第9話


 あらゆる人生においてリスクは常につきまとうものである。

 

 リスクがあってこその人生とも言える。

 

 しかしまた、リスクの中には対策さえしていれば回避できるものも確かに存在していて、椿井天晴がこれから迎えるであろう事態は何か一つの要因が正常に機能さえしていれば回避出来たものと思われる。

 

 だが、そういう理屈に人は結果論という名をつけた。

 何を言っても後の祭り。 後悔は先に立たないのだ。

 

 「フッフフーン、フフフフーン!」

 

 どういうリズムだよとツッコまれそうな鼻歌を歌う天晴。 彼の足取りは蝶のように軽やかで、スキップを取りながら男子浴場へと向かっていた。

 

 ここ、エーデア学園第1学生寮は実のところ男子寮と女子寮が同じ建物内に存在している。

 

 もともとは男子寮だったが、ある年いきなり増えた女子の下宿希望者に対応するために男女共用の学生寮に改造させたからだ。

 

 一応棟で区分けされてはいるのだが、やはり抗議の声、特に女子やその保護者からはあまり賛同を得られていない。

 

 特に問題とされているのが浴場。 もともと男子寮だった名残から、なんと学生寮には浴場が一つしか存在せず、時間毎に交代するというシステムを取っているのだ。

 

 これではもしもの間違いが起きることは容易に想像が出来る。

 

 実際、過去には盗撮が横行したり下着が盗まれるなどということもあった。

 

 そういうこともあってこの第1学生寮は学園の生徒数に対して女子の入寮数が非常に少ない。

 

 今いる女子生徒の入寮理由はそのほとんどが費用が低いから。

 

 設備の整った他の学生寮と比べ、第1学生寮は月毎の家賃がとても少なく済むのだ。

 

 

 さあ、今天晴が入り口の目印である暖簾をくぐった。

 

 現在の時刻は午後10時。 普段通りであれば男子が浴場を使っていい時間帯だ。

 

 といっても、就寝時間1時間前で入浴しようとする者はほとんどいない。

 

 彼もいつもなら七時台に風呂を済ませてしまうが、この日授業終了後に用事があり、そのせいで風呂に入るのが遅れてしまっていた。

 

 だとしてもそのこと自体には何ら問題はない。 重ねて言うようだが、本来ならこの時間帯は男子に使用権があるのだ。

 

 そう、本来なら。

 

 「ふぃー…… やっぱ風呂入らねえと一日終われねえなー」

 

 独り言を呟きながら脱衣場にて服を脱ぐ。

 

 学生と言えど探索者。程よく締まった肉体は、ボディビルダーとはまるで違う機能美を感じさせる。

 

 そうして浴場へ移動。 体を洗って浴槽へ入る。

 

 (そういや来週から耐水訓練だったっけか…… せっかくだしここで予行練習やるか)

 

 ダンジョン内では湖や池などの水辺が存在する。 そしてそういった場所の中に宝箱やアイテムが落ちている場合があり、そうでもなくても上層から出現するスライムは水属性の攻撃を使用してくる。

 

 そのような場合を考慮して、学園では授業の一環として耐水訓練を実施している。

 

 (せーの……)

 

 入浴中、そのことを思い出した天晴は肺いっぱいに息を吸い込み頭まで潜り出した。

 

 水の中で最低五分息を止めるようにするのも耐水訓練の一課題だ。

 

 (40、41、42…… うん、今のところは大丈夫そうだな)

 

 天晴は何をするわけでもなく、ただじっとその場から動かず潜り続けていた。

 

 対流音と共に静かな時間が流れる。

 

 そのとき、入り口の方から物音が聞こえた。 開閉音、シャワーが放出される音からして新しく誰かが入ってきたということがすぐに分かる。

 

 (うーん、まぁこのままでもいっか)

 

 息止めの目標は5分。 今折り返したところなので、どうせならこのまま最後までやりたい。

 

 そう考えた天晴は構わず潜り続けた。

 

 

 (299、300!)

 

 

 ジャスト5分を切ったところで肺を限界まで酷使したところで勢いよく顔を上げる。

 

 「あー、やっぱタイム落ちてんな…… 昔は6分いけたのに……」

 

 一人落ち込む天晴。 すぐに人がいたことを思い出して、驚いているようなら事情を説明しようと振り向いた。

 

 

 「なっ……!」

 

 「ん……?」

 

 

 しかし、ああ、なんということだろう。

 

 なんということに、なってしまったんだろう。

 

 陶器のように白い肌。夜空のように冷たく艶のある長い黒髪。

 

 視界に捉えるその人物は、どういうわけか女性であった。

 

 さらに付け加えるなら、天晴にとっては顔見知り。 先程まで植村君との話に出てきていた玄井門火夜その人。

 

