第29話


 私にとって浅黄瀬の名は足枷でしかなかった。

 

 私は幼い頃から優秀な人間だった。ピアノでも習字でも、勉強でもスポーツでも私は常にトップであり続けた。

 

 しかしどれだけ努力しても、どれだけ結果を出しても大人達は私を浅黄瀬の名で呼ぶ。

 

 さすが浅黄瀬のお嬢さんだ。 これであの家の将来は安泰だな、と。

 

 まるでそれが家の手柄かのように、まるでそれが当然であるかのように、私個人のことは然程重要でもないかのように。

 

  大人だけじゃない。子供達だってただの1人も私のことを律華と呼んでくれたことはなかった。 浅黄瀬さん、と。 小学生同士にしてはどこかよそよそしい呼び方で接してくる。

 

 ある日、仲のいい友人に思いきって提案したことがある。 下の名前で呼び合おうと。

 

 しかしその子は少し困ったように苦笑いして、そんなの浅黄瀬さんに悪いからと誤魔化されてしまった。

 

 そのとき私は知った。 この名がある限り私に友など出来はしないのだと。 この名がある限り、私は律華として見てもらうことも、生きることも出来ないんだと。

 

 苦痛だった。

 

 自己を疑うのはとてつもなく苦しいことだった。

 

 

 「くっそ、生徒会の連中調子に乗りやがって。 特にあの新しい生徒会長、女のくせに生意気なんだよ」

 

 「たしか学園長の娘なんだっけ? あーあー、やだね。 どうせ当選したのもコネなんだろ……」

 

 「ん、どうした?」

 

 「あ、あれ……」

 

 「げっ! 浅黄瀬律華!」

 

 「……」

 

 「ど、ども……」

 

 

 高校2年生の春。 廊下を歩いていると自分の陰口が耳に入ってくることなんて日常茶飯事。 めんどくさいし、少し睨んでやれば相手もすぐに黙るので基本的に相手にはしない。

 

 中には私に喧嘩を売ってくる粗野な生徒もいたりする。 が、何人寄越してこようと負けることなど一度もなかった。

 

 このエーデア迷宮学園は私にとって非常に都合の良い環境が整っている。

 

 完全な実力主義。

 

 家柄だけではどうにもならない試練、修羅場の数々。

 

 何より、そこで大きな成果を上げた者は他の誰とも違う唯一無二の二つ名を授けられるのだ。

 

 外の生ぬるい世界に不満を覚えていた私は、ここでなら本当の自分を見てもらえる、ここでなら本当の自分の実力を発揮できると考え進学を希望した。

 

 けど、私はそこではじめて挫折を知った。

 

 負けたのだ。 トップになれなかったのだ。

 

 入学試験では屈辱の2位通過。 その後も、私はとある1人の男に遅れを取っていた。

 

 男の名は椿井天晴。 何を隠そう私の元パーティーメイト。 そして古い幼馴染みでもある。

 

 天晴との出会いは小学4年生の夏。 家族とともに九州へ旅行に行ったときのことだ。

 

 そこで浅黄瀬家が経営する孤児院の子供達と一緒に海で遊ぶことになった。

 

 病室に籠ることが多く同年代の友達がいない鈴華のことを思った父のはからいだ。 

 

 肝心な鈴華は陰に隠れるばかりで、私も例に違わず子供達に避けられていた。

 

 そんな中であいつは声をかけてきた。

 

 

 「なあ! おまえ名前なんて言うんだ!?」

 

 「……は?」

 

 「名前だよ名前! あっ、俺は椿井天晴! 天気は晴れって書いて天晴だ!」

 

 「……浅黄瀬律華」

 

 「律華か! そんじゃあ律華、俺らとビーチバレーしようぜ! 1人足んなくてさぁ!」

 

 

 ナンパかよってつっこみたくもなった。

 

 しかしそれ以上に自分の名前で呼ばれるということの新鮮さが少し心地よく感じるのがわかった。

 

 天晴は不思議なやつだった。

 

 いつも笑顔で、活発で、まるで人生全てが楽しくて仕方がないといった様子。

 

 そんなことだからあいつはいつも人気者で、常に周りに人がいた。 私にないものを持っていた。

 

 そんなあいつが私と同じようにエーデアへとやって来た。 やってきてあいつはさらに輝いたた。

 

 まるでダンジョンに愛されているかのように、ここに来たのが運命だったかのようにあいつはトップを走り続けていた。

 

 僻んでいたと思う。

 

 悔しくて、負けたくなくて、入学当初は顔を見るのも嫌だった。 

 

 だからあいつに誘われて同じパーティーになってからもライバル意識が消えることはなくて、あいつが先に二つ名を授かったときも素直に祝うことは出来なかった。

 

 あの頃の私は相当に焦っていた。

 

 そんなときにあの事件は起きた。

 

  忘れもしない、3年前の1月6日。 私達のパーティー、【やがて光見る者】が謎の伝説級モンスター〈ミノタウロス〉と接触したあの事件だ。

 

 あのとき私が勝手な行動をしたばかりに天晴は一生消えない傷を負った。

 

 背が伸びることもない、機械無しでは生きていけない、そんな体になってしまった。

 

 後悔した。 私は自分がどれだけ愚かなことをしたのかそのときになってやっと気づいたのだ。

 

 そして私はいつのまにかダンジョンに深い恨みを抱くようになっていた。

 

 せめて、せめてあの〈ミノタウロス〉を倒しケジメをつけなければ、そう考えるようになっていた。

 

 そのために力を欲した。

 

 もう弱いままではいられなかったから、私は貪欲に力を求め日夜ダンジョン内でモンスター達との戦闘に明け暮れた。

 

 そうして少しづつ強くなった。

 

 中等部ながら異例の二次クラス昇格を果たし、いつのまにか二つ名まで与えられていた。

 

 けど、とても喜ぶような気にはなれなかった。

 

 天晴、あなたの言ったとおりよ。

 

 二つ名は望んで手にいれるものじゃない、後からついてくるものだ。

 

 本当に、本当にそのとおりだった。

 

 もう二つ名のことなんてどうでもよくて、ただ一心不乱に強くありたいと願った。

 

 あれほどまでに憧れたのに不思議なものだ。 探索者にとってアイデンティティーなんてものは蚊ほどの価値もないのだと知った。

  

 私に与えられた二つ名は【血濡れた女帝】。

 

 返り血を気にすることもなくマシンのように殺戮と闘争を繰り返すことからそう名づけられたらしい。

 

 その看板は誰の血で書かれたものだと人が言う。

 

 大切な仲間を犠牲にしてまで、そんなものが欲しかったのかと問い質してくる。

 

 ……ええ、そうよ。 こんなもののために私は戦い続けているの。

 

 仲間を犠牲にしてまで、私はこの名が欲しかったの 。

 

 もう止まれないでしょう。 引き返せないでしょう。

 

 仲間が犠牲になるくらいだったら二つ名なんていらなかったなんて、今更どの口で言えるというの?

 

 救われてはならないのよ、私は。

 

 許されてはならないのよ、私は。

 

 もう後戻りなんて出来ない。 このまま私は自分の手でこの物語を終わらせる。

 

 他人の血で書き綴った物語を、最後は奴と私の血で……

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