第12話


 物心がついたとき、私は字の書き方を覚えるよりも先に剣を握っていた。

 

 故郷は京都の山奥。 都市化の進んだ現代においても、その地域は山と川と畑くらいしかない田舎だった。

 

 母は私が産まれて間もなく他界。 父も私が3歳のときに事故でその後を追う。そうして私は母方の祖父母に引き取られることとなった。

 

 

 「立たんか火夜。 まだ稽古は終わっとらんやろう」

 

 「いやや…… もう痛いのはいやや!」

 

 「甘ったれるな! そんなんで玄井門の剣を継げる思っとんのか!」

 

 祖父は厳しい人だった。

 

 まだ5歳にも満たない私を、子供だとか女だとか関係なく離れの道場で剣の稽古を積ませた。

 

 怒鳴り立て、嫌だと言えば竹刀で叩く。 甘やかすこと、許すことなどただの一度もない。

 

 時代錯誤も甚だしいが、祖父はそういう人物だった。

 

 曰く、この玄井門という家系はそれはそれは由緒正しき家系らしく、ご先祖様は歴史の教科書に出てくるほどの偉人、有名人らしい。

 

 でもそのご先祖様の名前に玄井門の文字はない。

 

 なんでもご先祖様はとある戦の中で討たれてしまい、一族は生き延びるために名を偽り国の外へ逃げる必要があったそうだ。

 

 ご先祖様は武に精通し、玄井門はその武術、特に剣術を継承し続けてきた。

 

 名を捨てた。血も捨てた。

 

 しかし誇りは、受け継いだ武術だけは捨てなかった。

 

 だからこそ、いつかの日かその力を世間に知らしめ、敗北と共に失われた名を取り戻すことが一族の悲願なのだという。

 

 そんな家で育ち、そんな祖父が保護者なものだから、私の子供時代というのはそれとはかなりかけ離れたものだったと思う。

 

 学校が終われば稽古のためにすぐに帰らなくちゃならなかったし、娯楽を知らなかったから話題らしい話題もない。

 

 それに生まれ持った無口さと可愛げの無さが合いまり、結果、友達と呼べる人はゼロ。 学校の中で私は常に孤独だった。

 

 でも、それでもよかった。 友達なんていなくても、私には唯一心を許せる人物がいたからだ。

 

 それが私の祖母。 おばあちゃんだ。

 

 おばあちゃんは優しい人だった。 私のことを無限に愛してくれる人だった。

 

 祖父に厳しくしつけられたときも庇ってくれるし、 夜泣きそうになったときは一緒に寝て子守唄を歌ってくれる。

 

 励まそうと、御守り代わりにキーホルダーをくれたこともあったっけな。

 

 そんなおばあちゃんが私は大好きで、おばあちゃんがいてくれるから私は辛い稽古だって耐えることが出来た。

 

 けど、おばあちゃんは一昨年の夏に亡くなってしまった。

 

 もともと体が弱く、ずっと持病を患っていた。 急変して、病院に行ったときにはもう助からないと医者に言われた。

 

 おばあちゃんが亡くなっても祖父は相変わらずだった。

 

 早々に葬式を終わらせ、次の日の朝には稽古の支度だと言い出した。

 

 なんなんだコイツは、おばあちゃんが、自分の伴侶が死んで何とも思わないのか。

 

 怒りを覚えた私は、その日はじめて祖父に反抗した。

 

 あまりに非情な祖父を、怒りのままに、心のままに罵倒し批難する。

 

 けれど、祖父は一歩もひきはしなかった。

 

 聞くだけ聞いて、言いたいことはそれで終わりかと一蹴してきた。

 

 挙げ句の果てには、弱いから死ぬんだと、病で死んだ祖母や私を産んで死んだ母を悪く言って、おまえはそうはなるな、なんてことを言ってきた。

 

 そのときにはもう何かを言い返そうという気持ちはなかった。 武だの剣だの頭を狂わせたこの男には、言葉で何を言っても無駄だと気づいていたのだ。

 

