7章⑤陰キャラ、立ち向かう


 僕は舞からの電話に驚いていた。今も向こう側から、舞と鬼塚さんが言い合う声が聞こえてくる。

『い、いいから落ち着いて……』

『あぁ!? すっこんでろ!』

 電話越しでも怒気がつたわってくる。かなりやばいようだ。

 さっきまで、高嶺さんが鬼塚さんと絡み合うのを想像して苦しんでたけど――そんな状況じゃなかったらしい。

 このテントには、いま僕しかいない。

 葵と光輝は天体観測に行っている。前橋さんはツッチーさんと逢い引き。

 僕は寝袋からでて靴を履き、テントから飛び出した。虫の声がいっそう大きくなった。

(キレてる鬼塚さんを、僕が止められるか?)

 それはわからないが、行くしかない。

 駆けだす。他のテントが平和に寝静まっているのが、ひどくうらやましい。

 下り坂に入った。時折転びそうになりながら、電灯で照らされた薄暗い道を突き進む。

 シャワー棟を過ぎたとき。

 電灯の下に鬼塚さん。対峙する舞。

 そしてベンチに座る高嶺さんの姿が見えた。打ちのめされたように生気がない。

 鬼塚さんが怒号を舞に浴びせている。

「だから、邪魔だって言ってんだろ! そもそもお前、放送研と関係ねえだろ!」

 だが舞は高嶺さんをかばうように立ちはだかり、一生懸命なだめている。

「だから落ち着いて――」

「うるせぇんだって!」

 ぱん。

 鬼塚さんが、舞の頬を軽く叩いた。

(……な)

 なにしやがる。

 経験したことのないほど怒りが、脳髄を焼く。

 鬼塚さんには今まで散々バカにされた。だがその時に抱いた怒りとは、比べものにならない。

 これが、キレるということなのだろう。

 僕の大切な人に、何してくれてんだ鬼塚!

「鬼塚さん!」

 三人がこちらを向いた。

 とりあえず鬼塚さんを、舞や高嶺さんから引き離さねばならない。

(怒りの矛先を、僕に向けよう)

 丹田に力を込める。

 そして、腹の底から声を出した。

「かっこわるいですよ鬼塚さん! 女の子に手を挙げるなんて」

「な、なに? 誰にいってんだお前……」

「それだけじゃありません。『俺、高嶺に呼び出し喰らったぞ。二人きりで』とか得意満面に言ってましたね――でも結果はただの勘違いで、アナウンス班解雇されただけですか?」 

 声は朗々と響き渡り、噛むこともない。朗読と外郎売りの成果だろう。 鬼塚さんは悔しげに呻きながら、

「うるせぇよ。俺には才能が……」

「ないですよ。それ以前に姿勢の問題です」

 ばっさりと切り捨て、僕は高嶺さんに目を移した。彼女は頬を打たれた舞を介抱している。

「高嶺さんは今日の撮影、正装でインタビューに望み、見事な質問で相手の言葉を引き出していました――対してあなたは」

 鬼塚さんの和柄の服を指さす。  

「いつも通りのラフな格好で、相手の名前をイジるなど本質とかけ離れたことばかり言う。おかげでめちゃくちゃです。僕の友達が……葵が、頑張って考えた企画なのに……」

 声が憤怒で震える。

 鬼塚さんは、舞の頬を打っただけじゃない。

 高嶺さんや葵の努力を、踏みにじったからだ。

「努力してない人が、努力してる人の邪魔をする。そして悪びれることもなく逆ギレする――」

 そして僕は。

 これまでの人生で、最も大きな声を出す。

「そんな貴方は、とんでもなくかっこ悪いです!」

 少しの間、虫の声と、木々のざわめきだけがあたりに響き……

「つ、つきおか」

 怒気に震える声を、鬼塚さんが絞り出した。

「お前好き放題……言ってくれたな」

 巨体を揺らして、力強い足取りで近づいてくる。

 狙いを女性陣から僕に変えることには成功したものの、大ピンチだ。

 鬼塚さんが拳を放ってきた。

 頬にすさまじい衝撃と、劇痛が走る。

 おそらくジャブ的なものなのだろうが、体格差があるため凄まじい威力。一撃で膝がぐらぐらになった。

 鬼塚さんが、再びパンチを放とうと構える。

(うっ)

