第58話
~ハルが異世界召喚されてから7日目~
埃に満ちた部屋、空気は湿り気を帯ルナの首筋にネットリと纏わりつく。
普段滅多なことではこの部屋に訪れたりしない。
──今日こそ退治する…私の第三階級聖属性魔法で……
ルナは教会の備蓄庫である地下室にいた。地下室には昼間でも真っ暗の為、光属性が付与されている魔道具を持って探索している。へっぴり腰でヨチヨチと一本ずつ進むせいか、魔道具の光が弱々しく感じられる。
この教会はおよそ500年前に建てられた建造物だ。毎日掃除をしているのだが、壁や床にヒビが入り、すきま風が吹く所もある。その度に修繕をする。
それは地下でも例外ではなかった。王都から外へ出る隠し通路がこの地下室にはある為、逆にそこから侵入する邪悪なものがいる。
──そろそろこの隠し通路の扉は金属製にすべきね……
木製の扉には日々の湿気やカビによりやはり所々に穴が空いてる。
ルナがこの教会に初めて訪れたのは、4歳の時だ。洗礼の儀を受けるためこの教会へとやってきた。そのとき由緒ある教会のクレセントに初めて祈りを捧げた。
すると、目を閉じているのに光を感じたと同時に、
『貴方は私の…依り…』
どこからか声が聞こえたのをルナは今でも覚えている。
皆にこのことを話しても子供の夢を壊さぬように、といった具合でまともに取り合ってくれなかった。
そんな思い出に浸っていると、床を這いずり回る音が聞こえる。
キャッっと声をあげ、ルナは直ぐ様魔道具を音のした方へ向けた。
──なにもない……
ふぅと一息つくルナに、地下室の天井からゆっくりと己が産み出した強靭な糸を垂らしながらルナの頭上から降りてくるモノがいた。
掌サイズの蜘蛛だ。
ルナは再び邪悪の権化である蜘蛛を捜索しようとしたそのとき、頭の上にフワッとした重みを感じた。
──これは……
全神経が頭頂部へと向かう。重みは少し動いたルナは恐る恐る手でそれを掴んで、それを両眼で確認した。
一瞬、時が止まったかのような静寂。だがすぐにそれを突き破る叫び声をルナは上げた。
「キャァァァァァァ!!!」
ハルはユリを置いて声のする方へ走った。
教会の掃除を過去の世界線でやっていたハルは、その叫びが地下室から聞こえていると直ぐにわかった。ハルはルナが倒れているのを発見する。
急いで起こそうとすると、ルナはガクガク震えていた。
「どうしたんですか!」
「ア、アレ…蜘蛛が……」
日本の都心部ではそうそう見ないサイズの蜘蛛がいた。
ハルはウォーターと風属性魔法を使い蜘蛛を溺死させる。備蓄倉庫なので火を立てないようにすべきだと配慮したせいで、蜘蛛の死骸は生前の形を保った状態だ。
ルナがハルにしがみつく。
──待って!これ戻るヤツ!!
ハルは身体に力が入ったが、戻らなかった。
「もう大丈夫ですよ。蜘蛛は僕が退治しましたから」
「あれ?ハルくん?おかえり…帰りは明日になるんじゃなかったっけ?」
─────────────────────
孤児院へと移動し、食堂でハルとユリが隣どうしに座りルナが二人の顔が見える正面に座った。
クロス遺跡は秘密裏に魔法実験を行っていたようで、その事故によって塔付近は半壊してしまったという嘘を伝える。
ユリはそこで実験の手伝いをしていた奴隷だが主人を亡くした、という設定にしてある。あながち全部が嘘というわけではない。居場所を失った彼女をハルがこの孤児院に連れてきたというわけだ。
ルナはユリに同情していたが、少し渋った表情を見せた。
──孤児院の経営を鑑みるとやはり、これ以上人員を増やせないのか……
ハルはコクりと頷いてユリに合図を促した。ユリは戸惑いながら自分のポケットから10万ゴルドを取り出して、机の上に置いた。
「…あの、私が、えっと……今払えるのは、このくらいです。でもこれからもっと稼いでみせます!これで1ヶ月は私を置いてくれませんか?」
この台詞は教会へ帰る途中何回も練習をした。金貨は勿論ハルのものだ
ユリの演技は悪くない。
すると、ルナは答えた。
「…このお金は受け取れません」
──ダメだったか……
2人が落胆の表情をすると、ルナが慌てて訂正する。
「あぁ!違うの!ユリさんはここに居てくれて構わないの!お金のことも心配しなくていいわ!ここでハルくん同様に働いてくれれば…ただ……」
ルナはハルがクロス遺跡へ行っていた間に起きた事件を説明する。
~ハルが異世界召喚されてから6日目~
<フルートベール王国、王城>
「食料、騎士と歩兵、魔法士の準備は万端です」
王都の中央に聳え立つ大きな城の玉座の間にフルートベール王国国王、フリードルフⅡ世が座している。
