帝国ライフ編

第334話

~ハルが異世界召喚されてから1日目~


 薄暗い路地裏は人が少なく日陰であることから、熱い陽光から逃れるには絶好の場所だ。しかし、一度そこへ逃げ込めば今度は、じめじめとした湿気がねっとりと肌に纏わりつく。光り輝く恒星テラに照らされるか、もしくは熱を帯びた湿気に覆われるかは自由だ。


 路地裏には湿気以外にもう一つ短所がある。それは、治安が良くないことだ。


 今日も、金目のモノを求める2人組が路地裏を歩いていた。


 ひんやりとした地面には何年も水浴びをしていない年老いたホームレスが明日を夢見ながら座っている。


 2人組はホームレスを一瞥すると、彼に触れないように通りすぎる。見るからに金目のモノなど持っていないからだ。また、同じくボロボロの衣服を纏った2人組の不良達は、将来の自分達を見ているようで、先程まで楽しく社会に対する不満をぶつけ合っていたのだが、ホームレスを見るなり無言となった。


 2人はそのホームレスを見てお互い何を感じ取ったのかわかっていた。無言になる2人は、その空気を振り払うかのように右側に広がる通路を眺めた。


「ん?」


 そこには、ホームレスと真逆の明日の輝ける未来と金目のモノを纏った少年が1人佇む。


 2人は、にやついてから目を合わせて、頷いた。そこには金が手に入るだけでなく、気まずい空気から解放される喜びも含まれていた。


 2人の内の1人、背の高い方の不良が、路地裏に1人で佇む少年に声をかける。


 先に威圧するのはいつも彼の仕事であった。


「オイ!」


 正面にいる少年がさぞや自分達に怯えるのだろうと予想する2人組だが、その予想は早々にして崩れ去る。


 怯えるのは自分達の方だった。


 今まで数々の修羅場を潜ってきた2人組の不良。金目のモノを奪うとなると危険を伴わないわけがない。


 初めて人から金を奪った時のことを思い出す。同じくこんな薄暗い路地裏での出来事だ。昼間から飲んだくれていた酔っぱらいから、金を奪った。そして全力で走って逃げた。言い逃れが出来ない一線を越える瞬間は身体が上手く動かないモノだ。それは重度の緊張から来るモノ、言語化できぬ感覚だ。そう、身体がいつもより重たいのだ。


 そして今2人組の不良達は、身体を動かすことができなかった。


 これは重度の緊張から?いや違う。本当に空気が重たいのだ。首を横に向けることすらままならない。


「うっ……」

「あっ……」


 正面にいる少年は、2人が上げる呻き声によってようやく、2人の存在に気付いたようだ。


 少年は驚いた表情をして言った。


「ごめん!重かったよね?」


 少年はそう言って、肩の力を抜く。いや、抜いたように見えた。


 すると、不良達にのし掛かっていた空気が急に軽くなる。2人は両肩に掛かる重みがなくなったことによりその場にのけ反るようにして尻餅をついた。


 驚いている間に少年の姿は見当たらなくなった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

「ひっ、ひっ、ふぅ……」


 2人は今起きたことを確認しながら息を整える。


「今、空気が重くなって……」

「軽くなった?」


 2人は目を合わせて、立ち上がった。


 いつもよりも空気が軽い気がする。陰鬱になりそうなジメジメとした路地裏が嘘のように清々しい。両側に連なる建物と建物の間から見える青空がより青く美しく見えた。


 2人組は何事もなかったかのように一歩前へと踏み出した。


─────────────────────


 照りつける恒星テラは、地上よりも建物の上にいた方が風が心地好い。


 しかしそんな風に当たっていても槍使いランガーの退屈な気持ちは晴れることはなかった。


 半月後の帝国との戦争が待ちきれない。訓練は午前か午後の一回だけで、HPやSPを慢性的に疲労させないようフルートベール王国軍は調整している。


 ──大きなお世話だ。


 ランガーは子供の頃から戦闘が大好きで、周りからは煙たがられていた。戦士養成学校ですら馴染めなかった。そこを卒業したランガーにとって戦争だけが自分の居場所だった。


 自分の隊の隊長から街の警護をしろとの命令が下されているが、ランガーは建物の屋上でサボっている。


 すると、身体が突如として重くなる。


「はっ!?」


 数多の戦場を潜り抜けてきたランガーだが、こんなにも重たい空気を感じたことがなかった。


 ──これは武人の出す威圧じゃねぇ……


 ランガーの脳裏には剣を構えた王国戦士長イズナが写し出されるが、直ぐにかき消した。


 ──威圧じゃないなら一体これはなんだ!?魔法か?


