ハルマゲドン編

第376話

〈東京にあるとある施設〉


 柱のように部屋の中央に置かれる透明な筒。その筒はシャンデリアのように輝く機械、量子コンピューターを保護している。その付近にあるモニターを眺めている2人の男がいた。1人はサイズの大きなナイキの黒いパーカーを着て、下はジーンズを履いている。もう1人はそんなカジュアルなファッションとは対照的に灰色のスラックスに皺一つない白いシャツを着ていた。


 天井埋め込み型のスピーカーからドビュッシーの『月の光』が流れ、その部屋全体を美しく煌めかせる。


「え!?」


 静かなピアノの調べにナイキのパーカーを着た男の口から不協和音が発せられた。


「ん?どうした?」


 白シャツの男は訊いた。


「ハルの脳内に異常な値のドーパミンが……」 


「初体験か?」


 白シャツの男はにやつきながらハルの座標を確認した。


「いや、普通にクロス遺跡の宿屋にいたんだが……」


「デリヘルみたいなのが向こうの世界にもあんだろ?」


 軽口を叩く白シャツだが、ナイキの男は訝しむ。


「まあまあ、この実験もそろそろ終わるんだ。もう少し気楽に……って、え!?」


 今度は白シャツが驚く。


「どうした!?」


 ナイキの男が訊ねた。


「い、今ハルのステータスが膨大な値になった気が……」


 白シャツは目を擦った後、キーボードを叩いて確認するが以前と変わらない値をモニターは示していた。


「報告するか?」


 ナイキの男は訊く。


「…いや、きっとそっちで観測されたドーパミンのせいで戻る瞬間に今までよりも高いエネルギーが放出されたんだろう」


「あ!なるほど!」


 白シャツは黙って自分の考えが正しいかどうかを思考していた。思い詰めたように思考する白シャツを見てナイキの男はまたしても訊ねる。


「どうした?やっぱ気になるか?」


「…あぁ、やっぱり気になるな…お前の初体験どんな感じだった?」


「そっちかい!!俺はぁ──」


~ハルが異世界召喚されてから1日目~


 父南野ケイとは、ハルが中学生の時に喧嘩をしている。ハルが母南野アイと口論になった際、ハルの母親に対する言動が我慢ならずハルを殴る勢いで怒鳴ったのだ。授業参観に来ないでくれと母に頼み、了承してくれたにも拘わらず、母がノコノコと教室に入ってきたのが原因だ。何も知らない父南野ケイが母の味方しかしなかったことにハルは納得がいかなかった。約束を破ったのは母の方なのに。そこから双方口をあまりきかなくなった。母は自分のせいで父と息子の仲が悪くなったのを気にしていた。


「オイ!」


 ハルは後ろを振り返る。不良少年の2人組がいた。


「お前!ここらへんの人間じゃねぇな?痛い目に合いたくないなら金だしな!」


 聞いたことのあるセリフ。そんなに何回も聞かされてはペシュメルガの言っていたことをいやでも思い出す。


『人工知能……』


 結局、自分を含めて彼等も人工知能に過ぎない。


『まずお前が世界を壊す……』


 不良少年の1人がハルに掴みかかろうとするのをハルはヒラリと避けた。ハルの身のこなしに驚く2人は、示しを合わせて2人でハルを押さえ込もうとした。しかし、ハルをとらえるどころか触れることすらできない。


 自分に向けられる敵意と攻撃を躱し続けるハルだが、次第にイラつき始めた。


 ──どうして父さんは僕を生んだんだ!?


 AIではないオリジナルの自分を何故この世に生み出したのか。生まれなければそもそもこんな実験などしなくてすんだのに。


 込み上げる苛立ちは無意識にハルの避けるスピードを上昇させた。避けるステップを踏む度、石畳にヒビが入った。


 ──しかも僕を造ってはこんな世界に送り込んで、実験!?ふざけんなよ!! 


 不良少年達は同時にハルを捕えようとタックルを試みたが、ハルはすり抜ける。少年達はそのまま前のめりとなり、路地裏の冷たい地面に倒れた。


「いでぇ!」

「うぐっ!」


 不良少年達は横這いとなり、両手をついて起き上がろうとするが、背後にいるハルの気配に寒気を催したのか、不良少年達はそのまま後ろを振り返らず、地面を泳ぐようにして起き上がり、走り去った。


