7章④朝日奈さんの気持ち
間違って酒を飲んでしまった舞だが、トイレでリバースするとだいぶ楽になったらしい。
ふたりで僕たちの区画へ戻ると、高嶺さんが髪を揺らして駆け寄ってきた。心から心配そうに、
「朝日奈さん、大丈夫?」
「はい、もう平気です。お騒がせしてスミマセンでした」
「いいえ、貴方は悪くない。監督責任は部長の私にあるのだから」
ごめんなさい、と頭を深々と下げる。かえって舞の方が恐縮している。
「まぁ遙花、そんくらいで。さぁみんな、そろそろ片付けようよ」
ツッチーさんが手をたたくと、皆が動き始めた。紙コップやペットボトルなどをゴミ袋に入れていく。
(元々はツッチーさんが、舞に酒のコップを持たせたことが原因だけど)
彼女の一言で空気が変わった。ツッチーさんは高嶺さんよりも状況を動かす力に優れている気がする。
舞には休んでいるよう勧めたが、断られた。もう本当に大丈夫らしい。元気さをアピールするように、人一倍動き回ってゴミを集めていく。
それを見た高嶺さんは、ホッとした様子。プラスチック皿を重ねて、二十メートルほど離れた洗い場に向かっていく。
僕はコンロの網を手にとった。これを洗いに行けば、高嶺さんと二人きりになれる。
(そして会う約束を取り付けて……)
「月岡ぁ、俺が洗ってやるよ」
「あっ」
鬼塚さんが網を奪い、洗い場に駆けていった。そして高嶺さんに、だらしない顔で語りかけている。
少しの間、二人は話し合っていたが……
やがて鬼塚さんは満面の笑みを浮かべ、何度もうなずいた。
(……?)
なんだろう。いやな予感がする。
少しして鬼塚さんが鼻歌混じりに戻ってきて、僕の肩に太い腕を乗せてきた。
「おぅ月岡! 高嶺に『後で二人きりで会いましょう』って言われたぞ。逢い引きってやつだ」
「えっ」
さっきの会話は、そういう事だったのか。
「お前、高嶺狙ってたろ? はい残念ダメでした~」
何度も腹をパンチしてくる。
「いいか俺、高嶺に会うため夜中にテント出て行くけど、他の男連中に理由は言うなよ。一晩中帰ってこないかもしれないけどな」
一晩中。
鬼塚さんの情欲に満ちた瞳を見れば、その意味はわかる。
(いや、でも……キャンプ場で?)
でも前橋さんとツッチーさんは、シャワールームでそういう行為に及んでいた。リア充にとってそれくらい普通なのか?
高嶺さんは、鬼塚さんのことあまり好きじゃなさそうだけど……
(女慣れしてそうな鬼塚さんが、ここまで喜んでる)
ということは、彼の言うとおりなのか?
最近までずっと一人だった僕には、男女の機微がわからない。
答えの出ない問いを、頭の中でぐるぐるさせながら、僕はゴミ捨てや歯磨きなどをボンヤリこなし、テントに入った。
葵と光輝が天体観測に誘ってくれたけれど、行く気力も起きない。
寝袋にくるまっていると、前橋さん、そして――鬼塚さんがテントから出て行った。
これから高嶺さんと会うのだろう。栄養ドリンクを一気のみして、気力充分という感じだった。
後を追うか?
(いや――)
もしも二人が逢い引きして『そういう事』になったら……
それを物陰から覗くなんて、悲しすぎる。それに僕の嫌いな鬼塚さんが、憧れの高嶺さんと絡み合う姿なんて、死んでも見たくない。
僕は胎児のように丸まり、目を閉じた。でも嫌な想像は、消えてくれなかった。
●
わたしはテントの中で、高嶺さん、ツッチーさんと、とりとめのない話をしていた。
(きょうセンパイは高嶺さんに告る)
すでに、高嶺さんを呼び出す約束をしたのかもしれない。
現に高嶺さんは、しきりに腕時計を気にしている。
三十分ほど経って、ツッチーさんがウキウキした様子で出て行った。前橋さんと落ち合うのだろう。
そして更に三十分後。高嶺さんも外へ。
十秒ほどしてから、私も後に続く。
あたりを見回す――いた。電灯に照らされて、シャワー棟へ続く下り坂の方へ、高嶺さんが歩いていくのが見える。
こっそり後をつける。
これからセンパイと会うのかと思うと、ジッとしてはいられなかった。
シャワー棟を過ぎると、林の近くに円形のベンチが設置されていた。
その近くに立っていたのは、ラグビー選手のようにガッチリした男性――
「よぅ高嶺。お前から誘うなんて、驚いたぜ」
(鬼塚さん!?)
