第31話
我は荒野をさ迷う獣。
生まれたとき、既に"力"を有していた。
重く、大きく、力強く。
定められた生存競争の中で常に勝者であり奪う側の存在だった。
故に孤独。他者を理解できず、他者に理解されることもない。
か弱き者のように群れることすら許されず、ただ目の前を過ぎるだけで恐れられる。
ただ歩くだけで美しい草花を踏み潰し、ただ声を上げるだけで空を轟かし鳥を落とす。
命を愛でようとも、命を賭けることでしか触れることすら叶わない。
獣は、あるいは怪物は、そうすることでしか生きられないのだろう。 本能のまま他者の命を奪うことしか出来ない定めなのだろう。
しかしそこに何の意味がある?
何も産み出すことなど出来やしないのに、ただ命を喰らうことに何の価値があるというのだろう。
悩んだが、答えはなかった。
ただ目の前に戦場があれば、およそ思考というものは黒い本能に侵された。
そしてまた闘争の道を辿る。
ただの一度も満たされることもないまま、血の跡を引きながら前へと進む。
誰か、誰か止めてみせろ。
誰だ、誰が止めてくれる。
女……
深い憎しみをその眼に宿した人間の女……
おまえが我を止めるというのか。
その紅い槍でこの心臓を貫くというのか。
おもしろい……
やれるものならやってみろ……!
◆ ◆ ◆
「出たわね、ミノタウロス……」
地下ダンジョン14階層。 砂塵が舞うその砂原地帯に、双つの雄が相対した。
片や魔槍を携えた少女、浅黄瀬律華。
片や石斧を携えた隻腕のミノタウロス。
「ヴオォン……」
「私のこと、覚えている? 浅黄瀬律華。四年前、あなたに挑んでものの見事に負けたの。 ……そして、大切な仲間を傷つけられた。ごめんなさい、私のために死んで」
そう言って、律華は得物を構える。 出し惜しみなどしない、魔槍ヴィルムが持つ全ての力を彼女は解放させていた。
「迸れ神雷…… 【ケラウノス】!!!」
膨大な電気がみなぎり、うねるような異音を奏でる。
まるでライフル銃のように矛先を差し向けた律華は、躊躇うことなくその雷を放つ。
【ケラウノス】、かつてギリシャ神話にて語られた最高神ゼウスの雷そのもの。
不浄を裁き、真理に迫る、 まさしく全能の象徴とされる究極の一撃。
ただミノタウロスを倒すためだけに律華が編み出し研ぎ澄まし続けた復讐の刃だ。
稲光、僅かに白く灯って次の瞬間には対象を貫き焦がす。
「ブモォォォォ!!!」
直撃してミノタウロスは雄々しい悲鳴を上げるも膝をつくことはなかった。
しかし律華はこれを予見していた。 彼女は既に次の攻撃の準備へと移っており、上空に跳んでは渾身の一撃を繰り出した。
「【流星・紅蓮閃翔槍】!!!」
魔槍ヴィルムは使用者の血を吸うことで何倍にも鋭さを増す。
律華が繰り出した一撃はその魔槍ヴィルムの能力を最大限に利用したもの。
自身の血を許容量の限界まで与え、まさに命を懸けた絶対的威力を誇る一撃だ。
迫る衝撃、震える空間。
まるで遥か上空から月が墜ちたかと錯覚するようなその巨大な光は、対象の目にはほんの少しスローモーションで映し出された。
しかし避けることはかなわず。
逃げ場のないミノタウロスは、まるで奥の手と言わんばかりに咆哮した。
すると、その体表に赤い線が走る。
すなわちそれは、ミノタウロスが強化状態に入ったことを意味していた。
ミノタウロスが巨斧を振り上げる。迫る魔槍を打ち返そうとする。
拮抗。 もはや周囲全てを飲み込みかねないその光と衝撃がしばらくの間続いては、ミノタウロスはその一撃を防ぎ切ってしまう。
……とはならなかった。
「自己催眠による混乱、そして強化状態への移行…… それくらいの手段を持っていることくらい予想していたわよ!」
ミノタウロスが魔槍に気を取られていたそのとき、律華は【暗足】のスキルを用いて相手の懐に潜り込んでいた。
そして間髪入れずに一つのアイテムを取り出す。
