第4話 幼女は魔力を獲得す。
「ふーっ、ふーっ」
幼女は玉のような汗を浮かべてベッドのシーツにしがみ付いていた。
脱力した自分の体を這い回るような何か、自らを犯し嬲ろうとする何か、自分の中に侵入して来ようとする何かを、幼女は魔力だと判断した。メリーの口ぶりから言ってそれは人体に害のあるものではないし、魔力なんて言うからには吸うことができればきっと何かの役に立つのだ。ならばどんなに気持ち悪かろうと幼女がそれを拒む理由は無かった。しかし。
「……慣れ、ない」
問題はそこにあった。自らの中に何かが侵入してくる耐えがたい嫌悪感は少しも薄れはしなかった。もう何度も体を脱力させ、流れ込んでくる魔力に身を任せた。しかし、その度にあまりの恐怖と気持ち悪さに体が跳ね、涙を流して手に当たるもの全てに縋り付こうとしてしまうのだ。それが幼女の新たな悩みの種となっていた。
メリーはそれなりに世話を焼いてくれたが、やはり役目が忙しいらしく大抵の時間家を空けていた。ポチもそうだ。何度か部屋に入ってこそ来たが、番犬のような役割があって外を巡回しているそうだ。それが好都合であり、不都合でもあった。メリーがいなければ色々試行錯誤して変な声を出したり、多少叫び声を上げたりしても問題無い。けれど言葉が自由にならない幼女にとっては、メリーに気づいてもらう方が何事もスムーズに進むのだ。今は不都合な面が存分に発揮されていたが、幼女にはどうすることもできなかった。
「ちょっと前から思ってたけど、あんた魔力吸うの遅くないかい?」
だからそんな事を言われたのは渡りに船だった。
「魔力、気持ち、悪い」
幼女はとりあえずそう言った。それを聞いたメリーはしばし考え、言った。
「じゃあちょっと流してみるか。手を出して」
メリーが何を考え何に納得したのかは分からなかったが、幼女は恐る恐る手を出した。メリーはその手を握るとにやりと笑った。
「こひゅ」
次の瞬間、幼女はくずおれた。何が起きるでもなく、ただ体から力が抜けた。あらゆる力が入らなくなり、急に首ががくりと落ちて呼吸が止まった。
「——!……!」
喉を空気が無理やり通って声にならない音を立てた。気持ち悪かった。メリーの握った手から何かが流れ込んできていた。それは腕から体へ、体を通って全身へ、至る所をめちゃくちゃな進路で進みながら、全身を余すところなく巡って行った。幼女は逃れようとして痙攣した。それ以上の動きは取れず、かえって力が抜けていった。
自由にならない体の中で、幼女ははっと理解した。魔力を流されている。
魔力を吸おうとしたときに体の力を抜いたように、魔力を強制的に吸わされる事により、逆説的に全身が弛緩しているのだ。この魔力の奔流が途切れぬ限り体は動かず、この気持ち悪い感覚から逃れる術もまた、無い。
「あ……お……」
気づいた幼女は叫び声を上げようとした。その恐怖に身を任せ、心を任せ、暴れずにはいられなかった。しかし体は動かず、声は出る事も無かった。
やがて涙と共に涎が溢れ、呼吸もままならなくなり、失禁して、幼女は意識を失った。
気絶した幼女を抱え起こし、メリーは失禁の処理をした。ベッドも多少濡れていて、色々と変える必要がありそうだ。
「しかしここまで耐性が無いとは」
メリーは幼女がどこから来たのか不思議に思った。魔力は世界に満ちている。普通は生まれた時点から魔力に晒され続ければ自然と魔力を吸い込み、成長の過程で魔力への耐性を獲得する。魔力を吸い続ければ魔力への嫌悪感やら何やらは減っていくのだ。にも関わらず『気持ち悪い』と言った幼女。メリーが持つ魔力のほんの一部を流してやっただけで5分と経たず気絶してしまった幼女は、その耐性を殆ど持っていないようだった。どんな生活を送ればここまで魔力に対して無垢な人間が生まれるのか。
メリーはそこで思考を切り替えた。幼女が何者であろうと彼女には関わりの無い事だ。いずれ傷が治れば幼女は出て行く。そこまで入れ込む必要は無い。しかし、魔力に無垢なこの幼女は、外に放り出されて生きてどこかに行けるのだろうか?
少なくともしばらくは側に置いておかなければ、とメリーは思った。そして、後始末を開始した。
幼女が目を覚ますと、無数の何かが自分の中を動き回っているような感覚がした。けれどそれは以前ほど気持ち悪くは感じなかった。
幼女はそれが魔力なのだと直感した。今までに無かった感覚だった。
「目が覚めたか」
起き上がって横を見るとメリーがいた。少しほっとした顔をしていた。
「どうだい。魔力は暖かいだろう」
幼女はゆっくりと頷いた。そう、それは暖かかった。体を巡る血潮のように。
「後で魔力を吸ってごらんよ。楽になってるはずだからさ。傷もだいぶ良くなってるし明日から外に出てもいいよ」
そしたら魔法を教えてやろう、と言ってメリーは部屋を出て行った。
幼女は魔力を吸おうと力を抜いた。以前より力が入った状態でも魔力が入ってくるようになっていた。そしてその感触も以前よりずっとはっきり感じた。何かが全身から入ってくる。その流れは以前感じたより格段に安らかなものだった。そして、それは肉の中に溶け、体を包むように広がって行った。メリーの言った通り、楽だった。
幼女はもう一度横になり、天井を見上げた。魔法。その言葉がやけに魅力的に響いた。魔力というものがあると聞いた時から、魔法もあるのではないかと思っていたが、やはり実際に聞くとまた違った興奮があった。
魔法。例えばあの壁の光もそうだろう。ああいう事ができるようになるのだろうか。
幼女は思う。なぜ魔力なるものが、魔法なるものが存在するのだろうか。元いた世界にそんなものは無かったし、それで世界は回っていた。世界というものはそういうふうにできている。存在する材料で作れるものが出来上がる。ならば魔力が存在するこの世界には魔力が必要不可欠なのだ。魔力が存在する分、何か別のものが欠けている。それは一体何なのか……
幼女の思考が落ち着いたのは、夜になって壁の光が消えた後の事だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます