第7話

 広大な庭には川が流れている。上流に行くと滝があり、下流は街へと続いていた。そんな広大な土地の中に大きな屋敷が立っていた。


 ザナドゥ、元はモンゴル帝国のクビライが設けた都のことだが、後にイギリスの詩人が桃源郷という意味で用いたこの固有名詞、ザナドゥを冠するに相応しい屋敷だ。


 オデッサが屋敷へと続く門に入っていくと多くの甲冑を着た屈強な男達がオデッサを見ては立ち止まりその場で礼をする。


 長い金髪と大きな胸を揺らしながら屋敷の玄関を開けるオデッサ。着ている黒いロングコートを脱いで簡単に畳み片腕に掛けた。自室へ向かうと途中、大音量で発声している掛け声が聞こえてくる。そちらを見やると先程門をくぐった時に歩いた大きな広場でたくさんの甲冑を着た戦士達が訓練をしている。


「……」


 オデッサはその光景を一瞥した後、少しだけ早歩きでその場を通りすぎる。


 すると、甲冑の立てる音が廊下に響いてきたかと思えば、その音の主である老兵が走ってやって来る。


「オデッサ様!今までどこにいたのですか!?探しておりましたぞ!!さぁ訓練を見てくださ……」


 老兵の言葉を遮るようにオデッサは溜め息をついた。


「はぁ、ロイド…何回も言ってるだろ?私はもう引退したんだよ」


「し、しかし……」


 オデッサは黙って老兵の横を通りすぎた。


 ──その内みんなもわかるから……


 自室に入るオデッサ。広々とした部屋の床には赤い絨毯が敷き詰められている。向かい合って置かれた椅子の間には装飾が施されたテーブルが1つ、奥には天蓋付きのベッドが置いてあった。


 片腕に掛けていたロングコートを吊るし、ベッドに横たわると、オデッサは去りし日の出来事を思い出す。


◆ ◆ ◆ ◆


『剣聖様だぁ~~~!』

『フルートベール王国も安泰ですな』

『剣聖様が来たからにはもう大丈夫だ!!』


 白馬にまたがったオデッサは、激しい動きにも対応しやすい鎧に身を包み、勇ましい姿で戦士達に片手を挙げて、彼等の羨望の眼差しに応えていた。しかし、オデッサは帝国との戦争で敗れてから聴衆や戦士達の態度は一変する。


『もうあれはダメだ』

『使い物にならん』


◆ ◆ ◆ ◆


 オデッサは自分を打ち負かした帝国の兵士の姿を思い出してしまった。大きな鎌を持ち、白髪をツインテールにしている少女と燃えるような赤い髪色の少女の姿を。


 ──あやつ等と相対するまで何も知らなかった……


 オデッサは不甲斐ない自分に嫌気がさした。


『今夜だけ僕に力をかして下さい!』

『守りたい人がいるんです!!』

『それでも!それでも助けてほしいんです!』


 不意に今日会った少年の言葉を思い出し、フンと鼻を鳴らしてその言葉をかき消そうとするオデッサ。何故だか、先程酒場でからかった少年が印象に残ったようだ。


『見るだけで…恐怖で立てなくなってしまう…そんな相手なんです!』

 

 2年前の敗戦が脳裡に過る。


「まさかな…」


 嫌な記憶が甦って来た為、頭を振る。オデッサは気を取り直した。


「どいつもこいつも人を頼りやがって!」


 オデッサはベッドから起き上がり、いつもなら飲み水の入っている瓶を持って廊下へ出ると、声が聞こえてきた。声色からして口論しているようだ。


「もう2年になりますぞ!!我慢できませぬ!!ロイド殿は剣聖がいつまでもあのままでよいのですか!」


 空瓶を両手に握りしめたまま溜め息をつくオデッサ。


 ──またか……どうせいつものように悪態をつかれるんだ。


 過去に何度も帝国との戦力差を王国中枢に打診してきた。その度に嘘つきのレッテルを貼られ、帝国に怖じ気づいた等と罵詈雑言を貴族連中や戦士達、自分の部下に当たる者にまで浴びせかけられた。


