第860話 失物と得物


 不味い、非常に不味い状態に今俺は陥ってしまっている。勢いとその場のノリだけで俺は結構無茶なことをさせられそうになっているのだ。


 冷静になればなるほど今の自分の状況が分かってきた。なんせ、目を瞑って人と戦うなんてかなりの無理ゲーなのだ。俺に勝算がないわけではないのだが、いかんせん厳しすぎる。でも、やらなければならないという地獄の状態。


 そんな結構詰み直前まで来ているこの時に、手合わせする騎士長様が俺のことを嫌っているという、なんとも帰りたくなる案件だ。


 でも俺にできることは腹を括ってこの戦いに挑むことだけ、という……


 まあ、負けたら負けたらで自害するのは決まってたんだ。潔く覚悟を決めよう。それにさっき言った俺の僅かな勝算もある。


 それはスキルだ。仙人になる過程で俺は周りの気配を感じるという修行を行なった。自分を消して周りの状況を探るという奴だ。それを上手く戦いに活かせれば、と思っている。


 ただ、日常を俺が一方的に観察するのとは訳が違って、戦いとは刻一刻と戦況が変わり続けるものだ。そして、相手もまた同じようにこちらを見ている。さて、どこまで戦えるものだろうか。


「では、二人とも準備はできたかの」


 王様が直々に執り行ってくれるらしい。こういうところで亡命したことによる人手不足を感じるな。ってそんなこと考えてる場合じゃない。集中、集中。


「構えて、始めっ!」


 俺はその言葉と同時にスキルを発動した。叡智啓蒙、周りの情報を獲得するためのものだな。これがどこまで使えるかだが……


 どうやら相手の騎士長様は様子を窺っているみたいだ。確かに、目が見えなくても戦えると言った奴だ。何をしてくるのか分かったもんじゃない、警戒するのは当然だ。こちらとしては何も策がないから警戒してくれるだけありがたい話だ。


 だが、俺が何もしてこないことが分かったのか、すぐさま俺との距離を詰めてきた。手には恐らく長剣。おいおい、目が見えない奴を問答無用に切り捨てるつもりかよ、容赦ねえな。


 俺は得られた情報を元に感覚的に避けた。ただ、あくまでそれは俺の視覚以外からの情報なので、俺の読みも推測の域を出ない。不安は残るものの思い切って、体を半身にして躱す。


 思いっきり横に飛んで避ければ良いと思うかもしれないが、なるべく相手との位置関係を変えたくないのだ。それに避けた先に何もないとは限らない。その為、俺はあまり大きく動くことができない。


 顔の前を何かが通り過ぎる。何かと言っても剣以外あり得ないのだが、思ったよりもギリギリだったみたいだ。いや、これ怖いな本当に。常に正解の分からないクイズを迫られているようだ。手がかりはあっても確証は掴めない。だから全ての行動に迷いが出る。


 だが、初撃を避けたからか相手は少し驚いているようだ。まさか本当に避けられるとは思っていなかったらしい。いや、それに関しては俺の方がいろんな意味で驚いているんだが。


 その後も迫り来る連続攻撃をなんとか躱していく。そして、俺はあることに気がついてしまった。


 視覚がなくても意外と戦える、ということに。


 全ての挙動にはそれに伴う、世界の事象変化が発生する。こういうととても難しいことを言っているみたいだが、例をあげると、剣を振るうという動作にも僅かに衣擦れの音や空気の流れの変化、地面の振動などさまざまな変化が起きているのだ。


 本来ならばそれらは意識に留まるほどのことではないが、視覚が奪われたことによって逆にそれらに敏感になっているのだ。まあ、もちろん叡智啓蒙によって感覚が鋭くなっている上での話だが。


 つまるところ、なんか慣れてきた。


 相手の動きも手にとるように分かってきたし、反撃の余裕も今まで何度かあった。でも、もうちょっと慣れるために、終わらせたくないから避けることに徹している。


 でも、慣れたことで分かったこともある。それはスピードの問題だ。視覚であれば情報を受け取って瞬時に体を動かせるが、今の状態だと情報を受け取って処理して、そこから行動を選択しなければならない。


 ただでさえ、触覚からの情報は一旦脊髄を経由して脳に送られるから、どうしてもラグが発生してしまう。


 このまま延々と騎士長様を練習相手にしても良かったのだが、流石に一朝一夕でどうにかなるものでもなく、程なくして俺は騎士長の顔面に拳を寸止めさせることで手合わせを終わらせた。


 今回の手合わせは俺にとっても今後の希望と課題が見えるとても良いものであった。


 ……実は、寸止めと言っても目が見えないから、チョンっと鼻先が触れたのだが、それはまあお愛嬌だろう。

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