 ただ、ここに居続けてては自分も祖父のようになってしまうという不安を覚えていて、それと同時にこの祖父を見返してやりたいと思うようにもなっていた。

 

 だから私はその年の冬に申し出た。 エーデア迷宮学園を受験し探索者になると。

 

 そこで結果を出し、玄井門の力を誇示する。 そうすれば貴方達の千年来の悲願は達成される。 どうだ、これで文句はないだろう。と啖呵を切った。

 

 祖父は何かを言いかけようとしたが、すぐに押し留まって黙りこくってしまう。

 

 つまりそれは実質的な肯定。 好きにしろという意味に他ならなかった。

 

 それこそ私がダンジョンに挑むきっかけ、理由。

 

 私には剣しかないから、強くなければここにいる意味なんてないから。

 

 だから私は例え一人でも最強を目指す。

 

 最強になって、私を産んでくれたお母さんも、優しくしてくれたおばあちゃんも決して弱くなんてなかったと証明する。

 

 誰も私の邪魔はさせない、誰にも私を止める権利なんてない。

 

 他の人のように馴れ合ったりなんてしない。私のやり方についていけないなら、切り捨てるまでだ。

 

 だからこの決闘は私なりの意思表明だ。

 

 あの留年生、椿井天晴を見事降してみせて私が正しいと証明する。 私は一人でも強いんだ。 おまえ達と違って普通の生活を捨てて鍛練を積んできたから、誰にも頼る必要がないんだと宣言する。

 

 4回も留年して、年下にバカにされて、それでもなおヘラヘラ笑ってるあんな男に私は絶対負けたりしない。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 「そうだ…… 私はこんなところでつまづいていられないんだ! かかってこいモンスター共、1匹残らずこの刃の錆としてくれる!」

 

 決意を固め、刀を握り直す火夜。 次に彼女は目を見開いて、とあるスキルを使用した。

 

 「【鬼気・紅蓮】!」

 

 火夜の眼が紅く光る。 その光を見てしまった〈ゴブリン〉達は、その迫力に気圧されすくうでしまう。

 

 火夜はその隙を逃さなかった。 駿足を以て敵陣に切り込み、目に止まらぬ速度で敵を切り伏せていく。

 

 〈ゴブリン〉達も負けじと迎撃しようとするが、その攻撃は恐ろしく単調で鈍い。

 

 取り囲み、頭を狙おうと四方から繰り出された長槍を、火夜は素早くしゃがんで回避した。

 

 「ギィ、ギャギャ!?」

 

 対象を見失ったゴブリン達の槍が絡まる。 火夜がすかさず円を描くように剣を薙いで仕留める。

 

 そして落ちてきた槍を受け止めて、勢いのまま別の集団に投げつける。


 これで6体を新たに落とした。 しかし、モンスターの数は一向に減る気配を見せない。

 

 だが、彼女はまだ挫けない。 どれだけ疲弊しても、どれだけ傷を負っても、そこで彼女が立ち止まる道理は存在しないのだ。

 

 だから火夜は剣を地面に突き立て立ち上がる。 だから彼女は己が信念を杖に戦い続ける。

 

 そうしてまた1体、さらに1体。 剣鬼が如く吠えては勝利を求める。

 

 だが、まだ戦いは終わらない。

 

 どれだけ仲間を倒されても、〈ゴブリン〉達は狂った兵士のように立ち向かい続けてくるのだ。

 

 「おもしろい……! 小鬼風情が見上げた根性だ! けど、おまえ達と私では格が違う。 武人としても、妖としても、もって生まれた格が違うんだッ!!」

 

 そこで火夜は奥の手を繰り出そうと、剣を上段に構えた。

 

 それはスキルではなく玄井門に伝わる技の一つ。 代々信仰してきた神霊の力をその剣に宿す門外不出の秘奥義だ。

 

 「【禍断之剣・神颪】!!!」

 

