第10話「こんな方が、どうしてよくして下さるの?」

 私はそれから月代先生と親しくなった。自分が住むA市から、横浜の月代先生のご自宅兼ティーハウスまでは案外近かったし、ずっと憧れていた、もっとよく知りたいと思っていた横浜の街に「友達」ができたのも嬉しかった。


 私の住むA市は、横浜市と同じ神奈川県にある。距離的にも近く、首都圏の港町、というところでは共通点がないこともないのかもしれないが、人口がまったく違うし、こちらは比較的のんびりしていると思っている。

 米軍施設があるせいか、よその人には、「やっぱりアメリカ人が多い、国際的な街なんでしょ。歌にもなっているよね」と言われることがある。


 地元には友達や親戚も多く、面白い場所もあるし、居心地のいい街だ。


 ただ、私の住んでいるところは普通の住宅地である。都市の規模の大きさや異国の香りの強さは横浜とは違いがあると思う。

 そんな街の素敵な場所に、紅茶、中国茶、お茶について博識な「友達」ができた。


 私は、月代先生のティーサロンでの、紅茶教室に通うことにした。

 月謝制で、値段も良心的である。でてくるものはお茶、お菓子すべて非常においしかった。

 生徒の数はそんなに多くないようだった。私だけのこともあれば、数人のこともある。

 よく見る人はいつも同じ顔ぶれで、そうでない人はしょっちゅう変わったが、そんなものなのだろうと思っていた。


 ただ、私は紅茶について習いたいからお金を払って来ているのに、先生は、自分が最近凝りだした、中国茶についての授業をしたがるので、正直いって困る時があった。

 他の生徒がいるさいは、約束した通り、紅茶の授業になる。

 時々、先生に輪をかけて上品な女性や、どういう関係なのかは知らないけれど、月代先生が非常に気を遣っている感じがする、多分同年代の女性達が参加すると、予定通りの授業が行われる。

 そういう時は、授業が終わったあともたくさんの紅茶がふるまわれ、

「ゆっくりしていってね、うちはそのためにあるんだから!」

 と先生が言い、楽しそうな女のおしゃべりが始まる。よく来る人達は家庭の事情も話していて、うちとけて、親しそうだった。仲がいいのだ。


「素敵ですね」

 とある日私が言うと、月代先生はこう答えた。

「ありがとう。今日のメンバーは特に、長いつきあいなのよ。見た目も中身も、本当に素晴らしい方ばかりが来て下さるから、いつも本当に幸せだわ。……私、ちょっと内気だけれど、お紅茶の会ではいきいきしてるねって、言われるの。人が大好きなの」

 すると、そのうちの数人が、同時に凍りついたような表情になって、目をふせた。

 ――あれ?本当は月代先生が苦手?意地悪でわざと、しめしあわせて、数人でこういう顔をしたのかな?

 ……でも、今、席が離れている人もいるのに、先生の言葉が聞こえたら、数人がまったく同時に、反射的に、こわばった表情になったわ。反射的に。


 月代先生を見ると、相変わらず優雅な、幸せそうな笑みを浮かべていて、まったく介している様子がなかった。……この人にも悪意や反目する気持ちがあるようには見えなかった。


 こんな豪邸に住んで、ティーサロンをやっている人が相手だし、女同士だから本当は嫉妬だとか、難しい感情があるのかな?


 私は疑問だったが、訊いたことはなかった。ただ、ここで、二人で紅茶を飲んでいるさいに、

「先生のような方にも、きっと悩みがあるんですね」

 と言ったことがある。すると、

「そりゃあ、あるわ。……この家、維持費が大変で。実は、奥の方には凄いところもあるのよ。……最近、他にもいろいろあってね」

「なんですか?差し支えなければ」


「いえ、大丈夫よ。でも、沙奈ちゃんのような記者さんと仲よくなれて嬉しいわ。何かあったら、よろしくね」


「維持費ですか。こういう建物はそうらしいですね。書き手としてはできることと、できないことがあると思うんですけれど、何かあったら気軽に、どうぞまずはご相談下さい。そうじゃなくても、一人でかかえこまないで、なんでも気軽に相談して下さいね」

「ありがとう!頼りにしてますよ。……ふふ、今日は本当にいい天気。窓を開けましょう」

 凝った窓が開くと、外に見える、高台からの眺めがますます美しく見え、庭から花の匂いがした。


「わあ、こんな眺め、初めてです。ぜいたくですね」

「でしょう。私、このおうちが大好きなの。……今日、鎌倉から取り寄せたお菓子があるんだけれど、召し上がる?」

「いいんでしょうか?」

「ええ、少しだけだけれど、わけっこしましょう」


 見てみると、とても美しい洋菓子だったが、思ったより小さくて、一つしか残っていなかった。遠慮しようとすると、「いいの、いいの」と強引に二つに切って、片方をくれた。

「優しいですね。ありがとうございます」

「ふふ、私は優しいわよ。……これ、高いんだもの。一五〇〇円もしたわ」


「高いですね」

「でも、沙奈ちゃんのようなお友達と一緒に食べられて、おいしいお茶も飲めて、嬉しいわ」

「私も嬉しいです」


「……ああ、幸せ。私ってば、こんなささやかなことで幸せになれる人間なのよ、うふふ」

 その時、私はなんだか感動してしまった。こういう人を本当のお嬢様育ちというのだ。

 思ったより倹約家なのかもしれないが、本物の良家で育った人はそうなのかもしれない。それに、月代先生の爪はいつもきれいに整えられて、つけているジュエリーもよく変わる。