それは〈全効ミスト〉というスプレータイプのアイテム。 効果は、対象者に付与されたあらゆる状態異常を回復させるというもの。
これによりミノタウロスは理性を取り戻した。 無論、辛うじて魔槍の進行を防いでいた力を代償にではあるが。
「!?」
驚くよりも先に魔槍が一際力を増して押し迫る。
焦りを隠せないミノタウロスだが、その足元にて同様に危険な状態にいるはずの律華は対照的に穏やかな表情を見せた。
「……さあ、魔槍ヴィルムよ。 この身、この命を喰らうがいい。 私もろとも、こいつを殺せ!」
もはや決着はついたと言わんばかりに、律華は何をするわけでもなくただその紅い光を見上げた。
風と光に晒されながら、なびく髪を気にも留めずただそのときを待つ。
はじめから、彼女はこうなることを望んでいたのだ。
「みんな、最後までわがままばかりでごめんなさい…… けど、こうするしかなかった。 これだけが、唯一の償う方法だった……」
一筋の涙に頬を濡らしながら少女は静かに目を綴じた。
瞼の裏、そこには様々な記憶や思い出がビジョンとなって映し出される。
最後に思い浮かんだのは笑う天晴の姿。
少女は少年の姿を思い浮かべながら、最後にただ一言ごめんなさいと述べた。
「りっかァァァァァァァ!!!!」
そのとき、少女の名を呼ぶ一つの声があった。
こちらに近づいてきているのか、少しづつ大きくなるその叫び声。 気がついて目を見開いたときにはもう、その声の主は既に呆然とする少女の体を抱き抱えていた。
「天晴!? どうしてっ……」
「喋んな! 舌噛むぞ!」
断崖を駆け上がるガゼルが如く、接近した勢いを維持したままさらに蹴りだして加速する。
直後、二人の背後で魔槍による大爆発が起きる。 背中が焼けるような感覚を覚えながらも、二人はなんとか離脱することに成功した。
距離を取り、硝煙が立ち込める着弾地点を尻目に二人が顔を見合わせる。
「どうして助けたの!? あのまま死なせてくれたらよかったのに!」
「ふざけんな! おまえが死んで、俺も皆も喜ぶと思ってんのか!」
「……っ」
「仲間だろ、俺達は……! アーサーだって、オーラだって、もちろん俺だって、おまえのためなら地獄に落ちたって構いやしねえんだ!
……だから一人で死のうとすんな。 おまえがピンチのときはいつだって俺が助けにきてやる」
気づけば律華は俯いていた。決してその顔を見せようとはせず。しかし今にも感情が溢れそうになっていることがわかる。
「……律華、わりぃが泣くのは早いぜ」
そして天晴は何かに気がついたのか律華ではなく硝煙の無効に視線を向けていた。
驚く律華。
倣ってそちらを見てみれば、巨大な影が今まさに動き出さんとしていた。
「そんな、バカなっ……!」
「はっ、やっぱりタフだねぇ。 四年前よりさらに強くなってやがる」
動揺する律華、比較的余裕な表情を見せる天晴。 しかし彼も薄く冷や汗をたらしていたことから決して余裕などではないことがわかる。
「戻れヴィルム!」
律華が命じると地面に深く刺さった魔槍ヴィルムがひとりでに動きだし宙を泳いだ。
そうして何事もなく持ち主の手に戻り、律華はすかさず【ケラウノス】のスキルを繰り出した。
「ヴゥゥオォォォ!!!」
まるで人が己自身に喝をいれるときのようにミノタウロスは大きく吠えた。
吠えて、体全体を使い巨斧を振り降ろす。
理解を拒む破壊の圧。 それは風を裂き空を裂き雷すらも真っ二つに引き裂いた。
しかしその隙を突いて天晴が回り込む。
懐に潜って肘を引き凄烈なトンファーの一撃を相手に与える。
「オラァ!」
「……」
しかし相手からの反応はない。
「あ、あれ?」
驚くのもつかの間。 ミノタウロスは対象を天晴に切り替え、無慈悲にも頭を大きく薙ぎ払いその太角で天晴を吹き飛ばす。
「ぐあああ!!!」
