第10話
次の日の朝、I - Aの教室前でのこと。
昨日のこともあり、天晴は憂鬱そうに始業前の時間を教室前の廊下で過ごしていた。
教室には入らない。 入れるわけがない。
渦中の人である火夜が隣の席、そうでなくてもクラスメートからの刺々しい視線が待ち構えている。
それが分かっているなら、なるべく穏便にやり過ごそうとする天晴の気持ちも行動も自然なことであろう。
彼の隣に立つ女子生徒。 今のところは味方の浅黄瀬鈴華はおもむろに口を開いた。
「やっちゃいましたね、おにーさま。 覗くなら私にすればいいのに」
「だからおまえのおこちゃま体型じゃ何もそそらねーって」
「へぇー。……そういえば玄井門さんの裸見たんですよね? どうだったんですか?」
「すさまじかったよ。 将来性ならおまえのねーちゃんすらも越えるな」
「うわ、さいてー…… お父様に頼んで今すぐにでも退学させてあげましょうか?」
「やめろ、やめなさい。 俺が悪かったですスーパーキュートな鈴華様」
「わかりやすいお世辞ですね…… まあ、茶番はこれくらいにして、いったいどうするつもりなのですかおにーさま?」
「どうするも、受けるしかないでしょ」
「勝つ算段は? 相手は二次クラスの天才ですよ?」
「んー…… まあ五分五分ってところだな」
「ダメじゃないですか。 いいです、私がお父様に頼んで……」
「ばか、余計なことすんな。 ただですら学園長には世話になってんだ。 これ以上迷惑かけられるか」
「でも……」
「まあ、なるようになるさ。 ……というか、俺この状況が案外嫌いじゃないのよ」
「えっ? いや、はっ? おにーさま、辛すぎる現実のあまりとうとう頭がおかしくなってしまったのですか?」
「誰が精神異常者だ。留年、覗きでこちとらリーチかかってんだよ。 余計な役を増やすな」
「ごめんなさい、頭がおかしいのはもともとでしたね」
「ん、辛辣ぅ。 ……って、さっきから全然話が進まねーな」
「まったく、おにーさまのせいですよっ」
「いやいや、おまえのせいだろ」
「いやいやいや、おにーさまのせいですって」
置かれた状況を気にすることもなく、しょーもないことで言い争う二人。
まるでじゃれあうカップルのようで、枯れた生活を送る人々からすれば非常にムカつく…… もとい腹立たしい光景を見せつけている。
そしてその被害者は必ずしもすれ違う生徒達だけでなく。
「おやおや椿井くぅん? こっちは夜中事後処理でまともに寝れなかったというのに、えらく余裕じゃないですかァア?」
目の下にびっしりと隈を作って登場したのは担任であるふみちゃん先生。
自分の担当の生徒同士の揉め事ということで、報告用の書類作成に現場に居合わせた目撃者の口封じ、今回の件で彼女は途方もない作業に追われることとなっていた。
「ふ、ふみちゃん先生…… おはようございます……」
「ええおはよう。 空に唾吐きかけたくなるような素晴らしい朝ね椿井君?」
「え、えと、なんか怒ってます?」
「いいえ? べっつに? 私はこれっっっっぽっちも怒ってなんかないわよ?
ただ婚活真っ只中の私にプライベートの時間を削らせ、本人はかわいい女の子とイチャついてるのがどうにも気に食わなくてねッ!」
「ご、ごめんなさい……?」
肌は荒れ、髪は乱れ、とても20代の女性とは思えない枯れっぷりを見せるふみちゃん先生。
そんな彼女の姿を、あるいは鬼のような迫力を前にして天晴はつい謝ることを選択していた。
しかしふみちゃん先生は朝っぱらからさらに声のボリュームを上げてはそれをつっぱねる。
「謝らなくて結構! 実はというとA組って問題児を寄せ集めたクラスでね! 担任を押し付けられたときから何か起きるかもって覚悟はしてたの!」
「おおう、唐突に投げ込まれる爆弾発言……」
「問題児ですっておにーさまっ。 流石ですねっ」
いつもの笑顔で天晴をディスる鈴華。 しかしそこに勢いづいたふみちゃん先生がツッコミをいれた。
「あなたもだから浅黄瀬さん!」
「ええっ!? 学園長の娘であり品行方正、才色兼備な私がなぜ!?」
「まさにその学園長の娘だからよ! 万が一あなたに何かあったら学園長に何を言われるかわからない!