 帝国に負けてから2年、オデッサは剣聖の働きを放棄し、この認識も定着し始めた。そんなオデッサは今、酒場に入り浸っている。


 ──誰も信じてくれない。


 オデッサの話を聞いてくれる者はいた。それが先程すれ違い、今まさに口論相手をしているロイドだ。しかし、彼はオデッサなら必ず勝てる、と一点張りだ。


 オデッサはその場から立ち去ろうとすると、ロイドと呼ばれた老兵が重たい口を開く。


「我々は些かオデッサ様に頼りきっていたのだ…今までオデッサ様に守って頂いたのだから今度は我々が支えなくては……」


 オデッサは自分の思っていたのと違う言葉を聞いて立ち止まる。いや、動けなかったと言ってもいいかもしれない。


「そうだとしても!」


 老兵は食って掛かる相手に対して答えた。


「よいか!?仮にオデッサ様が!万が一!いや!そんなことはあり得ないのだが、本当にダメになってしまったとしたら、いつまでもここにいる所以はない!どこか我々の知らぬ土地で冒険者でもやっておられるはずだ!!」


「……」


「それなのに何故この場を離れぬのか!それはこの国を愛しているからに他ならない!オデッサ様なら必ずや立ち上がる!だから我々はオデッサ様と共に戦えるだけの力をつけなくてはならんのだ!」


「……」


 その昔、名を馳せたであろう老兵の圧力に黙ってしまう男。


「……大きな声を出してすまなかった。さあ!訓練を続けるぞ?」


 オデッサは瓶に水を入れずに自室へ戻る。パタンと扉を閉めて、そこに寄り掛かった。


「……」


 暫し、天井の一点を見つめるオデッサ。そして何気なく壁に掛かっている剣を手に取った。久し振りに長剣セイブザクイーンを握ると違和感を覚える。二年も放置していたにも関わらず以前と同じ輝きを放っていたからだ。鞘から鋭い音を立てて剣を抜き、刃を確認するとこれまた以前と同じ鋭さを保っている。


「あれほど勝手に部屋に入るなと言っていたのに……」


 オデッサの脳裏には老兵ロイドの顔が過った。


 ゆっくりと鞘に戻し、祈るように謝罪と感謝を述べ、オデッサは玄関まで走った。


 玄関にはこれから訓練をしに行くであろうロイドと相対する。


「お出掛けですかオデッサ様?」


 チラリと剣に目をやるロイド。


「ロイド…いや……じい…何故私のことを剣聖と呼ばずに名前で呼ぶ?」


 ロイドはわざとらしく顎に手を当て言った。


「さぁ…何故そう呼ぶのか…忘れてしまいましたな?」


「フフ……」


◆ ◆ ◆ ◆


「じい!もう剣聖いや!なんでみんなオデッサのこと剣聖様って呼ぶの!?もういやいやいや!!」


 幼少期のオデッサの甲高い声が訓練場に響いた。まだまだ大きすぎる訓練用の剣を両手で握っている。


「…オデッサ様はオデッサ様です。剣聖などではありません。ですのでいつでも剣聖をやめてもよいですし、またやりたくなったらやればよいのです」


 今よりも少しだけ若いロイドが優しくオデッサを諌めた。


「そうなの?じゃあ剣聖やめるぅ!」


◆ ◆ ◆ ◆


 オデッサは玄関を開けて、ニヤリと笑って言った。


「じい…ありがとう。行ってくる!」


「いってらっしゃいませ」


 ロイドはオデッサの姿が見えなくなるまで頭をさげ続けていた。


─────────────────────


<路地裏>


コツ……コツ…


 暗闇から足音が聞こえる。


 ──来た!?


 ハルは暗闇を凝視すると、現れたのは酔っ払いのおっさんだった。


 ──知ってた!!お前来るって知ってた!!


「なんだてめぇ、じろじろ見やがって、え~?俺をバカにしてんのかぁ~?」


 前回はバカにしてないと答えたらビンで殴られたので今回は無視した。


「無視してんじゃぁねぇ~」


 酔っ払いは持っているビンで殴り掛かってきた。


「結局!結局のやつ!!強制バトルかよ!」


 振り下ろされる酒瓶をハルは腕でガードする。


ゴン!!


