第32話
時は二時間前までさかのぼる。
玄井門火夜は研究室を後にした天晴が心配になりながらも動けずにいた。
圧倒的な実力の差。
技量も、経験も、それこそ覚悟や信念ですらも、火夜の持つなにもかもが律華には及ばなかった。
ただただ純粋な敗北。
自分は天晴のためになにもすることが出来なかった。
その事実が彼女の胸に深く突き刺さって何か言葉を発するという選択肢を与えなかった。
そんなとき、研究室に誰かが訪れた。
Dr.ウィリアムがどうぞと言って入室を許可すると、そこに現れたのはかつて天晴と同じパーティーだったアーサー・ロードントとオーラの二人。
何かトラブルでも起きたというのか、二人は全身に傷を負い、それ以上に深刻な顔をしていた。
「いったいどうしたんだ二人とも。 何があったんだい?」
「ああいや、このケガなら気にしないでください。 命に別状はありませんから。 ……それより、天晴達が大変なんです。 このままだとあいつに、ミノタウロスにやられてしまう」
アーサーが言い切ったそのとき、新たな訪問者が勢いよく研究室のドアを開けた。 現れたのは武具ショップの店主メイタンだった。
「ちょ、ちょちょちょっと~!? あっぱれちゃんが一人で閉鎖ダンジョンに向かったって噂になってるけど、いったいどうなってるの~!? ……って、あれ? アーサーちゃんにオーラちゃんも。 皆どうしてここに集まって……」
「……メイタンさん。ちょうどいい、どうせなら皆さんにこの話を聞いてほしい」
手当てを受けながらアーサー達は事の経緯を全て話した。
そのほとんどは火夜や鈴華にとっては一度律華から聞いた話ではあるが、さすがに天晴が律華を助けようと単身ダンジョンに向かったことには驚かざるをえなかった。
「……今、天晴は一日一度までが限界のリミッターを解除した状態です。 おそらく律華達のところに駆けつける頃にはほとんど力を残していないでしょう。
お願いです。 天晴を、律華を助けてください……」
アーサー達はその場で深く頭を下げ懇願した。 それを、なだめるわけでもなくただ厚いレンズの奥底で見下ろすドクター。 彼は何も言わず立ち上がって、隣の準備室へと姿を消した。
それだけでなく、メイタンまでもがちょっと待っててとだけ言って駆け足で部屋を後にしてしまった。
しばらくしてドクターが戻ってくる。 その手には500mlペットボトル程の大きさをした何かの機械が握られていた。
鈴華が尋ねる。
「ドクター、それは?」
「……これは携帯用の操作機さ。 半径5m以内の至近距離限定で体内のナノマシンを操作することが出来る。 これを使えば、1日3分に設定されていたリミッターを引き伸ばすことが可能だ」
「なら、これを直接持っていけば……!」
「ああ、椿井君の本来の戦闘能力が取り戻され、十全な状態で戦うことが出来るだろうね」
ドクターが持ち出した機器の登場により希望が見える。 しかし、まだ問題があることを火夜は指摘した。
「……けど、いったい誰がそこまで持っていくの?」
「うん、そうだね。 いったい誰が持っていこうか? 場所は20階層付近の砂原地帯。 そこまで辿り着ける人間は限られている」
「そんなの決まっている。 僕が持っていきます」
威勢よく立ち上がるアーサー。 しかし直後天晴から受けたダメージによる肘の痛みを覚えて短い悲鳴を漏らす。
「……そのケガで行くと言うのかい?」
「……ッ! けど! そうするしかないじゃないですか! もうあんな想いは二度としたくない。 仲間を犠牲にして助かって、この四年間まるで生きた心地がしなかった!
