体と精神を入れ替えられてしまった彼と彼女。

 果たしてヒカワヒナの物語はどんな未来へと辿り着くのか。ここから先の物語はまた近い未来で語らせていただきましょう。


語り手 古本屋栞

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