 恐怖から、思わず身体を丸めてしまう。

 そのとき舞の言葉が蘇った。


『こういう姿勢をすると、心が引き締まる感じがしませんか?』


 己の頭頂部を握り、何本か毛が抜けるほど引っ張りあげ……無理矢理背筋を伸ばした。

 舞は正しい。萎えていた気持ちが、再び引き締まる。

 そして目線を上げたことで、鬼塚さんがよく見えた。

 右拳を振り上げている。大ぶりの、いわゆるテレフォンパンチだ。

(!)

 僕は逃げるのではなく――思い切って前へ進んだ。

 次の瞬間。

 さっき以上の、鈍器で殴られたような衝撃が走る。

「ぐっああああああっ!」

 この悲鳴は僕ではなく、鬼塚さんだ。

 右拳を押さえながら悶絶している。骨にヒビくらいは入ったかもしれない。

 僕は鬼塚さんの右拳に、自分から硬い額をぶつけに行ったのだ。

 以前、舞を助けるときは失敗したけれど……なんとか成功してくれたらしい。

「くそっ……」

 鬼塚さんは呻きながら、よろよろと去って行く。

 だがこちらも只ではすまない。背中から倒れ込み、額を押さえてのたうちまわる。

「センパイ!」「月岡君!」

 二人の女性が駆け寄ってきた。

 舞は僕に抱きつき、高嶺さんは瞳に涙をたたえている。

 月明かりに照らされる二人は、いずれもとても綺麗で……守れたことに微かな誇りを覚えた。



 それから。

 高嶺さんが自販機までひとっ走りして(凄い速さだった)冷たい缶ジュースを二本買ってきてくれた。

 それを頬と額に当てると、痛みがずいぶんと和らいだ。

 三人でベンチに座る。

 テントには鬼塚さんがいるかもしれないし、戻る気にはなれない。

 今日あそこでは寝れないだろう。そもそも鬼塚さんと今後、放送研で活動できるだろうか。

 途方に暮れていると、高嶺さんがぼそりと口を開いた。

「ごめんなさい。私が鬼塚くんをアナウンス班から外そうとして、こんな騒ぎに」

 高嶺さんの背に、舞がそっと手を添えた。

「でも、高嶺さんの判断は正しいと思いますよ」

「私もそう思う。でも伝え方がまずかったの」

「あー……」

 舞が栗色の髪をかきながら、僕を見てくる。

 たしかに鬼塚さんは、Hなことする気まんまんで高嶺さんに会いにいっていた。そのすれ違いによる、今回の悲劇である。

 舞が立ち上がり、僕に耳打ちしてきた。

「じゃあわたしは消えます」

「えっ」

「『好きな人に告る』クエスト達成の大チャンスですよ。さっきセンパイ高嶺さんを助けましたし、かなり確率が上がってると思います」

 ちゅ、と頬に柔らかい感触。ま、まさか舞、キスした? 