年齢にして58歳、その割に年寄りに見えるのは王として君臨する重圧に耐えているからなのかもしれない。
皺もくっきりと刻まれている、完全な白髪ではなく灰色味がかったようなくたびれた髪の色をしている。それとは対称的に鋭い眼光と玉座に座る姿勢がこの王が健在であることを証明していた。
高さ5メートルはある玉座の間の扉が自身の重みに相応しい音を鳴らして開く。
会議中に扉が開かれるのは、急報を知らせる合図だ、それも良くない報せである可能性が高い。
フリードルフⅡ世は居住まいを正し、急報に身構えた。
「きゅ!急報をです!2年ほど前から行われていた獣人国内のクーデターが終結し反乱軍が勝利!現政権を制圧したとのことです!」
ガヤガヤと貴族達が囁き合っている。有力貴族達と後10日程に迫った帝国との戦争についての物質調達、ルートの確認等の話し合いをしている最中にこの急報を受けた。
これで東の帝国との戦争についての会議が振り出しに戻った。何故なら獣人国はフルートベール王国の西にあるからだ。
獣人国は多種族が暮らしている。その縄張りには縄張りの法律があり、お互いの種族を尊重し合っている連邦制である。そのトップとして君臨しているのがシルバーであった。人族に、対しても彼等は友好的であったが近年、それが崩れてきたのだ。人族に対する政策や姿勢を従来の友好的協調関係ではなく、国交を断絶すべきという過激な意見が散見するようになった。
というのも奴隷や人族による差別、低賃金等が全く改善されていないと語る者達が後を絶たない。
また広大な土地を持つ獣人国を人族が奪いとる等の噂も広まっている。
こうして反乱軍が形成されクーデターを起こしたのが2年前の出来事。
反乱軍には狐のような獣人がトップに立ち、武力によって獣人国現政権のトップ、国王として君臨するシルバーに攻撃を開始した。
フルートベール王国では密偵を忍ばせているがその狐の獣人の実態は掴めていない為、本当にいるのかさえわかっていない。しかし、反乱軍は熱狂的にその狐の獣人を崇めている節があった。
獣人国とは友好的な関係を築いているフルートベール王国はシルバーから援軍を要請されていたが、帝国との睨みあい、また、クーデターのせいで人族に友好的な獣人の難民が王国や、獣人国と隣接している国に雪崩れ込んだ。
その受け入れ等で手が回らず、フルートベール王国だけでなく獣人国と友好を示していた各国は援軍を送れずにいた。
それを受けて反乱軍は、勢いを増した。友好的関係を築いたにも関わらず援軍を送ってこないじゃないかと、人族は我々を見捨てている。そういった主張により、獣人国側についていた兵士達が反乱軍に入るようなことも頻発していたそうだ。
しかし獣人国側、シルバーから特に更なる援軍の申し立てや切迫した情報が此方に来なかった為、フルートベール王国始め、隣国であるヴァレリー法国とダーマ王国は反乱軍が有利な状況にあることも気が付かなかった。そのせいでシルバーは討たれ、反乱軍が今の政権を握ってしまった。
反乱軍の主張を考慮すると今後王国への食料供給の中止、そうすることで既に人族と関係を結び商売をしている獣人達がこちらにやってくることが予想できる。つまり難民の更なる増加が起こるだろうとフリードルフⅡ世は考えた。
最悪なのは約10日後に迫っている、東の帝国との戦争中、背後から西の獣人国が責めてくることだ。
フリードルフⅡ世は頭を痛めた。
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「つまり、この王国も今や安全ではないってことですか?」
「…そうね……」
戦争嫌いなルナにとっては奴隷としてつらい経験をしたユリが、また戦争によってつらい想いをしてしまうことを憂いていたのだ。
「でも安全な所ってあるんですかね?」
「それは北に隣接してる聖王国かしら?歴史的に中立を貫いているから。それに今度またコンクラーベが合って穏和なロドリーゴ枢機卿が教皇猊下になりそうだし……」
よくわからないことを口にするルナ。
──でもそうか。ルナさんも参加する戦争が近々あるのか……
「でもよかった!ユリがここに居ても良いんですね!」
「ええ!」
ルナはニッコリと笑いユリにもその笑顔を向ける。
「ありがとうございます。私…うんと働きます!」
これでユリは当面、職探しをしなくてすむ。胸を撫で下ろしたハルに対してルナが唐突に質問した。
「それよりもハルくんは三國魔法大会には出ないの?」
──ん?なにそれ!?
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