咄嗟のガード、そして的確な受け身により致命傷を避ける天晴。 しかし、その表情は決して明るいものではない。
「くそ…… やっぱりアーサー達のときに力使っちまったのが効いてんな……」
「天晴!? いったいどうしたの!?」
「ちょっとここまで来るのに消耗しすぎたみたいだ! わりぃが攻撃じゃ役に立ちそうもない! フォーメーションを切り替えるぞ!」
「了解!」
かつては共に死線を潜り抜けた者同士、そのやり取りだけでお互いが何をするかを読み取った。
天晴は惑わすように執拗に動いて撹乱し、そちらに注意が逸れたところに律華が着実にダメージを与えていく。
驚異的なコンビネーション。
しかしミノタウロスはまだ倒れない。
「しぶとすぎんだろ!」
「さすがにおかしい……! もしかすれば、何か特殊な能力を持っているのかも……」
「特殊な能力って?」
「生半可な攻撃はことごとく無効化されているようにも見えるわ。
確実に倒すためには、少なくとも【流星・紅蓮閃翔槍】を越えるほどの威力じゃないと……」
「おいおい、そりゃ実質詰んでるってことじゃねえか」
「……」
天晴が冗談めかすようにそう言うと、律華は返事をしなかった。 どうしたのかと様子を伺う。 すると彼女は意を決したかのようにこんなことを言い出した。
「……天晴、私が囮になる。 その間にあなたは逃げて」
「なに?」
「私が囮になるって言ってるの! 二度言わせないで!」
「そんなの聞けるわけねえだろ!」
「どうして!? あのときはあなたがそうしたんじゃない! こんなときくらい、守らせてよ!」
涙まじりの悲痛な訴えかけに天晴はつい言葉をつぐんだ。
自分がミノタウロスを倒そうとした。 それを天晴が助けに来た。
何も変わらない。 四年前のあのときと自分は何も変われていなかった。
だったらせめて自分の不始末は自分で取る。
ここで天晴を巻き込むことなど、彼女の本望ではなかったのだ。
そして、その想いが十分に理解が出来るからこそ天晴は何も言い返せなかった。 しかし彼はふとこう切り出した。
「……おまえの気持ちよくわかるよ。 もし自分なんかの命で助かる奴がいるなら、それが自分にとってかけがえのない存在なのなら、喜んで命を差し出そうってな。 俺も、四年前はそうだったよ」
「……だったら!」
「……けど、それじゃあだめなんだよ。 人間は一人じゃねえんだ。 どれだけ拒んでも、望まなくても、生まれたときから人と繋がらずにはいられない。 自分が死んだら、絶対に悲しむ奴がいるんだよ。
人の命の価値に差なんてない。 犠牲になるべき存在なんて、この世のどこにもいやしないんだ」
「ならどうするって言うのよ! 誰も犠牲にならずにどうやってこの状況を切り抜けられるの!?」
「……そうだな。 こんなピンチ、俺とおまえだけじゃどうやっても無理だ。
けど、俺には今新しい仲間がいるんだ。 一緒に強くなろうって約束した頼れる仲間がいる」
「いったい何を言って……」
「わからないか? 風はすぐそこまで来ているぜ?」
ミノタウロスが動き出す。 悠然と一歩ずつ近づいて、間合いに入ったところで巨斧を振り上げる。
大地を踏み締める。 柄を握り締める。
遠心力に身を任せながら、背の筋肉に力を込めて軸を定める。
そして、今まさに天晴達を葬らんと振り降ろそうとしたそのとき。
そのとき、一つの風が吹いた。
「【禍断之剣・神颪】!!!」
砂塵を巻き上げる極大暴風。
通常時よりもさらに威力を増したその攻撃は、ミノタウロスの攻撃と相反し打ち消した。
「なに!?」
突然の事態に律華が振り向いた。 数十メートルは離れた遥か後方。そこにいたのは、一振りの刀を携えた一人の少女だった。
「へっ、やっと来たかよ!」
天晴はにやりと笑う。
待ち焦がれた仲間の登場。
玄井門火夜の登場に歓喜した。
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