この身がどうなろうと、二人が助けられるなら僕はそれでも構わな……」
そのとき、ドクターの手が動いた。
相手が言い切る前に手を振り上げ、有無を言わせず強く頬を叩く。
「……!? なにをするんですか!」
「なにって、教育だよ。 まったく、誰も彼も自己犠牲を美徳かなんかだと勘違いしている。 思春期特有の、青く浅く、極めて短絡的な思考だ」
「仲間が命が懸かっているんだ! そんなものと一緒にしないでください!」
「一緒だよ。 君達がやっているのはただのヒーローごっこ。
そうじゃないだろ、君達探索者がやるべきことはそんなことじゃあないはずだ。
狡猾で、冷徹で、目的のためにあらゆる手段を模索する。 それが探索者というものだろう。 個人の心情なんてどうでもいい。仮に君をダンジョンに行かせたとして、二人を見つけだせるのか? いや、そもそも辿り着くことが出来るのか?」
「それは……」
「出来ないだろう。 【パラディン】職の、ましてや満身創痍の君ではこのミッションに適正がない」
「わかっていますよそんなことは! けど誰に任せられると言うんですか!? 自分達身内の私情のためだけにダンジョンを封鎖し! あげくの果てには助けてくれだなんて! いったいどの面下げて頼めと言うんですか!」
「頼めよ。 恥を晒して、無様に這いつくばって、名誉や地位をかなぐり捨ててでも僕の仲間を助けてくださいって頼んでみせろよ。 出来るだろ。仲間の命が懸かっているんだから」
「 け、けれど、いったい誰に! 今から人を探していたら時間が……」
アーサーが問うと、ドクターは人指し指を立てて探偵ドラマの謎解きシーンが如く声を一際大きくさせた。
「求められる条件は3つ。 ナノマシンを含め椿井君達の事情を十二分に理解しており、20階層のモンスター相手でも難なく対処できる能力を有し、そして、特定の人物の居場所を探知する手段を持つ者だ。
……僕の知る限り、これらの条件を満たす探索者は一人しか存在しない」
ドクターは振り返り、火夜の目を見てそう告げた。
「……玄井門君、頼まれてはくれないか」
「……!」
そのとき、火夜の中で何かが覚醒する感覚があった。
今、この状況で、天晴を助けられるのは自分しかいない。
ずっと心の支えにしてきたダンジョン太郎。
命を救われ、強さ、優しさ、仲間の大切さを教えてくれた恩人。
その恩人に今、恩を返せる時が来たのだと言う。
そのことに、不謹慎ながらも喜ばずにはいられなかった。
火夜は迷わず承諾した。
「私、やります。 この機械を届けて、あっぱれも、浅黄瀬生徒会長も助け出す」
しかしこれにアーサーは猛反対する。
「そんな! 無茶だ! 君だって律華と戦ったばかりで消耗しているだろう! それに入学してまだ二月しか経っていないのに20階層だなんて……!
僕達の問題に、君が身を賭して巻き込まれる必要なんてないんだ!」
「……巻き込まれるだなんて言わないでください。 私はあっぱれのパーティーメイトです。 仲間なら、助けに行くのは当然のこと。
直前の階層ボス〈獄鬼兵グズモ〉なら倒す寸前まで追い詰めました。それに私には【探魂】のスキルがある。 他の誰よりもいち早く天晴達を見つけ出すことが出来る。ケガだって、動けないほどじゃありません」
「装備はどうするんだ! 君の刀は律華に折られたはずだろう!?」
「刀ならあるわよ!」
「えっ?」
アーサーの問いかけに返答したのはちょうど戻ってきたばかりのメイタン。彼女の手には一振りの日本刀が握られていた。
「メイタンさん…… その刀は……」
「あなた達の話を聞いたときにこれが必要になると思ってね。 急いで取りに戻ったの。今ウチが取り扱っている中で最高の刀よ」
あまり走ることに慣れていないのか、メイタンは肩で息をしながら部屋に入ってそれを火夜に渡そう差し出とした。
「……クロカヨちゃん、使ってちょうだい。 あっぱれちゃん、りっかちゃんを助けてあげて」
「メイタンさん……」
「……私もね、彼に救われたクチなの。 こんな、ゴリゴリの見た目してオネエなんて、世間からは白い目で見られて、でもあっぱれちゃんだけはそんな私を認めてくれた。 立派な個性だって受け入れてくれた。
私はそんな彼の力になりたくて一生懸命装備面でサポートした。 いつだって、何があっても彼を守ってくれるように最高の装備を用意した。
……なのに守れなかった。 四年前、彼はボロボロになって帰って来た。あのとき私は自分の無力さを責めた。
けれど、またチャンスが来た。 私の装備で、彼を守るチャンスが」
メイタンがそう言うと、彼女に倣ってドクターも操作機を火夜に手渡そうと差し出した。
「僕も同じさ。 ナノマシンを用いることでしか彼を救えず、自分の無能さを呪った。
けれど、彼は僕に言ってくれたんだ。 ドクターのおかげでまた探索者が出来るよ。 ありがとうってね。
