第7話 幼女は湖畔を散策す。

ひゅん、と何かが風を切った。


彼方から飛来した矢は猪の喉笛に突き刺さった。猪は串刺しになった喉から掠れた悲鳴を上げ、のたうった。そして第二第三の矢が立て続けに目玉を突き刺し、猪は倒れて動きを止めた。


矢の飛来した方向から何組かの足音が近づいてきた。揃いの灰色のマントに身を包んだ三人組は、猪を転がすと何やら見聞し始めた。


「おい、これ」


一人が猪の後ろ足を持ち上げ、足の間を大きく広げて見せた。そこには猪の毛皮と同じ茶色をした、糸のようにも見える透き通った棘がびっしりと生えていた。


「水晶化しているな。ここに水晶の森があるのは間違い無さそうだ」


皆砕きの泉がある森、その南方は立ち入ることができる者が限られている場所の一つだ。立ち入りそのものに許可が必要だという意味ではあるが、実際には単純に困難な道のりだというのもその理由だった。


森の浅い部分には影響はほぼ無い。普通の生命が普通の森のように根付いている。深みに近づくにつれ木々や動物の体に水晶が混じり始め、深層ともなると正に水晶の森と呼ぶのがふさわしい様相となる。皆砕きの泉に近づくにつれその影響が強まるのだ。


そんな森の深層を目指す物好きはそういない。いるとするなら余程の熱意を持つ探検家か、何か目的がある者くらいだろう。果たして彼らは後者の人間だった。


「じゃあ皆砕きの泉もどこかに」


「ああ、慎重に行くぞ」


三人は顔を見合わせ、頷いた。先頭の男が背負っていた背嚢から赤い紐を出し、次の男が短刀を取り出した。彼らは木の枝に紐を括り付け、目印を作りながら進んだ。


紐は段々減っていった。一束が無くなる頃に彼らは水晶の森へと辿り着き、二束が無くなり、三束目が尽きようとしたところで、彼らは目的の場所へと辿り着いた。


「おい、光が見えるぞ」


「俺には水面に反射する光に見える」


「俺にもだ。見つけたんじゃないか」


彼らは目印を付けながら、先ほどよりも明るい顔で進んで行った。そして森を抜け、彼らの目の前には広大な湖と水晶の砂浜が現れた。


「見るからにこれだろう」


「まさか最初の探索で見つかるとはな」


「ああ、幸運だった」


「水を汲んで帰るか。帰りのキャンプはどこに張る?」


「ここで一晩泊まるとしよう。水の性質上危険は無いはずだ」


三人は水を瓶に汲み、それが終わると夜営の準備をし始めた。





「散歩にでも行ってみたらどうだい」


メリーがそう言ったのは突然だったが、傷ももうほぼ癒えているとお墨付きも貰った以上、それに反対する理由は幼女には無かった。幼女はポチを連れて家を出た。


ポチは駆け出すと少し行ったところで幼女を待った。時に登りづらい小高い場所や潜り抜けなくてはならないような藪の中を通ったが、幼女が通れる道だけを選んでくれているようだった。その道をなぞってポチについて行くのは幼女にもそう難しい事ではなかった。


水晶の木が茂る森は、透き通った水晶が光を通すため、常にある程度明るく保たれている。所によっては少し薄暗い中に木々の水晶が煌き、密集した水晶の葉を通る風がさらさらと音を立てていた。地面を見れば木漏れ日の代わりに透き通った緑の影が落ちている。それはあたかもステンドグラスを見ているようで、歩いているだけでも楽しかった。


そのうちポチは森を抜け、皆砕きの泉へと辿り着いた。幼女もそれを追いかけ、そして気づいた。皆砕きの泉は泉とは言うが湖だ。その対岸の湖畔に、何か人工物が見える。ポチに声をかけて待ってもらって、幼女はそれをよりよく見ようと試みた。灰色で、三角形。細く煙も昇っている。