 鈍い音が路地裏の暗闇に響いたが、思っていたよりも痛くない。


 二発目の攻撃がくる。


ゴン!!


 ──ん~あんまり痛くない。小さい子供に殴られてる感じだ。


 三発目が振り下ろされるがビンは手からスッポ抜けて暗闇の彼方へ消えていった。


パリン


 酔っ払いと目が合う。暫し見つめ合い、お互い笑い合うと酔っ払いは殴りかかってきた。


 ──この世界の人恐すぎ!


 酔っ払いはハルの脳天目掛けて叩き付けるように拳を振り下ろす。ハルはガードせずに拳をくらうがやはり思ったより痛くない。


 ──スキルのおかげか?


 そうこうしていると。


「何をしているの!?」


 ルナがその可愛らしい表情を一生懸命凄んでやって来た。そして左手を前にだし掌に火を纏わせながら言った。


「その子から離れなさい!」


 酔っ払いは軽く悪態をつくと早々と退散していった。ルナはハルにかけより回復魔法をかける。いつ見ても綺麗な魔法だ。


「大丈夫?」


「…はい」


 目が合うとルナは微笑んだ。


「僕はハルです。ハル・ミナミノ」


「私はルナ。ルナ・エクステリアよ。宜しくね……?」


 ルナは何かを察知した。


 ──来たか……


 ルナは顔面蒼白になりながら独り言を言うようにして呟いた。


「……逃げて」


 暗闇から紫の髪色をした女が現れる。

 

「おやおや、…どうしたものかしら…」


 妖艶な細いドレスを纏った背の高い女。ハルはその女から目を離さない。


「そんなに見つめられるとお姉さん照れちゃうわ……」


 ルナはへたりこんだまま声を出せないでいる。


「ハッ…ハッ…」


 恐怖による全身の震えで漏れ出る声にならない声がルナの口から発せられていた。


 ハルは恐怖をあまり感じていなかった。それは新しく獲得したスキルのせいもあるが、


カチ、カチ、カチ


♪~


 スマホから音楽が大音量で鳴り響く。予め少し早めにアラームをセットしておいたのだ。


 女は自らを暗殺者と言っていた。だから早めに大音量で音楽を流せば誰も傷付かずに退散するのではないかとハルは考えていた。


 ──あのイカサマ巨乳がいなくてもなんとかなる!


 ハルは作戦がうまく嵌まっていると確信し、拳を握り締めた。


「僕ぅ~どうして音が出せるの?お姉さん一応魔法も使えないようにしたんだけど…それにしてもこれはもう失敗よね」


 女は残念そうな表情を浮かべていた。


 ──よし!帰ってくれ!


 ハルがそう願うと、女の姿が一瞬だけ霞むように見えた。するとハルの左腕が切り取られる。


 ──またかよ!前ほど、痛くない…けど血が……


 前回と少し違うのは切り取られた左腕は地面に落ちていたことだ。


「ぅ"~~~~~~」


 ハルは左腕の付いていた部分を触れたいが、触れると更なる痛みが襲ってくると思い、そこを右手で覆うようにしてうずくまる。


「僕?凄いわね?普通ならのたうち回ってるところよ?」


 女はそう言いながら考えていた。


 ──ターゲットの前に出てしまった…誰を狙ったか分からなくする為にも男の子を殺してしまわないとダメよね?素敵な男の子なのに……


 ──痛い…ぐッ…血の気が引ける。


「ごめんなさいね?ぼく?」


 もう一度攻撃が来る。血を流しすぎたハルはこの時気を失った。


 女は目にもとまらぬ速さでハルに攻撃をしかけたが、突如として飛来してきた鋼が女の攻撃を受け止めた。


 ギィィィィィィン


 金属同士のぶつかり合う音がこだますると同時に、火花が無数に散った。その火花は暗闇を一瞬だけ赤くほんのりと染める。紫色のドレスを着た女は乱入してきた者の目を見据えた。女は広角を上げ、高揚感を抑えることができない様子だ。


「次からはどこの路地裏かをちゃんと言え!」


 髪をはためかせながら、オデッサは背を向けたまま、気を失っているハルに告げた。

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