相手はセンパイではなかった。しかも高嶺さんから呼んだらしい。
「とりあえず、座りましょう」
高嶺さんがベンチに腰を下ろす。
彼女へ密着するように、鬼塚さんが座った。高嶺さんはその近さに当惑した様子で、少し離れる。
わたしは身をひそめ、二人の様子を観察した。
これは野次馬根性ではなく――何か、高嶺さんと鬼塚さんとの間に、致命的な食い違いがある気がするからだ。
「今日は貴方に、大事な話があるの」
「ほー」
(ああ。まずい)
高嶺さんが思わせぶりな切り出し方をしたことで、鬼塚さんの期待値が上がってしまった。情欲に満ちた目をぎらつかせている。
高嶺さんはそれに気付いていない。
顔が緊張でこわばり、何度も深呼吸している。まるでそれは、告白のため勇気を振り絞るかのようだが――
「アナウンス班から……技術班に移ってほしいの」
「……は?」
間抜けな声を、鬼塚さんが発した。
高嶺さんは、苦い物を吐き出すように続ける。
「あなたは発声練習もしないし、今日のインタビューも……その、酷かった」
「うまくいってたじゃないか」
「いいえ。相手が噛んだことや、名前をいじるなんて、ドキュメンタリーでは要らない……取材に応じてくれた方々に、あんな失礼な……」
苦しそうに額を押さえている。
「それに今日のため、水無月君がどれだけ準備をしたかわかってるの?」
高嶺さんの言っていることは、100%正論だ。
だが正論で全てが解決するなら、世の中はもっと平和だろう。
「……なんだそれ」
鬼塚さんの声は、ぞっとするほど冷たかった。
「き、期待させといてそれかよ。思わせぶりな呼び出し方しやがって……」
「思わせぶり?」
「お前、本当にわかんねぇのか?」
鬼塚さんが立ち上がり、叫んだ。
「そんな風に人の気持ちに鈍感だから、高校の時、陸上部で孤立したんじゃないのかよ!」
高嶺さんの身体が、ビクッと震えた。どういうことだろう。
鬼塚さんがまくしたてる。
「おまえ二年生の皆で酒飲んだとき、泣いてたよな。『高校時代、部長の私は部員達と上手に喋れなかった。だから部がバラバラになってしまった』って。『その過ちを繰り返したくないから、発声練習などをするために放送研に入った』って」
以前センパイは、高嶺さんの高校時代をこう讃えていた。
『部活では黙々と、だれよりも練習して他の部員を引っ張るし……』
でもそれは、高嶺さんが上手く話せなかった為、そうするしか無かったのかもしれない。
詳細はわからないが、そのことで部員達と齟齬が生じたのだろう。
「でも全然成長してねえな! 滑舌や発声はバカみたいにやってるけど、肝心の空気を読む力はダメダメだろうが!」
鬼塚さんは高嶺さんを罵倒しつづける。お前はダメだ、人の心がわからない――自分のミスを棚に上げて、古傷を抉り続ける。
高嶺さんは苦しげに俯いている。虐待に耐える子どものようだ。いつもの凛とした姿はどこにもない。
(このままじゃいけない)
助けを呼ばないと。
ツッチーさんか前橋さん? それとも頼りになる光城さん?
(いや)
私はスマホをとり、センパイに電話をかける――繋がった。
『舞? どうしたの……』
センパイの声は沈んでいる。
「やばいです。すぐ来て下さい。ここはシャワー棟の奥にあるベンチ。高嶺さんに鬼塚さんがキレてます。鬼塚さんは告白される気まんまんで来たのに、高嶺さんの用件はアナウンス班の解雇だったからです」
息を飲む気配がした。
私は通話状態のまま、スマホをポケットに入れる。センパイにこっちの様子が伝わるはずだ。
駆け出して、二人の間に割って入った。
鬼塚さんが見下ろしてくる。わたしより20センチ以上も大きく、肩幅も広い。そんな人が烈火のような眼光で、見下ろしてくる。
必死に笑顔を浮かべ、空気を和らげるように、
「どうしたんですか鬼塚さん? さっきまでみんなで和気藹々だったじゃないですか。落ち着いて」
「あぁ!? おまえにゃ関係ねえだろ! 殺すぞ!」
(ひっ……)
怒号が身体の芯まで響いた。
だが、ここで引くわけにはいかないのだ。
(センパイ……)
わたしは貴方に、高嶺さんへの告白をけしかけました。
フラれて、わたしを見て欲しかったからです。
(でもそんなの、やっぱり卑怯)
センパイ、ここで高嶺さんを助けてヒーローになるんです。そうすれば告白もうまくいく確率は上がる。
それまではわたしが、あなたの好きな人を守ります。
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