人がいる。幼女は近づいてみることにした。


「ポチ、向こう、いこ」


ポチは一声鳴いて、歩き出した。向こう岸に見える物には気付いていないようだった。





「おい、誰かいるぞ」


男たちが野営の準備も終わって昼飯を作っていると、見張りをしていた男が声を上げた。残る二人は手を止めて立ち上がった。


「何?人がいるのか」


「何人だ」


「子供一人だ。それとでかい狼。近づいて来てる」


二人が見ると、確かに子供と、その肩ほどの高さの大きな狼が見えた。


「子供がこんな場所に?なぜ」


「殺すか」


「ああ。すでに見られているようだしな」


三人は警戒しつつ気付いていないふりをしながら座り直した。食事を作ってしまって、食べ終わる頃まで根気よく待っていると、二組の足音が聞こえて来た。そのうち一つは途中で止まり、唸り声に変わった。


「こんに、ちは」


子供の声だった。振り返って見ると、齢十にも満たないだろう幼女がそこに立っていた。飾り気の無いワンピースにこれも質素な靴。あまりに薄着で、この秘境に似合わぬ出で立ちだった。


「こんにちは」


「ああ、こんにちは」


「こんにちは!」


困惑しつつも三人は口々に答えた。目線を交わし、一人が立ち上がって話しかけた。


「君、一人?どこから来たの?」


「ひとり、違う。あなたたち、こそ、どこ、から?」


この格好、警戒心の無さ。こいつはこの近辺に住んでいるのだ、と男たちは思った。顔を見合わせて頷き合った。すぐにではなく、できる限り情報を引き出してから殺す。後ろで唸っている狼への警戒も怠るな。


「僕らは森の外からちょっとキャンプに来たんだ。君は?」


男はにこやかにそう言った。幼女は答えず、ちらりと男の後ろを見た。


「……水?」


「!」


隠したはずだ、と男は思った。こいつが来る前に全てテントの中に隠したはずだ。知っているはずがない。男は動揺を押さえ込んだ。しかし後ろで二人がみじろぎしたのが聞こえた。男は内心舌打ちをしたが、誤魔化そうと口を開いた。


「水?水って何の……」


「ポチ!」


狼が飛び出した。男は咄嗟に短刀を抜き、飛んできた狼を迎え撃った。牙と刃が風を切った。取った、と男は一瞬思った。しかし手に伝わる感触に青ざめた。ザザザッと何かを裂く硬い音が鳴って、狼は何事も無く着地した。


「固いっ!そいつは魔狼だ!」


魔狼は三人の中央に躍り出て、大きく遠吠えを上げた。





ポチは正面に二人を捉えた姿勢から左の男に向かって走り出し、飛びついた。男は身を躱したが、体制を崩し、足を縺れさせた。ポチは素早く男の右足の肉を喰いちぎった。男は悲鳴を上げて崩れ落ちた。


「ウィンドカッター!」


もう一人がそこに魔法を撃った。ポチは飛び退いた。その場は土煙に包まれた。男は煙が収まるのを待たずもう二発魔法を撃ち込んだ。煙が収まるとそこには地面に細い切れ込みができているばかりだった。


ポチは最後の男へと回り込んでいた。男は手に持った短刀で切り掛かったが、ポチの毛皮を傷つけることはできなかった。短刀の刃が毛皮の上で滑り、男はバランスを崩した。そしてポチは男の喉に噛みつき、穴を開けた。


残された二人目は森の中へと逃げ出した。ポチはそれを追わなかった。


男は知らない。水晶樹の成長は速く、彼らが付けた印の紐は既に千切れ、地面に散らばっている事を。水晶の森の地形は常に育ち砕け続ける水晶樹によってゆっくりと地形を変え続けており、彼らが来た時とはまるで別物になっている事を。


追わずとも男が生きて帰ることは無い。





ポチは男が森の奥へと消えたのを見届けると、幼女の方に歩いてきた。その口元は血に濡れていた。


「……ポチ、すご、かった」


幼女はなんとかそう言ってポチを撫でた。人が死ぬのを見るのは初めてで、このような血みどろの光景も初めてだった。ポチは無邪気に首の後ろを擦り付けてきた。毛皮についた血が幼女を汚した。幼女は力なく笑った。


「かえ、ろ」


ポチはひと鳴きすると歩き出した。幼女は決して振り返らず、ただ一心にポチの後ろを歩いて行った。少し吐き気がした。

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