後日談:草一君と朝日奈さんと、朝日奈さんのパパ
※後日談なので、本編のあとにお読みください
僕――月岡草一は、仙台市内の大型書店に来ている。
隣を歩く高校一年生・朝日奈舞の、参考書選びにつきあうためである。
僕たち二人は、ネトゲを通じて知り合った。
僕が舞に勉強を教え、彼女から僕がコミュニケーションの方法などを教わるという関係。
僕は少し前まで、大学でぼっちだった。
一人生活を満喫していたけれど、舞に教わったことを活用して友達が増え、さらに楽しくなった。
……それはさておき。
(いろんな新刊が出てるなあ)
僕は本が好きだが、今の目的は舞が使う教材選び。小説などの誘惑に負けないようにしつつ、書店内を歩く。
「ええと、参考書のコーナーは……」
見回していると、後ろで舞がぼそっと言った。
「あ、パパの本だ」
振り返る。
舞が、歴史学のコーナーで平積みになっている本を見つめていた。
「え、どういうこと」
「言ってませんでしたっけ? 私のパパって、歴史学者なんですよ」
「は、初耳だよ! お名前は?」
「朝日奈孝三っていう――」
「朝日奈孝三!?」
僕は舞の両肩をつかんで、前後に振った。
「ほんと? マジで!?」
「ち、近い……です」
「あ、ごめん」
慌てて離れる。
舞は頬を染めて、少し乱れた服を整えてから、
「パパのこと知ってるんですか?」
「もちろん!」
朝日奈孝三先生は、日本近代史の研究における第一人者だ。
「著作は全部読んだ。その深い洞察には何度も感嘆させられたよ」
「へー。驚きました。パパの本って難しくって、若い人はあまり読まないらしいのに……」
舞は驚きと、嬉しさが入り交じった表情。
そして、名案を思いついたかのように両手を合わせて、
「よければ、お会いになります?」
「え」
「たぶんパパ、センパイみたいな若い人がファンだって知ったら、感激しますよ。ちょっと待っててくださいね」
舞はスマホを取り出した。朝日奈孝三先生に電話するのだろう。
突然、憧れの人との対面が叶いそうになり、僕は緊張で震えた。
●
私――朝日奈孝三は、自宅の書斎で机に向かっていた。
学術誌に載せる論文をメールで送り、一段落ついたところである。
広い部屋には大量の専門書、そして
中でも自慢は名刀・
(だが私にとって、最高の宝は――)
スマホで、最近とった家族写真をみつめる。
私、妻、息子のサトシ……
そして、輝くような笑顔の娘。
(舞、可愛すぎる……!)
髪を染めたり、やや恰好が派手だったりするのは気になるが、とてもいい子に育ってくれた。
『パパは臭い』だの言わないし、朗らかな性格でいつも家を明るくしてくれる。
(歴史に興味を持ってくれないのは、ちょっと寂しいがな)
苦笑していると、スマホが着信を告げた。
おお、舞からではないか。きっと私の気持ちが通じたに違いない。
『あ、パパ?』
「どうしたんだい?」
『あのね、お願いがあるの』
「なんでも言ってごらん」
『ありがとう、パパ!』
清らかな声が心に染み渡る。まさに舞こそ、私の宝。
この子が嫁にいくとき、私は耐えられるだろうか。
(まあ、そんな日はずっと先だろうが……)
「パパに、会ってほしい人がいるの」
「!?」
なんだ、これは。
娘が『人に会って欲しい』とお願いしてくるなど、尋常ではない。
まさか……まさか……
「舞、会って欲しい人というのは」
心臓の鼓動が激しくなる。
「おまえと……親しい男性かな?」
『うん』
私は、スマホを太股の上に落とした。
そのため、舞が続けた言葉は聞こえなかった。
『あのね、パパの本が大好きな人で……』
●
朝日奈孝三先生と、会う日。
僕は地下鉄に乗って、仙台国際センター駅で降りる。ここが舞の家の最寄り駅らしい。
改札から出ると、私服姿の舞が待っていてくれた。
「こんにちはセンパイ――ってなんですかその恰好」
