第16話
その日は極めて穏やかな気候だった。
空は澄み渡り、日の光が暖かい。 天気予報では最高気温22度と近年でも異例の暖かさだそう。
それは何も地上だけの話ではなく、地下ダンジョンも同様にどこか陽気で穏やかな雰囲気に満たされている。
とある研究によるとダンジョン内の環境は地上の天候に連動するとされており、モンスター達の活動も非常に緩やかなものだと報告されている。
ゆえにこの日の探索は非常にエンカウントが少なく、いつもに比べてスムーズに進めることが出来ていた。
天晴達が今いるのは56階層。 先日めでたく55階層を突破し新たに探索をはじめたばかり。
ここは石造の遺跡の中のようなコンセプトで、視界は常に暗く、トラップは比較的多く、モンスターの少なさを感じさせないほど手強いフロアとなっていた。
「ううー、なんだか薄気味の悪い階層なのにゃー 早く抜けたいにゃー」
どこからともなく冷たい風が吹く。 オーラは身震いして堪らずそんなことを口にした。
「モンスターが少ないのがなんとも…… 逆に不気味だよね……」
アーサーは警戒を続けながらも共感の意を示す。
「先輩らが言うには普段はもっと出てくるらしいぜ。 〈ミミック〉とか〈ゴースト・メロディーズ〉とかがメインらしいんだけど……」
「まったくと言っていいほど見ないね。 これすらも罠じゃなかったらいいんだけれど」
アーサーはそのように話を締めくくろうとするが、しんがりを務める律華が割って入る。
「罠だろうと進むだけよ。 天晴、移動ポイントはまだ探知出来ないの?」
「ここら辺にはねえみたいだな。 さっきの分かれ道まで引き返すか?」
「そうね、皆もそれでいい?」
「いいよ」
「おっけーにゃー」
天晴達は来た道を引き返した。 今日の目的は57階層に繋がる移動ポイントの発見。
これはまだ他の誰も見つけておらず、もしも見つけることが出来れば莫大な報酬の支給が学園から約束されている。
「なんとしてでも私達が最初に見つけるのよ。 高等部の連中に負けてられない」
意気込む律華。 その手に握られるのはいつもの長槍ではなくサブウェポンであるショートサーベルだ。
この56階層が狭い通路を進むということで、仕方なく長物は封印せざるを得なかった。
「律華、おまえも全力を出せるわけじゃないんだし無茶は禁物だぞ。 あくまで俺達のペースで、事前にそう約束したはずだ」
「けれど今はチャンスよ。 モンスターが少ないのなら、槍が使えないデメリットも薄れるでしょう」
「ダンジョンは戦闘だけが全てじゃないだろ。 これだけトラップが多いんだ。他のパーティーだってそう簡単に進めやしねえさ。
競争意識も大事だが、ここは何度か情報を共有して……」
「必要ない。 今日で57階層に到達する。 それがオーダーよ」
互いに一歩も譲らない険悪なムード。 アーサーは困ったような顔を見せ、オーラは珍しく言い争いを止めるように執り成した。
そのとき、何かを察した天晴が口に人差し指を押し当て静かにするよう促した。
「しっ……」
「どうしたんだい天晴」
「いや、何か獣の雄叫びみたいな…… 皆は聞こえなかったか?」
「いや全然、オーラは?」
「さっぱりにゃ」
「あなたの勘違いなんじゃないの? そもそもこの階層に獣系の出現は確認されていない。 きっと隙間風か何かでしょう」
「そうかねぇ……」
未だ疑う天晴だったが律華の意向で探索は再開される。
分かれ道まで戻り、もう一つのルートを進んでいく。
疑惑が晴れない天晴。 彼は今一度メンバーに注意喚起を促す。
「なあ、今日はここら辺にしねえか? なんか嫌な予感がする。 上手く言葉には出来ねえけど……」
「なんかって何よ。 そんな理由でやめられるわけないじゃない」
天晴の提案を律華は冷たく突っぱねた。
直感と推測の違いは言語化の有無でしかないが、グループ内においてその差はあまりに致命的だ。
「けど……」
天晴は諦めず説得を試みる。
するとまたもや、彼の耳に何かの物音が届いた。
「やっぱ聞こえる! 今度は足音だ! 近いぞ!」
天晴が警告を発したときにはもう遅かった。
迫り来る巨大な足音、それに伴い地面が大きく揺れる。
進もうとした道の先、暗闇の向こうをライトの光で照らしてみれば一体のモンスターが暴走ダンプカーさながらの勢いでこちらに向かってきていた。
「ブオオオオオオオオオ!!!!!!」
「全員退避! さっきの広間まで走れ!」
