第6話 幼女は癒術師と邂逅す。
幼女は疲れていた。今までほとんど寝たきりだったのが魔法の訓練を何時間もぶっ続け。メリーはゴールの設定が上手く、あれよあれよという間に時間が過ぎたが、だからと言って疲労が減ったわけではない。一日分の睡眠というのは訓練で溜まった疲労を完全に回復させるにはまだ足りなかった。具体的に言うと全身がふわふわして力が入りにくい。体が勝手に魔力を吸おうとしているような感覚だった。
疲れていたので寝直そうとしたが、そこで近づいてくる足音と話し声に気づいた。幼女の体は高性能に作られているので、耳だって普通よりずっといい。足音は二人と一匹分、会話は丸聞こえだった。
「——かと思っていたら、今度は傷はもう治ったときた。ちゃんと説明してくれるんだろうな」
中途半端に聞こえてきたのは、男の低い声だった。声は不満げな様子を滲ませていたが、そこには同時に諦めの色も混じっているように思われた。
「言葉の通りなんだから仕方ないじゃないのよ。治ったんだよ。傷跡ひとつ残らなかった。昨日は魔法の練習だってやったよ」
一方のメリーはいつもと同じあっけらかんとした物言いだった。
「お前病み上がりの子に魔法の練習させたのか!そういうとこだぞ!」
「何がさ!」
「いや今はそれより事情をだな」
「なんだい。話を逸らすんじゃないよ」
「それはお前が……まあいい」
ノックの音が二回して、ドアが開かれた。スープとパンの乗った盆を持ったメリーと、知らない男が立っていた。男は動きやすそうなズボンと薄手の服の上から、何か分厚い布に頭を入れる穴を開けたような物を被っていた。その出で立ちは前の世界の格式ばった聖職者を思わせた。
「おはよう。こいつはカール。見ての通りの癒術師だ」
「雑!あー、癒術師のカールだ。メリーとは腐れ縁。よろしく」
「よろ、しく」
「カールにはあんたの治療を頼んでいたんだが、今着いたんだ。でもあんた治っちまったからねえ……」
「びっくりだよ。ポチが噛んだって言うから急いで来たのに、着いてみたら治ってるとは、トホホだよ」
「ポチ、かむ、と、大変?」
「ん?ああ。ポチみたいな魔狼は牙に魔力を通すから噛み傷にも魔力が浸透して——って言っても分からないか。要はポチの噛み傷は治りづらいんだ。それこそ一生治りきらない人もいるくらいに」
カールの後ろからするりとポチが入ってきた。
「ポチ、すごい」
幼女はそう言ってポチを撫でた。ポチは気持ち良さげに丸まった。ポチのベッドにも届く高い背中を、幼女はしばし撫で続けた。
「あー、この子分かってんのかな?もうちょっと怖がるとかさ……」
「最初の説明だけでも分かっただろうさ。多分この子は頭がいい」
「ええ?いや信じるけど」
カールは戸惑いながらも椅子に座った。
「とにかく、君がポチに噛まれた傷も下手すれば一生治らない傷だったんだ。それが治ったと言われても癒術師としては納得しかねるし、心配だ。診察をさせてもらおうと思うんだがいいかな?」
「わか、た」
「それは良かった」
カールはここで初めて笑みを浮かべた。心底ほっとしたような顔だった。
「傷を……いや、傷のあった場所を見せてくれるかい?」
幼女は腹を出して、左側をカールの正面に出した。横からメリーが指を指してぐるりと幼女の腹をなぞった。
「噛み傷はちょうどこの辺りだったよ」
「見た限りでは痕跡は無いな……触るよ」
カールは幼女の脇腹を触った。最初は人差し指の先で、次に手のひらを当て、何やら得心したのか頷くと、弧を描くように指を滑らせた。
「噛まれたのはここだな。臓腑を貫いた魔力が楔のように埋まっている」
「すると何か悪いのかい」
「本当なら魔力干渉が起きて周囲の組織を傷つけるはず……いや、魔力干渉は起きている。とすればそれ以上の速度で治っている、のか?」
魔力干渉。初めて聞く言葉だと幼女は思った。それが起きると組織が傷つく……つまり魔力同士がぶつかると何かが起きて周囲に影響を及ぼすのだろう。それはメリーの魔力が幼女の魔力とぶつかり、その通り道をかき消したようなものだろうか?