舞が目を丸くした。
僕がいつもと違う服……背広と革靴をまとっていたからだろう。
「実家にあったやつを、送ってもらった。尊敬する大先生にお会いするから、失礼のないようにしないと」
僕は紙袋を掲げ、
「菓子折も用意したんだ」
「そこまでしなくても大丈夫ですよぅ」
苦笑する舞。だが礼儀を尽くすに越したことはないだろう。
「あと、これにサインをいただきたいんだ」
背広の内ポケットから、古びた文庫本を取り出す。僕が初めて読んだ、朝日奈孝三先生の著作だ。
「わぁ、ずいぶんボロボロな本」
「何度も何度も読み返してるからね。この本と出会ったのは三年前――ほぼ毎日、楽しませていただいてるよ。開くたびに、新たな世界を見せてくれるんだ」
舞がご機嫌そうに、
「本当にパパの本が好きなんですねえ。きっとパパも、センパイを気に入りますよ」
「そう?」
「もしかしたら宝物も見せてくれるかも。たしか虎徹、とかいう名刀」
「虎徹!? 大業物じゃないか! すごい!」
本当に楽しみだ。
「それで舞。本へのサインだけど、どんなタイミングでお願いすればいいのかな」
「タイミング……」
舞が首をかしげたあと、ぽんと両手をたたいて、
「じゃあパパと話す際、私がセンパイの隣に座って、肘でつついて合図しますよ」
「助かるよ」
いえいえ-、と舞は笑い、先導して歩き出した。
駅から五分ほどいくと、立派な一戸建ての家があった。
緊張が高まる。
(ここに朝日奈孝三先生が)
舞が玄関をあける。
するとそこに、五十歳ほどのハンサムな紳士が仁王立ちしていた。
――間違いない。朝日奈孝三先生だ。
僕は深々と頭を下げる。
「……は、はじめまして! 月岡草一と申します。このたびは、貴重なお時間を裂いていただき、ありがとうございます!」
●
私――朝日奈孝三は、娘が連れてきた男を睨みつけた。
(こいつが……!)
舞と親しい男か。
菓子折を持ってきたし、なにより背広と革靴で正装している――交際の挨拶に、間違いあるまい。
(そしてなにより)
舞は男を見て、幸せそうに微笑んでいる。これは……
恋する女の目!
長年、娘を見てきたのだ。間違いない! 舞はこの男を愛している!
(くっ……!!)
断腸の思いだが、娘が愛する男なら受け入れねば。
私は彼――月岡君を家にあげ、応接室へ案内した。テーブルを挟んで、ソファが置いてある。
「まあ、かけたまえ」
「はい」
月岡君は、私の向かいのソファに座った。
そして舞は、私の隣ではなく……彼のそばにピッタリと座る。
(やはり、交際の挨拶か)
落胆しつつも、それを顔に出さないようにして、
「君はいくつだね。大学生か?」
「はい。一年生です」
「どこの大学」
「陸奥大です」
東北一の名門国立大学。まあプラス材料ではあるな。
だが大事なのは、どれほど娘を愛しているかである。
「で、どこを……気に入ったのかね」
「すべてです」
(む、わかってるじゃないか。私の自慢の娘なのだから)
満足してうなずいたとき、
「ほぼ毎日、楽しませていただいてます」
(は!?)
娘を楽しんでいる?
それを父に言うなんて、どんな神経してんのこいつ?
「開くたびに、新たな世界を見せてくれて」
「開く!?」
股を!?
目眩を起こしつつ、
「さ、さすがに、早いんじゃないのかね」
「早い、でしょうか?」
月岡くん……いや月岡は、不思議そうに首をかしげて、
「僕は三年前からもう、夢中になっていましたけど」
――頭をぶん殴られたような衝撃。
舞が、私の宝が。
三年前……つまり中一の頃からこいつに股を開かれ、新たな世界を見せていたというのか。
「お、おおおっ……」
私は額を押さえ、嗚咽した。
「もうパパ、嬉しいからって泣かなくたって」
(舞!?)
どこの世界に、娘の股が中一で開かれて喜ぶ親がいるかね!?