百害あって一利なしの爆弾を抱えようなんて教師はそういないわ!」
「な、なんと……!」
怒り狂うふみちゃん先生。 彼女の暴走は止まらない。
このままでは善良な一般生徒にまで被害が及んでしまう。
誰か、誰か彼女を止められる者はいないのか。そう誰かが願ったそのとき……
「おやおや、麗しき淑女がこんなに取り乱して…… せっかくのお美しさが台無しですよ赤羽先生?」
見るものを魅了する風貌。 アイドル顔負けの圧倒的な王子様オーラ。
それらを兼ね備えた男子生徒は天晴とは違う高等部の制服を着ていて、どういうわけか彼らの目の前に、この中等部の校舎内を訪れていた。
「君は!」
その生徒を見た瞬間ふみちゃん先生の目の色が変わる。
それが彼女の大好物、"イケメン" だったからだ。
「ご無沙汰してます赤羽先生。 ……天晴も、一月ぶりだね」
「おー、 アーサーか、元気してたか?」
「ああ、おかげさまで絶好調だよ」
「そうかそうか、そりゃよかった」
天晴がアーサーと呼んだ男の名はロードント・アーサー。
その名から分かるとおり、日本人ではなくイギリスからやって来た海外留学生である。
年は天晴と16で、彼とは違い順当に高校二年生。 そのルックスと、ダンジョンでの目覚ましい活躍から学園の女子に根強いファンが大勢いるとかなんとか。
「きゃー! ロードント様よ!」
「どうしてこんなところに!?」
げんにその噂は入学したての生徒達も知るところであり、いつの間にか彼らの周りは目をハートマークにした女子生徒に囲むこととなっていた。
「うーん、ここじゃ立ち話も出来ないな。 赤羽先生、ちょっと天晴借りてもいいですか? ホームルーム前には返しますから」
乙女を悩殺する王子様スマイル。 これを向けられてNOと言える女性はそう多くはない。
ふみちゃん先生も目にハートマークを浮かべながら即座に許可を出した。
「ええもちろんっ! また今度遊びに来てねっ!」
「ありがとうございます。 それじゃあ行こうか天晴」
「お、おう」
有無を言わさず手を引き連れられる天晴。 その場所は、普段生徒の立ち入りが禁止されている屋上だった。
柵にもたれる二人。 同じ16才ではあるはずだが、血の違いを加味してもまるで本当の16歳と12歳のような身長差が少し目立つ。
「ふー、さっきは助かったぜアーサー。そういやおまえ達の活躍は耳にしてんぞ。 この間も新層に到達したらしいな。 すげえじゃん」
「天晴にそう言ってもらえると嬉しいよ。 君がいたらもっと早く攻略を進められるんだどけね」
「今の俺じゃ足引っ張るだけだ。 んで、話ってなんだよ?」
「んー、話ってほどでもないんだけど。 うちの女王様に様子を見てこいって頼まれちゃって」
「律華か…… なんだよ、本人が来ればいいのに。 あいつそんなに忙しいのか?」
「……忙しいのが理由じゃないのは天晴もわかってるだろ? あれから4年、律華もまだ思うところがあるんだよ」
「んだよ、俺は全然気にしてねーのに」
「もしかしたら責めてくれた方がまだ救いがあるかもしれないよ?」
「それは俺の知ったことじゃねー」
「ハハッ、その通りだ。 ……ところで、昨日女子風呂を覗いて女の子押し倒したって噂は本当なのかい?」
「わざとじゃねぇ、ありゃ事故だ。 なんだ、やっぱ高等部にも伝わってたか」
「そりゃ伝わるさ、中等部はともかく、こっちじゃ君は超のつく有名人だからね。 【未来の探訪王】。 その二つ名に憧れる者は未だに多いよ」
「よせやい、昔の話だろう。 今の俺はただの中等部の1年椿井天晴だ」
「そうは言うけどね、あの【未来の探訪王】が決闘だなんてビッグニュース沸かないわけがないよ。
……まさか、負けるなんてことはないだろうね?」
「どうだろうなぁ、実はというと相手が【サムライ】なんだよな。 初日の探索で〈グリーン・ディア〉のボス瞬殺しちまうような有望株だぜ? 全盛期ならともかく、俺は五分五分だと睨んでるよ」
「おやおや、それはそれは…… なら、僕が手を貸そうか?」
「バカかおまえ。 女の子に年上の男二人で挑む決闘がどこにあんだよ」
「冗談だよ冗談。 でも、天晴が負けるところはあんまり見たくないな」
「安心しろ、誰も負けるとは言ってねえよ」
天晴は大きく歯を見せて笑った。
それを見たアーサーは少し嬉しそうに笑い返してこう言う。
「……なんだか楽しそうだね天晴」
「おう、楽しいぜ。 やっぱこの学園にいると退屈しねえわ」
「それは何より」
アーサーはまたも笑って、これでお開きと柵にもたれていた体を起こした。
「ん? もういいのか?」
「うん、案外新しいクラスで楽しそうにしてるのが見れて安心したよ。
律華には相変わらずだったって報告しておく」
「なーんか含みのある言い方だなー」
そして二人は各々の教室へと戻っていった。
見てのとおり二人はかつてのパーティーメイトである。
しかし何故彼らは今行動を共にしていないのか、そもそも何故天晴は留年してしまったのか。
それが明かされるのはやはりもう少し先のことである。
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