第377話 意義
あれからどれくらいの間、死に続けていただろうか。
俺はその間、一向にスキルを獲得できなかった。死ねど死ねど情報流入量は増えてる感じは確実にあるのだが、イマイチスキルに結び付きそうな感じがしないのだ。
今ではかなりの莫大な量の情報を処理できるようにはなっていると思う。それこそ前と同じ雪山にいけば、山の麓まで範囲を広げられるくらいにはな。
ただ、それでも人間、というものが恐ろしいのだ。無数にいるくせに、一人一人の存在感がとてつもなく強い。更にいえば、その人間の中にも飛び抜けて強い奴なんてのもいるのだ。そんなことされちゃ、キリがないのだ。
やはり、地道に鍛えていくしか無いのだろうか? 師匠はかなりの広範囲いけるっていってたしな。やはり、仙人はそれだけのすごいんだな、あんななりだからついつい舐めちゃうよな。
ただ、諦めたくもないんだよな。アイツに負けるみたいだし、それと同じ理由で頼りたくもない。自分でなんとか仙人へ到達したいのだ。
仙人になるには、爺さんはなんて言ってたっけな……確か、「まずはもっとその感覚を養うのじゃ。もっと大きく、そしてもっと広く感じ取れるようにするのじゃ」的なことを言ってだ気がする。
つまり、感覚を広げるということは確かに、世界の神秘に触れる為に必要なのだが、広げるだけじゃダメってことだ。なぜならまずは、って言ってるからな。
なら、どうやって世界の神秘に触れる? 感覚を広げて、膨大な量の情報を処理できるようになっても意味はないってことだろ? んー、なぜ感覚を広げる必要があるんだ? 分からんな、取り敢えず、それを意識しながら、もう何回か死んでみよう。
……それから、もう何十回、百は恐らくいってないと思うが、およそそのくらい死んだ。やはり、スキルは獲得できなかった。いつもと何が違うんだろうな。
だが、何度も死んでいる内に、なぜ感覚を広げる必要があるのか、が分かった。それは、恐らくだがそれは……
一点に集中させる為だ。
感覚をいくら広げたところで、入ってくる情報量が増えてくるだけだ。そして、それは今よりも格段に感覚範囲が狭かった昔とさほど変わりはない。なんせ、ただ世界をありのままに感じているだけだからだ。その範囲が広がったところで感じ取れる世界の範囲が広がっただけとも言える。
更にいえば、その範囲というものは自分を中心にしているため、自分が移動することで別の場所を範囲内にいれることすらできる。
つまり何が言いたいかと言うと、広げることそのものにはあまり意味がないと言うことだ。広げたところで終わりがない、この世界が続く限りはな。もしかすると、そのせいで、スキルを獲得できなかったのかもしれない。まあ、それは置いといて。
感覚を広げる必要性がそこまで見出せない、となると、なぜ広げるのか、ということになる。そこを考えると、広げることが本質ではなく、感じ取れるようになること、の方が重要なのではないか、と考えるようになった。
そしてその理由は、やはり広がった感覚で、ただ一つのものを感知することにあるのではないだろうか。
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