 ランガーは周囲を警戒するが、誰もいない。


 見えない敵に備えて、槍を構える。普段よりも槍だけでなく身体も重たい。


 冷や汗が流れる。その冷や汗の流れる速度もまた速い気がした。


 神経を尖らせるランガーだが、重たい空気は霧散する。


「ったく!何なんだよ!!」 


 悪態をつくランガーの前に現れたのは1人の少年だった。


 現れたというよりは、眼下より上昇してきたと言った方が正確だろう。


「お前が元凶か!?」


 ランガーは重たい空気と退屈からも解放され、槍を少年に向かって突いた。


「あっ!忘れてた!!」


 少年はそう呟くと、ランガーと目を合わせた。目があったことによりランガーは戦慄すると同時に高揚した。


 ランガーにとって戦いにくい者がいる。魔法使いや弓兵による遠距離、中距離攻撃には自慢の脚力で躱すことができた。また、同じ近距離の武器を持つ戦士達もそのかぎりではない。武威を誇るランガーの足さばきによって幾人もの戦士達を突き殺してきた。しかし、極希にランガーの槍を躱す者達がいる。


 その者達に共通することと言えば、戦っている最中にランガーと何度か目が合うことだ。視野を広げ、眼前に突き立てられる槍に臆することのない武人。


 この少年もそれに当てはまる。


「まさかこんなところでお前みたいな奴に会えるなんてな!!」


 ランガーは持ち前の突きを少年の顔面に突く。


「予備動作……」


 物凄い勢いで突くランガーの鼓膜を刺激したのは、少年の冷静な言葉だった。


 少年は淀みない動作でランガーの槍を躱すと、前へ踏み出し、拳を繰り出す。


 ランガーの眼前に迫った少年の拳はまるで、巨大な鉄球を彷彿とさせた。


 ──あ、死んだ。


 ランガーは死を悟ったが、少年の拳は寸でのところで止まる。少年は拳をランガーの眼前にピタリと止めた。その際、激しい風がランガーの短髪を掻き乱す。


 ランガーは自分が生きていることに気付いたのは少年がいなくなって少ししてからだ。身体の全細胞が震え上がり、立っていられなくなった。


 建物の屋上で仰向けとなって倒れたランガーの視界を埋め尽くしたのは、少年の拳と同じくらい大きな青空だった。


─────────────────────


<酒場>


 外観はレンガ造り、内装は木の持つ暖かさと陰険さが店内を演出している。木製のカウンターが店員と客を隔てるように備え付けられ、客側に座った際、足がギリギリ床につくぐらいの高い椅子が設置されている。カウンターには古そうな酒瓶がたくさん置かれていた。

   

 カウンター席の後ろにはテーブル席がいくつかあった。そこに男3人と1人の女がトランプのようなカードを用いたカードゲームに興じている。


 昼間からカードゲームに興じる男は自分の手札を見てから、紅一点である金髪の美女を横目で見る。


 男は自分の手札の役を悟られまいと、にやつきそうになる口角を必死に抑え込んでいた。


 ──いける……今度こそこの女に勝てる……


 女は相変わらず冷静だった。


 男達に囲まれる中、ギャンブルをするのだから、このくらい当然かと男は自分を納得させる。


 そして、自分の役を見せ付けるようにテーブルの上に叩き付けた。あやうく大声で歓喜するところだったが、男は自分を諌める。


 ──フフフ、最後までスマートに振る舞わなければ……


 しかし、女の開示した役を見てスマートではいられなくなった。


「ぐあぁぁぁぁぁぁ」


 男はテーブルに頭をぶつけながら叫び声を上げた。男がテーブルに頭突きをした音とテーブルに乗っているジョッキやグラスが1センチ程、上空へ飛ばされテーブルに叩きつけられる音が店内にこだまする。


 男は負けてしまった。そんな男を尻目に仲間の2人が言った。


「姉ちゃん強いなぁ」


 それを受けて金髪の美女は微笑みながら言った。


「いえいえ、たまたまですよ」


 女の上品な声が先程叫び声をあげた男の神経を逆撫でする。


「いかさまだ!」

 