狭い通路を強引に進むモンスター。 その姿の詳細はわからず。
天晴達はその突進に巻き込まれないよう全速力での逃走を謀る。
そうして広間に出て、通路の奥から見えたのは牛頭の巨人であった。
「あれは〈ミノタウロス〉!? 伝説級じゃない!」
荒れ伸びた漆黒の毛並み、高さ4mはあろうかという巨大な体躯。 手には荒々しく削り出された石斧が握られていて、それらを支える腕や脚の筋肉は恐ろしく発達していた。
その姿を前にして、驚嘆と興奮、二つの感情を混じらせながら律華はそのようにモンスターの種族名を口にした。
否、厳密に言えばこの種はかつてただの一度も目撃例はない新種である。
故に律華が言った〈ミノタウロス〉というのは彼女の想像でしかない。
だがこれまで世界神話や伝承に登場するようなモンスターは度々確認されてきた。 〈ゴブリン〉がわかりやすい例だ。
そういった神話の怪物と特徴の一致するモンスターは伝説級と分類付けされ、例外なくその怪物の名が付けられることになっている。
「いいわよ……! これだけの大物、倒せば二つ名は確実。 こいつはここで倒す!」
「待て律華! 早まるな!」
目を光らせ飛び出した律華。 天晴は呼び止めようとするが!彼女はまるで聞く耳をもたない。
「……あーくそ! 最悪だよちくしょう! アーサー、オーラ! 律華を援護するぞ!」
「了解!」
「わかったにゃ!」
そうして戦闘が開始される。
最初にアクションを取ったのは律華。 彼女は相手の斧による攻撃を見切って回避し、懐に潜っては内腿を斬りつけた。
しかし体表を覆う漆黒の剛毛が刃を通さない。
「ちっ! やるわね!」
堪らず舌を打つ律華。 そのとき、後方から叫ぶオーラの声。
「りっかっち! 一旦退くにゃ!」
オーラは相手の頭部目掛けて【ライトニングアロー】を発射する。
激しき紫電が肉を焦がす。
雷は〈ミノタウロス〉にとって弱点だったのか、律華の剣よりも数段有効なように見えた。
しかし相手もこれで終わるわけではない。
一度吠えたかと思えば、斧を振り上げオーラを襲った。
「させるかよ!」
しかしすかさず天晴が割って入ってカバー。 トンファーを二の字に構えて受け止め、味方を守ることに成功する。
「ぐおお……!」
天晴の表情はあまり明るくない。 重すぎるその一撃は、正しいガードを以てしても腕に響く消耗が消えるわけではなかった。
だが、そこでアーサーが回復魔法を発動させる。 それによって天晴の腕が再び武器を握れるようになる。
「サンキューアーサー! ……って、律華! 一人で突っ込みすぎだぞ! ここはオーラ主体で……」
「あいつは私が倒すの! あなた達こそ余計なことしないで!」
律華はそう怒鳴り返して、再び突撃を仕掛けた。
「【雷神剣】!」
スキルの発動と共に律華の剣に雷の属性が付与された。
【雷神剣】は【ウォーリアー】の攻撃スキル。瞬間的に雷属性攻撃を可能とする【ウォーリアー】には珍しい類いのスキルだ。
「グモォォォォォォォ!!!」
しかしミノタウロスは身の危険をいち早く察知。
律華が剣を振るうよりも先に地面を強く踏みつけ、地鳴らしを発生させてその場にいる全員の体勢を崩させた。
「くっ……!?」
これにより律華の攻撃が不発に終わる。 すかさずミノタウロスが走り出して距離を詰める。
そうして間合いに入った瞬間。 律華は斧による薙ぎ払いによって突き飛ばされてしまう。
壁に激突し、堪らず血反吐を吐く律華。 絶命に至ってこそいないが、動く様子は見られない。
「くそっ、律華がやられた! アーサー! 回復に回れ! オーラは【パニック】で攪乱! 相手の注意を逸らせ!」
一転して起こる危機的状況。 その中でも天晴は取り乱さず的確な指示を飛ばした。
それに従ってオーラは相手を混乱状態に陥らせる魔法を発動させ、アーサーは律華の元に駆け出す。
しかし結果的にこの判断は悪手と言わざるを得なかった。
混乱し、見境なく暴れだした〈ミノタウロス〉。 その咆哮は耳をつんざく程に強烈で、空を裂く斧の一撃は衝撃波を放ちはじめていた。
そしてその黒の体表には赤い線、紋様が走り出していて、一層おぞましさを感じさせる見た目に変貌している。
〈ミノタウロス〉は混乱状態になると強化されてしまうモンスターだったのだ。
「こうなったら速効で倒すしかないのにゃ! 【ライトニングアロー】!」
消耗の激しさも厭わず、オーラは雷属性魔法を立て続けに発射した。