考えているとメリーが言った。
「はっきり言いなよ」
「傷は重いが尋常じゃなく治りが早い」
「いい事じゃないか!良かったね、あんた」
「メリー、そういうとこだぞ。どう考えてもおかしいだろこれ。いや、それ以前に確かめなくちゃな。嬢ちゃん」
「はい?」
「痛くないのか?」
「え?」
幼女は気づいた。ポチの付けた噛み傷が原因で魔力干渉が起きて周囲の組織を傷つける。組織が傷つくのに痛みが発生しないはずがないのだ。それがたとえ治りかけの傷だとしても。だが自分はここ数日何をしていた?平気な顔でスープを啜り、夜はぐっすりすやすや眠り、昨日は魔力を動かして何時間もぶっ通しで魔法の訓練をしたではないか。
自分は痛みを感じない。最初にここで目を覚まし、傷をまさぐった時から既にそれには気づいていた。言う必要は無いと思っていたし、言うつもりも無かった。話が面倒になるからだ。会話に困難を抱える幼女にとって話題の複雑化は避けるべき問題の一つだった。だが、隠し通せないのでは無いか?しかし事ここに至っても幼女はいかにして誤魔化すべきかを考えた。
「あ、えと」
「……」
カールがじっと見つめている。幼女は目を逸らした。
「……いた、か、た」
「あんたずっと我慢してたのかい!」
「いや騙されんなよ!」
誤魔化せなかった。
「痛みは感じない、と。それならそれでいいんだ。いや良くはないが」
「なぜ?」
「痛くても分からないのは危ないけど、今回の場合はもし痛かったら耐えきれずに暴れたかもしれないだろう?そしたらポチになおのこと噛まれていたかもしれない」
「なるほど」
「他に変な場所は……左腕の魔力が変な流れ方してるな」
「変ってどういう事だい?」
「魔力の流れは物理的な動きとある程度連動するから、筋肉やら神経やらに沿って魔力が流れるルートみたいなものが次第に作られていくのが常だ。嬢ちゃんも基本的にはそうなってるが、左腕だけそれが無い。そこだけ魔力がまとまりなく好き勝手に流れているんだ」
「つまり?」
「嬢ちゃんは左腕動かせねえんだろ」
「バレ、た」
そう言って幼女は困ったような笑みを浮かべた。カールは苦々しげな顔をしていた。
幼女は内心驚愕していた。体を少し触られただけで隠し事が軒並みバレてしまった。癒術師とはここまで正確に体を調べられるものなのか。癒術師ならばもしかすると自分以上に自分の体に詳しいかもしれない。もしかすると狂ってしまった感覚だの運動機能だのをなんとかできるかもしれない……そう思ったのは否定できない。
だがそう上手くはいかないことはカールの顔を見れば想像がついた。治せるならばこんな苦しげな顔をする必要はどこにも無いのだ。
カールはため息をついて立ち上がった。
「とりあえず嬢ちゃんはここに住むって事でいいんだな?」
「ああ、そうだね。一人で森を抜けられるくらいになるまでは面倒を見るつもりだよ」
「魔法がダメで徒手もダメならどうやって身を守るのかって話になるな。まあそれはおいおい考えて行けばいいさ」
じゃあまた来る、と言ってカールは部屋から出て行った。その穏やかな笑顔を見て、幼女は少し不安を覚えた。将来、未来に対する不安を。
その晩、ベッドの中で幼女は考えた。カールは本人が言ったようにまたやって来るはずだ。メリーはこの家に住んでいて、二人ともきっと良くしてくれるだろう。ただ、いつまでもそれに甘え続けるわけにはいかない。いつかはここを出る時が来る。
この体のスペックはかなり高い。材料に手を加えることで製造時点でかつての自分の体を上回るだけの性能を持たせてある。自然治癒力など一生治らないはずのポチの噛み傷が治るほどだ。けれど、魔法は教わってもまともに使えないし、腕も片方役立たずだ。課せられた制限の中で最低限身を守るために自分に何ができるのか、そして何ができるようになるのか。幼女は考え、答えの出ぬまま眠りについた。
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