第2話
2075年、4月。
春風撫ぜる桜が新たな門出を祝う季節。
この日、エーデア迷宮学園は50回目になる入学式を迎えていた。
「えー、このように、えー、我が学園は、えー大変由緒正しき成り立ちと歴史を誇り、えー、新入生の皆様には、えー、その歴史に恥じない振る舞いと活躍を、えー、えー、えー……」
壇上にてスピーチを読み上げる小太りの中年。 ダンジョン学校といえども、話の長い校長は存在する。
実際のところはまだ二分も話していない。長いのではなく、ただつまらなくて退屈なだけなのだ。
「……」
しかしもう聞き手、この場合の新入生達は皆うんざりとした雰囲気を漂わせている。
中には真面目に話を聞こうとしている者もいるが、やはり全体的な数は極めて少ない。
それでも皆、文句はもちろんのこと私語を慎むようなことはしない。 うんざりとした雰囲気を漂わせてはいるが、逆に言えば漂わせるに留めているのだ。
ここにいるのは厳しい入学試験を通過した精鋭達。 未来のエリート候補生。
12才でも、既に大人顔負けのマナーを身につけてきているのだ。
しかしそんな中でただ一人、人の目も憚らず大きな欠伸を噛む少年がいた。
「ふぁー…… 相変わらず学園長の話つまんねえー」
背筋を伸ばすことも忘れ、気だるそうに頭を掻く。 さらに一人言をぼやいては、右隣に座る別生徒に絡む始末。
「なあ、つまんねえよな? 学園長の話」
「えっ、あっ、はい、そうですね……」
突然の出来事に、絡まれた少年はひどく怯えた様子で返事をした。
どうしてこの状況で話かけてくるんだよ。と胸の内で想いはするものの、少年は気弱な性格をしていてそれは出来なかった。
しかしこれがよくない。 絡む少年は相手が曖昧な受け答えしけ出来ないのをいいことに、さらに会話を弾ませようと仕掛けようとする。
「あっ! なあなあ知ってるか? あの学園長実はヅラなんだぜ! つっても学園の人間は皆知ってんだけどな、本人はまだバレてないって思ってんだ! 笑えるだろ!」
あっはっは、と、少年の笑い声が会場に響く。 それはもう驚くほど鮮明に、遮る雑音は一切無かった。
「あっはっは…… あれ? なんで皆こっち見てんの?」
とぼけた顔を見せる少年が言うように、会場内にいる人々は皆一様にして少年の方に視線を向けている。
無論、悪目立ちするようなことをしている少年がその原因に違いないのだが……
「い、Ⅰ - A、椿井天晴くん…… あとで学園長室へ来るように……!」
新年度早々、新入生の前でヅラ呼ばわりされた学園長は顔を真っ赤にしてそう言った。
静かな怒り。 巻き込まれた新入生や教員達は対照的に顔面蒼白となっている。
名指しを受けた少年、もとい椿井天晴はここでやっと気がついた。
あっ、俺やっちまった、と。
しかしもう全てが手遅れ、天晴は申し訳なそうに頭を抱え愛想笑いを浮かべるが周囲の緊迫した気配は彼を許そうとはしなかった。
そうして地獄のような時間が流れ、やっとのことで入学式が終わる。
予定ではこの後新入生達は各々の教室へと向かうこととなっている。 天晴の隣にいた気弱な少年はそそくさと彼の側を離れどこかへ消えた。
もう、誰も彼には近づこうとしない。 天晴という人間は既に一緒にいるとろくなことにならない危険人物という認識を持たれていた。
「うーん……」
少しだけ困ったような顔をするものの、天晴は気にすることなく教室へ向かおうとする。
すると、そのとき彼の背後から近づく一人の少女。
小柄な体躯、 ぱちくりと大きな瞳。 12歳ながらも将来性を感じさせる端正な顔立ち。
浅黄瀬鈴華は天晴と以前からの知り合いで、先程恥をかかせられた学園長の娘である。
「おにーさまっ!」
鈴華は慣れた動きで天晴の左腕に抱きつく。 本人はそれを特に振りほどこうとはせず、ただ短く返事をした。