紫電の百矢が〈ミノタウロス〉を襲う。 が、なんと悉くそれら全てを斧で弾き返してしまった。
雷撃が床や壁、天井に衝突しては僅かに弾けて虚しく消える。
それらを見届ける間も与えられない内に〈ミノタウロス〉は動き出した。
向かう先は回復処置に集中するアーサー、そしてまだ体を起こせずにいる律華がいるところだった。
二人もろとも轢き殺そうとしているのだろう。 躊躇いなく加速を繰り返し、その鋭い大角を差し向ける。
「うぉぉぉぉぉ! トンファーキィィィィック!!!」
横槍を差すように天晴が妨害する。
おもわぬ攻撃に〈ミノタウロス〉は体勢を崩し尻餅をついた。 起き上がるには少し時間がかかるように見える。
またもや仲間の窮地を救うが、やはり状況が好転するわけではない。
「アーサー! 律華はまだ回復しないのか!?」
「傷はもう直ってる! でも意識が!」
「そういうことかよ! ならもう撤退しかねえな! オーラ、【ジャンプ】の用意だ!」
「……」
「オーラ!? どうした!?」
「足りないにゃ……」
「あ!?」
「4人を送るだけの魔力が足りないにゃ…… どうやっても、今の残量じゃ3人が限界なのにゃ……」
瞬時に前線キャンプに転移できる【ジャンプ】の魔法は決して消費魔力の軽い魔法ではない。
並みの【マジシャン】ならばたった一人、たった一度の転移だけで殆どの魔力を消費する高位魔法である。
それ故に本来は瀕死の味方を緊急避難させるために使われる魔法であり、間違ってもパーティー全員を帰還させるような使い方は無茶というもの。
同年代の中でも特に抜きん出た魔力量を誇るオーラを以てしてもそれは例外ではない。
強敵を前にし、攻撃魔法を連発したこのような非常事態ともなればなおのことである。
「どうする天晴! 律華だけでも飛ばすかい!?」
状況が再確認された今、アーサーは天晴に判断を仰いだ。
彼が口にした選択肢の1つは一見すると妥当なものと思える。
悪く言えば現状お荷物でしかない律華を戦場から遠ざければ多少なりとも戦況が改善されるだろう。
しかしそれすらもジリ貧であることは容易に想像が出来る。
はじめに4人で戦っても勝てなかった相手を3人で倒せるわけがなく、やがて全滅を迎えるのは至極当然のことだろう。
「……へっ」
そのとき、天晴は誰にも気づかれないように短く笑った。
彼はもう理解していたのだ。
この状況で取るべき最善の選択肢が何なのかを。
自分の役回りというものを。
「オーラ、【ジャンプ】だ。 対象はおまえ、律華、アーサーの三人。 グズグズするな? 奴さんはチンタラ待ってくんねえぞ?」
「ま、待つにゃ! それじゃあアッパレはどうする気なのにゃ!」
「俺か? 俺ァまあ適当に何とかやるさ。 なに心配はいらねえ。 死ぬつもりはねえよ」
「そんなの信じられないのにゃ! アッパレは嘘つくとき目逸らす癖あるにゃ!」
「……あーあーあー! 知らねー知らねー! アーサー! あとは任せたぞ!」
「……わかった」
「アーサー!? まさかアッパレを見捨てる気かにゃ!?」
「そんなつもりは毛頭ないよ。 天晴はやる時はやる男だからね。 今僕達がするべきなのは一秒でも早くキャンプに戻り応援を呼ぶこと。 違うかい?」
「それは……」
「大丈夫。 天晴を信じよう。 【未来の探訪王】の二つ名は伊達じゃない。 そうだろ天晴?」
アーサーからの問いかけに、天晴は振り返ることなくサムズアップで答える。
「はっ! あたりまえよ!」
「……ということさ。 さあオーラ、【ジャンプ】の用意を」
「うぅっ……」
納得はしきれない。しかしそれ以上の選択肢が思いつかない。
彼女も既にわかっていたのだ。
自分もアーサーもいるだけ足手まといなのだと。 この状況においては単独の方が天晴は動きやすいのだとオーラはもう十分に理解していた。
だから彼女は魔法を発動させた。 天晴以外の三人を転移させる【ジャンプ】の魔法を。
「アッパレ! 絶対死んだらだめなのにゃ! 応援が来るまで持ちこたえるのにゃ!」
「おうよ! なる早で頼むぜ!」
仲間達が光に消えていく。
同時に天晴の前方で起き上がる一つの巨体。
「ブォォン……!」
「ようモーちゃん。 いい夢見れたか?」
言葉は解らず、されどその眼に宿す意思は紛うことなき殺意に違いなし。
両者互いに得物を構え、今、戦いの火蓋が切って落とされた。
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