……だから、だから今度こそ誰も傷つかず帰って来てほしい。 玄井門君、君になら託せる。 どうか椿井君達を救ってくれ」
「ドクター……! はい! わかりました!」
三人がそんなやり取りをしている中。 アーサーは未だ納得出来ていないようだった。 それを諭すように肩を撫でて、一歩前に出るオーラ。
「……二十階層まではウチが送り届けるにゃ。 ダンジョン内の装置を使うよりずっと早いはずにゃ」
「オーラ!? 君まで何を言い出すんだ!?」
オーラはただ首を横に振って答える。
「アーサー、ウチだって願うことなら自分の手で助けたかったにゃ。 けれどドクターの言うとおりこんな体じゃどうにもならないのにゃ。
……何も難しいことなんてない。 あっぱれが信じたこの子を私達が信じて託す。 これは、たったそれだけの話なのにゃ」
オーラがそう言うと、アーサーは何かを繰り返し考えるようにして黙りこくってしまった。
そして数秒後、懐から何かのアイテムを取り出して火夜の手に握らせる。
「これは?」
「……〈砂塵の護符〉さ。 これが無いと二十階層以降の探索がままならないからね。 君はまだ持っていなかっただろう?」
「でも、こんな貴重なもの……」
「誰もあげるなんて言ってないさ。 あくまで貸すだけ。 天晴達を連れて、これを返すために絶対に君も無事に帰ってきて。 ……約束だ」
「……もちろんです。 絶対に三人無事に帰ってきてみせます」
四人から想いを託され、火夜は一度探索用装備に着替えるため研究室を後にした。
そうして戻ってみると、部屋の入り口前でたむろする鈴華の姿。
「浅黄瀬さん?」
「……ああ、おかえなさい。 しかしまあ、よく引き受けましたね」
「あっぱれがピンチだから…… 今度は私が助ける番」
「……そうですか。 ……頑張ってください。 私は何もしてあげられませんけど」
「……拗ねてる?」
「ばっ……! 拗ねてなんかいませんよ! た、ただ。 こんなときに私だけ何もしてあげられないのが歯痒くて……」
「それを拗ねてるって言うんじゃ?」
「うるさいです! ほら、私なんかに構わず急いでください!」
鈴華は追い払うように左手を振る。 しかし火夜は何故かその場から動こうとせずこんなことを言い出した。
「……ねえ、手、握ってもいい?」
「手……? べ、別にいいですけど……」
いったい何をしようというのか、疑問に思いながらも乱暴に手を差し出す鈴華。
そして火夜の手が触れたとき、彼女はすぐさまあることに気がついた。
「ちょ、ちょっと。 すごく震えてるじゃないですかっ。 もしかして、玄井門さん……」
「うん…… 正直、ものすごく怖い…… あのミノタウロスがいるところに自分が行くんだって考えるとそれだけで怖くなる……」
それは無理もないことだった。
全盛期の天晴と引き分けたという事実。
自分が完膚なきまでに打ちのめされた律華ですら恐らく勝てないだろうという事実。
そして、グズモ戦にて実際に目の当たりにしたミノタウロスの狂暴性。
それらを前にして臆さないでいられる程火夜の精神は強くなかった。
「い、今すぐドクターに伝えましょう! どうにかして、別の人に……」
鈴華が急いで踵を返し研究室に戻ろうとした。 しかし火夜がさらにその手を強く握って制止をかける。
「待って浅黄瀬さん。 そうじゃないの……」
「玄井門さん……? いったいなにを……」
「確かに怖いよ。 今すぐにでも逃げだしたくなるほど怖い。 けど、逃げたくないの。 天晴が待ってるから、皆に託されたから、私は怖くても立ち向かいたい。だから浅黄瀬さん、お願い……」
少しの間。 一拍置いた後、火夜が再び口を開く。
「私に勇気をちょうだい……」
「……!」
火夜は震える声でそう言った。
彼女の本心を知った鈴華。 少しだけ考えた後、意識を集中させてスキルを発動させる。
「【ヒール】」
すると、火夜に癒しの波動が伝わっていく。
それは回復処置とはほぼ無縁の行為。 大した意味のない、まじない程度の役割しか果たさない代物だ。
しかし、それを受けた火夜は自ずと笑みを溢していた。
「フフッ……」
「……まったく、世話のかかる人ですね。 けど、今のでちゃんと託しましたよ。 スズ自身を、今、あなたの心に預けました」
「うん、ちゃんと伝わってきた。 誰よりもあっぱれのことを想う浅黄瀬さんの気持ち。
形なんてないけど、それが一番私の力になる」
「大げさですよまったく! さっ、いってらっしゃい!」
「うん! いってきます!」
小さな拳を互いに合わせて少女達は誓い合った。
そして火夜は天晴達のところへ向かう。
人々の想いを一身に背負って、風となり、駆けた。
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