「よっ、鈴華。 制服似合ってんじゃん」
それに対し鈴華は語尾にハートをつけて返す。
「ありがとうございまーす。 おにーさまこそ、とてもお似合いですよっ」
「皮肉にしか聞こえねーよ。 てか、そのおにーさまって呼び方なんとかなんねーの? 俺達兄妹どころか血も繋がってないじゃん」
「スズにとっておにーさまはおにーさまです。 それ以上でも以下でもありませんっ」
「ああうん、そもそも上下の問題でもねーんだけど……」
根負けする天晴だが、鈴華はここぞと言わんばかりに先程の事に触れた。
「にしても、さっきはすごかったですね! 入学式であんなに目立てるのはおにーさまだけですよ!」
「やめてくれ、 つい気が緩んぢまったんだよ。 ああ、第一印象は大事にしたかったんだけどなぁ……」
「あの空気感で気が緩むというのが、常人には理解出来ないんですけどね……」
ただのうっかりと言い張る天晴に、鈴華はそれもおかしいとそっと苦言を呈した。
「まあその、なんだ。 学園長には悪かったよ」
「お父様も本気では怒ってないと思いますよ? もう、慣れっこでしょうし」
「まじ? でも俺呼び出しくらったんだけど?」
「それはまあ、建前上は仕方ないかと」
「うへぇ、やっぱ説教か…… 多目に見てくれたっていいじゃんか……」
ぼやく天晴の言葉に鈴華はもう何も返さなかった。 相変わらず左腕に絡みついたままではあるが。
そうして二人は教室へ繋がる廊下を進んでいく。
時は2075年、世界中から入学希望者が殺到するエーデア迷宮学園と言えど建物の作りは然程の目新しさも見受けられない。
摩擦の強い緑のラバーマット。 石膏材で作られた純白の壁。 耐久面、安全面に優れたどこにでもある普通の校舎、普通の廊下だ。
清掃の行き届いた曇り一つないガラス窓。天晴はふとその窓の向こうに目をやる。
そこにあるのは高等部の学舎。 生徒数、施設数の多さから中等部のそれよりもさらに大きく立派な作りをしている。
「おにーさま、どうかされたのですか?」
「ん? いやなんも。そーいや、高等部も今日入学式だっけ? 生徒会長様はやっぱなんか仕事とかあんの?」
「お姉様ですか? はい、確か新一年生に向けて歓迎の挨拶を」
「はえ~、大変だなぁあいつも。 俺のとこ全然来なかったし、生徒会長って忙しいんだな」
「うーん、それはあんまり関係ないと思いますけどね~」
「え? どゆこと?」
「さあ、どういうことでしょう」
天晴の追求を、鈴華は軽い調子でとぼけてかわす。 天晴は首をかしげるが、その真意を追求するようなことはしなかった。
さあ、何はともあれ彼らの教室であるⅠ ‐ A教室に到着した。
「そういえば、何気に同じクラスでしたねっ」
「どうせおまえが学園長に口利きしたんだろうが」
「さーて、なんのことでしょう?」
「……まっ、なんでもいいけど。 でも教室じゃやたらめったら引っ付いてくんなよ? 世の中には世間体ってものがあんだから」
「はぁい、それじゃあほどほどに引っ付きますね?」
教室の扉を前にして鈴華はパッと天晴から離れた。 そうしてガラッとスライド式の扉を開ける。
中には既に教室に入っていたクラスメート達がいて、天晴の登場をきっかけにピリリとした空気に切り替わった。
「おー…… 歓迎されてねー……」
「ファイトですっ、おにーさまっ」
踏み出す足を躊躇うものの、鈴華からの声援を受けて仕方なく進む。
このとき、天晴はこんなことを考えていた。
こうなったら自己紹介で挽回するしかない。 やっぱり学園生活は楽しくないと。
しかしこれがさらなる事態の悪化を招くのだった。
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