 火夜が剣を振り降ろす。残る集団目掛けて斬撃が飛ぶ。

 

 その斬撃には神霊の力が、天災と称するに相応しい超高密度の暴風の力が宿っており、触れるもの全てを粉々に破壊するほどの威力を秘めていた。

 

 神風はモンスター達の慌て戸惑う鳴き声を轟音を以てかき消し、その身その肌を抉り削り、その矮小な命の灯火を吹き消した。

 

 斬撃は留まることを知らず、〈ゴブリン〉達を亡きものにしては道を作るように木々すらも破壊し尽くす。

 

 「はあっ、はぁっ!」

 

 人の身でありながら一時的にでも神霊の力を用いる。 それは決しておいそれとしていいことではなく、代償として彼女は相当に体力を消耗することとなっていた。

 

 そしてそれは使用者のみならず、媒体とした刀剣も例外ではない。

 

 火夜の刀に亀裂が入る。 そして、まるで命が尽き果てたかのように、静かに砕けては散った。

 

 そう、彼女が使用した秘奥義は、決して連続しては使えない、それだけでなく続けて戦闘を行うことも難しくなる諸刃の剣だったのだ。

 

 しかし先程までの戦力差は絶望的、決定的な一撃がなければ彼女に勝機は無かった。

 

 だから彼女はイチかバチかに賭けた。

 

 ここで仕留め損なえば終いだと、己の全力を以て攻勢に出た。

 

 結果、彼女は見事〈ゴブリン〉達を全滅させ勝利をおさめることに成功した。

 

 総勢50ものゴブリン達を、その身その剣一つで御して見せたのだ。

 

 これこそがクラス【サムライ】の力、玄井門火夜の力だ。

 

 しかし彼女はまだ知らなかった。 この空間が、ダンジョンという戦場が、いったいどいう場所なのかということを。

 

 「ケヒッ! ゲヒヒヒヒャ!」

 

 遠くこだまする〈ゴブリン〉達の鳴き声。 今倒したばかりだというのにそれが聞こえてくる。

 

 決して倒したはずの〈ゴブリン〉が復活したわけではない。 全く別の個体が、先程の倍はゆうに越えるであろう数の軍勢が、まるで同胞の仇を討たんとばかりに集結していたのだ。

 

 ある研究者は言った。 ダンジョンは生きている、と。

 

 ときに探索者と戯れ、ときに弄び、そしてときに地獄に引きずり込もうと執拗な悪意を向かわせる。

 

 考えられる中で最悪の展開をいとも容易く寄越してくる。

 

 それら悪意の前に、これまでダンジョンに侵入してきた者は悉くそこで命を落としてきた。

 

 どれだけ知恵をつけようとも、どれだけ力を蓄えようとも、どれだけ剣を研ぎ澄まそうとも、それでもどうしようもない理不尽がこのダンジョンにはあることを、火夜はここではじめて知ることになったのだ。

 

 しかし、もう全てが手遅れ。

 

 あのときああすれば良かった。 決闘に固執せずいったん退いて出直せば良かったんだ。

 

 そんなことを今になって考えるが、そのような理屈に人は結果論という名をつけた。

 

 何を言っても後の祭り。 後悔が先に立つ道理はない。

 

 気力を使い果たした火夜。 彼女はその場で膝をつき、もう立ち上がることが出来ない。

 

 ゴブリン達が弓を構える。

 

 「ここまでか……」

 

 そうしてその矢が放たれ、火夜は目を閉じ己の最期を覚悟した。

 

 「……?」

 

 目を閉じて数秒が立つ。 おかしなことに、火夜はまだ死ぬどころか矢の一つも受けずにいた。

 

 まさか外した?

 

 そんなことを考え目を開くが、その光景は彼女が想像したものとはまるで異なるものだった。

 

 「バーカ、なに諦めてんだよ」

 

 目の前に背を見せ立ち塞がる一人の男。

 

 その男は、自身の武器であるトンファーを携え大きく構えていた。

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