間違いない。舞はこの男・クソ岡に悪影響を受けている。
(こ、殺す。こいつ殺す……)
私はゆらりと腰をあげた。
「パパ、どうしたの?」
「ちょっと彼のために名刀・虎徹を……」
すると、クソ岡が立ち上がった。
逃げ出すのかと思ったら、
「か、刀を取ってきてくださるんですか!? ありがとうございます!」
なんで、私が殺人宣言してるのに喜ぶの? 狂ってるの?
なんだか疲れてきて、ソファに身を投げ出した。頭が酩酊したようにグルグルする。
すると舞が、肘でクソ岡をつついた。何かの合図だろうか。
クソ岡は、緊張気味にうなずいて、
「あの、お願いがあるのですが……サインをいただけますか?」
背広の内ポケットに、手を突っ込んだ。
(サイン? まさか――)
私は、もう冷静な判断ができない。
(婚姻届の、承認のサイン……?)
舞は十六歳。クソ岡は大学生。結婚が可能だが……
「だめだ! まだ早い!」
「え、早いなんてあるんですか?」
「あるに決まっているだろう!」
何を言っているんだこいつは。
クソ岡は内ポケットに手を入れたまま、戸惑ったように、
「ではいつなら、サインを……」
「君が大学を卒業して自立し、一家を養えるほど稼げるようになったときだ」
「ハードル高いですね!?」
高いものか。むしろ低いくらいだ。
めちゃくちゃ譲歩してやったんだぞ……と思っていると、
「パパ、そんな意地悪しないで、いま書いてあげて」
「舞!?」
そんなに早く、クソ岡と結婚したいのか。
私が『絶対に書かん』と叫ぼうとしたとき。
「舞、僕は、認めてもらうまでがんばるよ」
クソ岡が、きっぱり言った。
両手を膝の上に置き、真っ直ぐに私を見つめてきて、
「
(いただく……)
婚姻届のサインだけでなく、舞をか。
クソ岡の瞳には一点の曇りもない。
そこにあるのは、固い決意だけだ。
(この男は――)
性的に
だが娘と添い遂げようという意志は、強いのかもしれない。
(ぐぐっ)
最愛の娘が信じた男なのだ。
父である私も、ほんの少し信じてみようか。
私は、弱々しくうなずいた。
クソ岡……否、月岡は私に何度も頭を下げたあと、帰って行った。舞は笑顔で手を振り、彼を見送る。
その脇に立つ私は、こう言った。
「欠点はあるが、少しは良いところもある若者……かもしれんな」
「欠点? まあ、あるにはあるけど」
ふしぎそうに首をかしげる舞に、
「だが舞、お前はまだ高一。もう少し節度を持った男女の関係を……」
舞は、ポカンと口をあけたあと、
「……あの、パパ、何か勘違いしてない?」
しておらんよ、と私は首を振り、
「彼は舞との交際かつ、結婚の挨拶をしにきたのだろう?」
「け、結婚っ!? 滅茶苦茶な勘違いだよ!」
舞が慌てて説明した。
月岡は私の大ファン。三年前から私の本をほぼ毎日開き、楽しんでいるとのこと。
(……ひ、開いて楽しんだのは、舞の股ではなかったのか)
我ながら、最低すぎる勘違いを。
それに私の著書を、彼のような若者がそれほど熱心に。
さっきまでクソ野郎と思い込んでいたので、ギャップで好感度が一気にあがる。
しかも、月岡君が持ってきた菓子折をあけてみると……
以前私が雑誌のエッセイで『大好物』と紹介した和菓子ではないか。
(いい若者じゃないか)
思わず微笑したとき、舞が苦笑して、
「パパどうかしてるよ。センパイが……月岡さんが、結婚の挨拶にきたなんて」
「違いない」
今日の私は冷静さを失い、判断力が鈍っていた。
とすれば、こう思ったのも、きっと勘違いなのだ。
「てっきり私は、舞が月岡君を好きなのかと思ったよ」
「……、…………」
舞は真っ赤になって、うつむいた。
……どうやらそこだけは、私の勘違いではなかったようだな。
※楽しんでいただけましたら、★などで評価をくだされば幸いです。
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