 突然の出来事で互いに硬直。 天晴はそれぞれの手で目と陰部を覆い隠しながら相手の名を呼んだ。

 

 「く、玄井門!? どうしてここに……」

 

 「こ、こっちの台詞よ……! どうして留年生がここに……!」

 

 「いや、俺は普通に風呂に! この時間は男子の時間だろ!?」

 

 「女子の時間よ! 今日は改修工事があったから時間がズレるって通知があったでしょ!」

 

 普段の様子からは駆け離れた

 

 「えっ? ううーん? 確かにそんなこと言ってたよーな言ってないよーな……」

 

 「なにとぼけたような顔してるの! どうせ最初から分かってて覗き目的で忍び込んでいたんでしょう!?」

 

 「んなわけあるか! ……いいよもう! 俺が出ていきゃそれでいいんだろ!」

 

 なるべく相手の体を見ないように、とても12歳とは思えない発育の良いそれを視認しないように後ろを向きながら蟹歩きで出口に向かっていく天晴。

 

 中々に間抜けな姿。

 

 火夜は警戒を解かず、体をタオルで隠しながらその間抜けな姿を捉えていた。

 

 しかしそのとき、ちょうど彼女の前を通りすぎようとしたところで盛大に足を滑らせてしまう。

 

 「うおっ!?」

 

 「きゃっ!」

 

 

 どんがらがっしゃんどーん。

 

 場内に響き渡る衝撃音は、同階中にも伝わったという。

 

 「なになに!?」

 

 異変を察知した女子生徒が数人駆けつける。 ドアを勢いよく開け彼女達が見た光景は、全裸の天晴が全裸の火夜の上に跨がり押し倒すというものだった。

 

 「ち、違っ、これはダンジョンよりも深いわけがあって……」

 

 「黙れ変態!」

 

 取り囲み、有無を言わせず暴力、バイオレンス。

 

 下手に抵抗するわけにもいかなかった天晴は、甘んじてそれを受けては瞬く間に鎮圧された。

 

 数分後、騒ぎを聞きつけた教員、偶然当直だったふみちゃん先生が現場にかけつける。

 

 ふみちゃん先生は瞬時に状況を理解。 一先ず二人に服を着させ、別々に事情聴取を行った。

 

 火夜の聴取が終わり、次に天晴が呼び出される。 まるで刑事ドラマさながら、机を挟んで天晴とふみちゃん先生は向かい合っていた。

 

 「先生…… 俺わざとじゃないんすよ…… 時間がずれてること忘れてて……」

 

 「うんうん、そうよね。 大丈夫、先生ちゃんとわかってるわ。 ……で、正直なところは?」

 

 「せんせぇぇぇ……」

 

 すがったところ突き放されてしまい、捨てられた子犬のように瞳を潤ませる天晴。

 

 それがあまりに可笑しかったようで、ふみちゃん先生はクスッと笑っては冗談と言った。

 

 「冗談、冗談。 先生これでも人を見る目は自信あるの。 椿井君に覗きをする度胸があるとは思えないわ。

 でも、起きた事実は無視できないわ。 落とし前をつけないとね」

 

 「お、落とし前……? も、もしかして退学処分ですか!? それだけは勘弁してください!」

 

 不穏な未来を予期した天晴は、突然机に額を擦り付ける。

 

 あまりの必死っぷりに少し引くふみちゃん先生。 すぐに顔を上げさせるが、彼女が口にした言葉は決して甘いものではなかった。

 

 「誰もそんなこと言ってないわよ。 まあ、そうなってもおかしくない事態になっているのは確かだけどね」

 

 ギラリと責めるような視線を刺すふみちゃん先生。

 

 「ううっ……」

 

 天晴は何も言い返せず。 わかりやすく狼狽えることしか出来ない。

 

 「まぁ、君がどうなるかは玄井門さんの意向にもよるわよね」

 

 「玄井門…… そ、そうだ! あの子はなんて言ってるんですか!?」

 

 「うーん、それがねぇ……」

 

 天晴からの質問に、ふみちゃん先生は少し考えるような素振りを見せる。

 

 どうしたのかと天晴が続けて問えば、彼女はこんなことを言い出した。

 

 「玄井門さん、君に決闘を申し込みたいそうよ。 それで君が勝てば無罪放免、自分が勝てば然るべき処罰を受けろと」

 

 「……け、決闘?」

 

 突然飛び出たワードに思わずキョトンとする天晴。

 

 耳に聞いたその言葉を何度か頭の内で書いてみて、その倍の数意味を考えた。

 

 しかし、その結果は何度やってみても変わらない。

 

 天晴は玄井門火夜と戦うこととなった。

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