 そして、自宅にいても、くつろいでいても、いつも実に素晴らしい姿勢で、きれいな声と話し方で、食べ方、飲み方も美しかった。

 こういう美というのは、日常生活自体を整えないと生まれないものだ。普段から、誰に見られていなくても、見返りがない状態でも、美しく振舞うことで、この種の品がにじみ出る。


 紅茶教室には、外国人を含めた男性がいることもあった。ほれぼれするようなイギリスの紳士がたまに友達と来ていて、私はそういう人達と初めて会った。ちょっと英語を習うことができたり、これは非常に楽しかった。

 とにかく月代先生はどんな人にもいつも気さくで、おせっかいなくらい親切で、初めての人は特に、先生の美しさ、エレガントな雰囲気、優しさを褒めた。


「アットホームな教室、先生のお人柄をあらわしていてとても素晴らしいわ」

「こんな素敵なおうちで、おいしい紅茶と凝ったお菓子をいただいて、ゆっくりさせていただくなんて初めて」

「猫ちゃんもいるし、弟子入りしてここに住もうかしら?」


「どうぞどうぞ、今度、中国茶のお免状のレッスンも始める予定ですから。いつでもお生徒さん、お弟子さん募集しているのよ。私は賑やかなのが大好き、人が好きなの」

 と月代先生は満面の笑みで言った。


「私、せっかくだから、お紅茶のお免状がほしいわ。月代先生のような方から」


「先生は紅茶がご専門なんですよね?お血筋もあるし。イギリス人とのハーフなんですもの」

 

 初めてこの教室に来た、ふくよかで人のよさそうな中年の女性がそう言うと、月代先生の顔があっという間に曇った。

 ハーフであるのを知られたくない、というのは最初に聞いたが、その時の表情はもの凄く、まるで、脅迫された人のようだった。


 その人は、のんきな様子でこう言葉を続けた。

「いえ、こちらにうかがう前に、最寄りの駅に、だいぶ早めに着いてしまったものだから、あの、駅前の喫茶店で時間をつぶしていたんですよ。……そうしたら、突然、お店の方が声をかけてきてね、『お客様はこれから、月代先生の紅茶教室にいらっしゃるんでしょう?』って。……ご近所の方ですよね?」


「……ああ、あのお店ね。まあ、近所よね。ずっと住んでいらっしゃる方だし」


「そうですけど、と答えたら、『月代先生のお教室にいらっしゃる方は、ひと目見て、すぐ分かりますわ』って。……何も言わないのに、どうして分かったのかしら?」


 月代先生の顔色はますます青くなった。だが、やはりその人は気に留めていない。話を続ける。


「『ええ、マルシェで知りあったんですけれど、あんなにセレブな感じの方が気さくにお話しして下さって、びっくりです。こんな方が、どうしてよくして下さるの、って。まるで女優さんみたいで』って言ったら、『ご存じなかったの?月代先生はイギリス人とのハーフで、モデルだったんですよ。お姉さんもそうで、一時、その方は有名でしたよ』って」


「そうだったんですか?凄い!だからきれいなんだわ」

「……姉はそうだったのよね。母そっくりで、むこうは日本人の血が入っているというと驚かれるくらいの顔でね。年頃になったら、東京ですぐスカウトされて。私もその時一緒にいたので、同じモデル事務所に入って、多少は活動していたのだけれど、『全然似てないね』って、いつも言われて、少し恥ずかしかったわ」


 相手は申しわけなさそうに言った。

「そんな、私のようなものは、月代先生のような方と一緒にお茶をいただいたなんて初めてですよ」

「色の白さが違うもの。それに本当にエレガントでおきれい」


 月代先生の顔に輝きが戻った。

「そんなに嬉しいことおっしゃらないで!このおかえしは、とびきりのお菓子でしますからね。じゃあ、とっておきを出すわよ」


「……せっかくなんですが、実はそろそろ失礼しないと。それと、紅茶にもお免状はあるんですか?あるなら、こちらに通わせていただいて、先生からいただけたら光栄です」


 月代先生は、少し黙ったあと、目を見開いた独特の表情になり、

「茶道とかにはあるの?……紅茶には、そういうものはないわ。お免状なんて」

 と言った。

 ――あれ、この顔、今までにも見たことがある、と私は思った。


 あのさいも実は少し違和感があったけれど、いつだったっけ?


 その女性は、なおも無邪気に言った。

「紅茶にはないんですか?」

「イギリスにはあって、私、そちらの『お免状』はもっているわ。イギリスで試験を受けて、合格したのよ。日本にはそういう本格的な資格はないはずよ。少なくとも、うちでは今、やっていないわ」

「まあ、残念です」


 それから、月代先生は、パートがあってそろそろ帰らないと本当にまずいから、というその女性を笑顔で強くひきとめて、「とっておきのお菓子」を出しただけ、すべて食べ終えさせるまで帰さなかった。

 実は私もそうで、急ぎの記事を書かなければ寝られないから、と何度も言ったけれどだめだった。

 最後の方は、「どうしよう、私がいないとお店が始まりませんよ。大変なことだわ」と相手がうろたえていたけれど、月代先生はしみじみ幸せそうな笑顔だった。


 私も冷や汗が出た。そして別れ際に月代先生にその笑顔で、

「今日、寝られるといいわね!」

 と言われた。帰宅した私は、家族に、「本当のお嬢さまは気がつかないこともあるのね」と笑って告げたけれど、その晩本当に寝られなくて、記事もいいものにはならず、そのミスがたたって、その紹介者から辛辣な評価をうけ、しばらくその人からは仕事がこなかった。(続く)

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