「……頑張って、くださいね」

 彼女は高嶺さんに挨拶したあと、力なく暗闇に消えていく。僕はそれを呆然と見送った。

 虫の声と、風が木々を揺らす音だけが聞こえる。

 そんな中、高嶺さんがぽつぽつと語り始めた。

「……高校の時、陸上の短距離で、私は部活内で飛び抜けていたの」

「はい」

「でも私は個人競技だけじゃなく、陸上部の皆で……リレーでも、全国に行きたかった。だから皆に厳しい練習を課した」

 顧問が陸上の素人だったので、高嶺さんは実質的に監督のような立場になっていたらしい。 

「私は当時、話すのが苦手だったから行動で引っ張ろうとした。誰よりも懸命に練習すれば、皆もついてきてくれると信じていた」

 僕は、その姿にあこがれていた。

「でもしばらくして……部員は私のメニューを守らなくなった。それどころか、私を無視しだした」

 高嶺さんが笑顔を向けてくる。だがそれは自嘲に満ちた、悲しいものだった。

「その理由を部員にしつこく尋ねたら、こう言われたの。『空気読んでくださいよ。私達、高嶺さんのメニューにも目標にも、ついて行けないんです』って」

 僕は放送研で、高嶺さんに厳しい指導を受けた時を思い出す。

 疲労困憊になっていると『やめたりしない?』と不安げに尋ねてきた。あれは過去のトラウマだったのだろう。

 『頼られたがり』というのも、陸上部員から無視されたからかもしれない。

 今日、僕が『親しみやすい』と言ったとき喜んでいたのも、それが原因だろうか。

「だから私は大学では陸上部ではなく、放送研に入ったの。声を出す練習をして、ちゃんとコミュニケーションができるように。そして空気が読めるように、高校時代はしなかった雑談にも……参加、して……」

 声が力を失い、嗚咽に変わっていく。うつむいて、背中を微かにふるわせる。

「で、でも、結果は鬼塚君に勘違いさせてしまった。そのせいで月岡君と朝日奈さんが傷ついて……結局、私、高校時代から、何も成長して……」

「してますよ」

 僕は思わず、怒ったように呟いた。

 高嶺さんは驚いたように、潤んだ瞳で僕を見つめてきた。

「僕、高嶺さんが大学でどれだけ努力したか知ってますよ。貴方は上手く喋れなかった高校時代、ミスコンの司会なんかできましたか?」

「それは」

 高嶺さんは少し考えたあと、首を横に振った。

「でしょう。それに前、僕が鬼塚さんにダジャレ事故でイジられてた時、話をそらして助けてくれたでしょ。空気読めなきゃできないことです」

 もう一押しすべく、僕は『共通の話題』を出す。

「高嶺さん『運命に打ちのめされ 血を流そうとも 決して頭は垂れまい』――この一節をご存じですよね」

「……ええ。『インビクタス』ね。私の好きな詩」

「高校時代、高嶺さんは打ちのめされたんですよね。でも頭を垂れずに――諦めずに頑張ってきたんじゃないですか」

 僕は、頬と額を冷やしていた缶をベンチに置く。

「僕はそんな貴方を、尊敬してます」

 高嶺さんの両手を握り、『目を見る』。そして、彼女の心に刻みつけるようにいった。

「高嶺さんも、自分をもっと誇ってください」

「っ……」

 高嶺さんが、唇を引き結んだ。

 相変わらず涙で濡れた瞳。でもさっきより、いくらか生気が戻っている。僕の言葉が少しでも届いただろうか。

 ここで『角度』をつけてみようか。

「ところで僕、喉が乾いたので、高嶺さんに買ってきていただいたジュースを飲もうとしたんですが」

「え? ええ」

 僕は置いた缶を一瞥して、

「これ両方とも、僕が飲めないコーヒーですね」

「あっ。ご、ごめ……」

「ここは高嶺さん、成長してないですね」

「……」

 高嶺さんが吹き出した。

 続いて、何かが吹っ切れたような大声で笑った。僕も笑う。

 しばらく二人でそうしたあと、高嶺さんが愛おしげに見つめてくる。

「元気づけてくれてありがとう、月岡君」

 ……あれ?

 『好きな人に告白する』のクエスト達成する、最大のチャンスじゃないか? 

 いつのまにか手を握りしめてるけど、ぜんぜん嫌がられてないし。

 危機から高嶺さんを助けたし、吊り橋効果的なものが期待できるかも。「よ、よし――高嶺さん!」

「なぁに?」

 かるく首をかしげ、微笑んでくる高嶺さん。

 月明かりに照らされるさまは『陸奥大の女神』の異名にふさわしい。神々しいほどだ。鬼塚さんと対峙した時以上に、心臓がばくばくする。

「ぼ、僕は」

 高校の時から、あなたのことが。

 それを告げようとして、僕は――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る