 ハルは二人組の背中を見据えて考える。


 ──だけど、僕を生まなければ僕がこうやって生きることはなかった。いや!だとしてもこんな過酷な世界に……


 思考に耽るハルは忘れていた。両脇の建物に狭められた小さな空から槍を携えた戦士がハル目掛けて降ってくることを。ハルはまたしてもヒラリと避けた。


 今度はさっきの不良少年達よりは強いフルートベール王国の戦士ランガーがやって来た。


「はん!お前ただもんじゃねぇだろ!?」


 槍を構えるランガーに目もくれずハルは目線を斜め下に向けて考えていた。


「無視すんじゃねぇ、よ!!」


 ハルは首を傾けてランガーの攻撃を躱した。


「は!?」


 驚きを見せるランガーだが、ハルは思考の内に沈んでいた。


 ──僕を送り込んだのには何か理由があるのか……ペシュメルガは人間の可能性を実証する為とか言ってたけど……


 ハルは突かれる槍を全く見ずに躱し続ける。


「なんだ……てめぇ……」


 ランガーを無視してハルは思った。


 ──もしかして……


 ペシュメルガの言っていたことを思い出す。


『お前の父親はお前のことを愛している』

『お前のスキルには父親の愛で溢れている』


 ランガーは少し間合いをとって、集中し始める。そして言い放った。


「槍技!三連突!!」


 物凄い速度で突き抜かれる槍をハルは全く見ずに掴み取った。


「はぁ!?」


 呆れるように驚くランガー。ハルはそのまま槍を握りつぶしながら呟いた。


「やっぱ直接話を聞くしかないのか……」


 武器を失ったランガーはハルとの間合いを取るために、十分距離をあけて後退してからハルを指差しながら告げる。


「そこで待ってろ!新しい槍持ってくっから!!」


 ランガーは姿を消した。ハルはそれに見向きもせずに考える。


 ──でもこの世界を壊せって……


「あぁ!!結局僕の行動頼みじゃんか!!」


 壮大な父の計画とペシュメルガの計画。そんな計画達に自分は踊らされ、苦しむ羽目となる。


 いや、この世に生まれれば誰かしらの計画の内にいる。そこで管理され支配を受ける。この世界に連れて来られたから、自分が人工知能だからではない。例えオリジナルのハルが日本で生活を続けていても学校や親、企業や社会の中にいる筈だ。


 ──そしてきっとオリジナルの僕は僕と同じで、自分を許せないくらいのヘマを犯す。それで今の僕のように自分の境遇や周りの環境を呪うんだ。だって僕だから……そうか、だから父さんは僕をここへ送り込んだんだ。


 自分を助けられるのは自分しかいない。


 ハルはこの世界へ来て学んだことを思い出す。


「確かに色々な経験をしたさ!以前の僕には戻れはしない!!でも、それでも絶望も苦痛も心に残った傷も何も知らない、あの頃の僕のまま生きていたかったよ……」


 ハルが独り言を吐き出すと、物音が聞こえる。はっとしたハルは辺りが暗くなり、もともと薄暗い路地裏を更なる闇が埋め尽くしていたことに気が付いた。ペシュメルガから聞いたこと、自分自身のこと、父親のこと、色々なことを考えていたら時はあっという間に過ぎていた。自分がしばらくの間思考し続けていたことに驚くと、闇の奥からたどたどしい足音が聞こえてきた。


 1人の酔っ払いが現れる。


「なーーに見てやがんだコラァ!!」


 ハルは酔っ払いを一瞥すると、思った。


 ──そうだ。この人も人生に絶望を抱いているんだっけ。そしてそれをアルコールで誤魔化している……


 結局歳を重ねて、知識や強さを身に付けても悩みの種はなくならない。この世界でそうならば、日本や地球上でも変わらない筈だ。


 ハルは酔っ払いに同情の目を向けると、酔っ払いは急に酔いが覚めたかのように呆然と立ち尽くしたかと思えば、突如として目から涙を流した。


 ペシュメルガを一目見た時、神のような存在であることがハルには理解できた。実際は堕天した天使なのだが、そんな者から前回の世界線でレベルを無理矢理上げられたのだ。自分もペシュメルガと同じような存在となっていてもおかしくない。


 自分の想いを吐き出して感傷的になっていた今、魔力が酔っぱらいを包むようにして漏れ出していることにハルは気が付き、押さえた。


 ハルの魔力から解放された酔っぱらいは見ず知らずの少年の前で醜態を晒したことにハッとして、ハルに向かって悪態をつくことでそれを誤魔化した。勿論ハルはその姿を醜態だとは思っていない。


 ハルは酔っ払いに近付こうとしたその時、酔っ払いの背後から新しい訪問者が現れた。


「だ、大丈夫ですか?」


 ピンク色の髪をしたルナが呻く酔っ払いに声をかける。ディータにまだ憑依されていないルナだ。


 酔っ払いは若い、それも女性にこれ以上の醜態を晒せないと思ったのか、ハルに背を向けてルナとすれ違うようにして立ち去った。


 ルナは酔っ払いの背が闇に溶け込むまで見届けるとハルに向き直る。


 2人の間に沈黙が広がった。


 ルナはハルのことを見つめている。きっとルナの目にもハルが尋常ならざる者のように見えているのかもしれない。ハルはそう悟られない為に、押さえ込んだ魔力を更に内に秘めるようにして隠す。


 その時、ハルは背後から自分を威圧してくる気配を感じ取った。それに当てられてかハルの正面にいるルナは一歩後ずさる。


『あとは、お前の好きにしろ……』


 またしてもペシュメルガの言葉を思い出す。先程の酔っ払いのようにハルはもう少し自分の感情を表に出すべきだと思った。


 殺気に当てられ冷や汗をかくルナに向かってハルは言った。


「ここを離れないでください」


「へ?」


 ハルが魔力を解き放った。強い風が巻き起こりルナのピンク色の髪を揺らす。


 ハルとその背後にいる者の圧力に気圧されるルナはハルの言ったことにただ従うことしかできない。


 ハルはルナに構わず、背後を振り向いた。


 紫色のドレスを着たエレインが佇み、口を開く。闇に溶けるような柔らかい声色がする。


「おやおや、どうしたものかしら……」


 これからやるのは感情表現だ。自分を生み出し、この世界へ連れてきた父親への怒り。それでもこの世界から学び、経験したことによって父親の行動を理解できてしまったやるせなさ。前回の世界線だけでなくこの世界に来てからエレインに煮え湯を飲まされ続けた屈辱。


 憂さ晴らし等では決してない。


 ハルはアイテムボックスから覇王の剣を取り出した。

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