 テーブルに額を打ち付けた部分を赤くした男が女に指をさしながら言う。それを聞いて他の2人の男達が女性を庇うようにして宥めた。


「おいおい、見苦しいぞ」

「お前の敗けだ」


 女はさされた指を見つめた後、視線を腕から肩、そして男の顔をなめ回すように見やる。


 男は女のその視線にゾクリと寒気がした。


「っく……」


 一瞬、怯んだ男だが直ぐに再戦を試みる。


「もう一回だ!!ん?」


 リベンジを申し込んだ。額が赤い男は女の背後、酒場の入口からこちらを覗き込む少年に気がつく。


「何見てやがんだガキ!」


 男は負けた悔しさと自分が惨めに狼狽えていたところを貴族のように、身なりを整えた少年に見られたことに苛立ちを覚えた。


 目の前の女は淀みなく後ろを振り向くと、男とは対称的に優しい口調で少年に言った。


「どうしたの?坊や?」


 少年は答える。


「今夜、僕に力をかして下さい」


 少年の回答に男達は、疑問を呈する。


「はぁ?」

「はあ?」

「はぁぁぁ?」


 3人の男達は、急に現れた少年が自分達に協力を求めてきたのだと思った。


 ──これだから貴族は……


 と思ったが、少年は男達に言ったのではなく、女だけに言ったのだと理解した。だが、それはそれで腹が立つ。

 

「いいわよ?」


 急な申し出に女は承諾した。


 男達は不意をつかれたかのように、狼狽える。


「え?」

「えぇ?」

「えぇぇ!?」


 男達の汚ならしい声を掻き消すように、女は少年の申し出に対してこう付け加えた。


「ただし…これからカードゲームをして私に勝ったら、ね?」


 男達は少年と女の為に、席を立った。何故だかそうすることが正解であると男達は感じたのだ。再戦の意欲や少年に対する苛立ちはいつの間にか消えていた。


 ルールは神経衰弱。


 少年は名乗った。


「僕はハル・ミナミノと申します」


 男達は少年の家柄を知っているか、という視線を交わすが、首を傾げる。どうやら有名な貴族ではないことがわかった。

 

 先手をミナミノ少年に譲る女。


 少年はテーブルに散らばったカードを眺めてゆっくりと1枚を捲り、確実に覚えるように努めている。


 男達もテーブルを囲みながら、ちりばめられたカードを少年と同じ様に覚える。


 次は女の番だ。


 数字は合わなかったが、2枚目に捲ったカードはハートの3だ。少年が最初に捲ったカードがダイヤの3であり、次のターンで少年はこの2枚のカードを手にすることができる。


 ──お、ラッキーだな


 男は何気なく少年に視線を送ると、


 ──うっ!?


 少年の集中する姿を見て、身を震わせた。


 そんな男の視線を気にせず、少年は女が最後に捲ったカードを捲る。


 ハートの3。


 ──そう、それでお前が最初に捲ったカードを選べば良い


 男はまるで自分がプレイしているかのように観戦する。しかし少年は男の思い通りにはプレイしなかった。何を思ったか少年はあらぬ方向にあるカードを捲り始めた。


 男は口にする。


「バカか!?」


 しかし、男は驚愕することとなる。少年が捲ったカードがダイヤの3であったからだ。 


「え……」


 男は仲間達と視線を合わせる。仲間達も何が起きたかわかっていないようだ。


 そして、女に視線を向けた。女は目を見開きながら驚いていた。


 呆気にとられている男達を尻目に、少年と女は次々にカードを捲る。


 今度は女がカードをものにできるチャンスがやって来た。1枚目を捲り、2枚目に手をかける。その2枚目のカードは男達も納得していた。


 ──そう、それを捲れば巻き返せる……


 しかし、女が捲ると全く違う数字がそのカードには刻まれていた。


「なっ!!」


 女は驚きの声をあげる。つられて男達も声をあげた。


「え!?」

「ん?」

「はぁ?」 


 そして、少年は何食わぬ顔でゲームを続ける。どうやら少年に軍配が上がりそうだ。


 女はいつの間にか汗だくとなっていた。


 そして口を開く。


「お主…一体何をした!?」


 少年は答える。


「貴方がしていることを、より早くしているだけです」

 

「っ!?」


 少年が何を言っているのかわからないが、女はそれに驚いているようだった。


「貴方の力を貸して下さい」


「な、何なのだお主は!?」


「少し外で話しませんか?」 


 少年が外に向かって顎をしゃくると、その場から消えた。男達は目の前にいた少年が消えたことに驚いた。


 そして入口から少年の声が聞こえる。


「さぁ、早く」


 少年はいつの間にか、酒場の入口に移動して、そのまま外へ出てしまった。


 男達は呆気にとられていると、今度は側にいた筈の女がこの場から消えていることに気が付いた。


「あれ?あの女は?」

「いない……」

「なんだったんだ!?」

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