7章①ラスボスに挑む朝

 ドキュメンタリーの取材と、キャンプの当日。

 僕は朝五時に起きて、日課の朗読、『外郎売り』と筋トレなどをしたあと、アパートの狭い台所に立っていた。

 目の前にはにんじん、大根、油揚げ、白菜、里芋。

 昨日ツッチーさんに渡された芋煮の具材である。

 八時に出発するまでに、これを切らねばならない。

 料理は慣れているので、気軽に作業を始めたが……里芋が難しい。つるつる滑るし、小さいので数多く剥かなければならないからだ。

 四苦八苦していると、玄関のチャイムが鳴った。

「?」

 まだ六時だぞ。こんな時間にAmazonの配達などあるわけがない。

 ドアの近くへ行って「誰ですか」と聞いても返事がない。開けてみると……

「え、舞っ?」

 スポーツバッグを持って立っている。

「下ごしらえに苦戦してると思って、手伝いに参りました」

 僕の了承も得ずに、スニーカーを脱いであがってくる。

 このアパートには、女性は勿論、人間を上がらせたのが初めてだ。

 彼女は居間にずかずかと入っていく。

 僕は警察に踏み込まれた密輸業者のような気持ちになった。エロ本やDVD、ちゃんと押し入れに入れておいたよな。

 舞は万年床に、勢いよく寝転がった。自由か。

「うーん。散らかったアパートの、男の部屋に入ってくる美少女。これをことわざでなんと言うと思います?」

「……掃き溜めに鶴?」

「違います。『飛んで火に入る夏の虫』です」

 敷き布団を抱きしめながら、小悪魔的な瞳で見上げてくる。

「……私、襲われちゃうかもしれません」

「そ、そんなことするか」

 ですよねー、と舞は笑って、

「センパイはせいぜい、そこの押し入れにある、えっちな物を見るくらいが関の山でしょうね」

「!? な、なぜ」

「あ、カマかけたんですけど当たりましたね。私がこの部屋に入った瞬間、焦った様子で押し入れ見るんですもの」

 敏腕刑事かよ。

「つうかなんで、僕の家を知ってるの」

「テレビ電話したときに、小さく映り込んでたAmazonの箱の宛名を、画像加工ソフトで拡大したからに決まってるじゃないですか」

「なにそれこわい」

 ツイッターの身元特定班みたいなことするなよ、と思ってると、舞が立ち上がり、まな板を覗き込む。

「あ、でも結構、作業進んでますねー。あと里芋だけですか」

「うん。これ難しいんだよ」

 舞が「手伝います」と髪を後ろで器用にまとめる。いつもは見えない白いうなじにドキッとしていると、

「ポニテの高嶺さんが好きなだけあって、うなじマニアですね」

 またも図星をつかれる。

 舞は包丁をとり、鼻歌交じりに里芋を剥いていく。見事な手さばきだ。

「派手な外見とのギャップに、グッときません?」

「いや、放送室で果物の皮むいてるの見たことあるし」

「あちゃあ、あれ見せなきゃよかったですね」

 台所で並んで作業しながら、舞と談笑する。こうしてると『なんか同棲してるみたいだな』と思ってしまう。

 舞に言ったら『きもい』と言われそうなので黙ってるけど。

「なんか同棲してるみたいですね」

「……」

「そ、そこで黙りこまないでくださいよ! 気まずくなるでしょう!」

 以心伝心していたことに、固まってしまった。



 切った野菜を保冷剤とともにビニール袋に入れ、鞄につめる。着替えなどの荷物は、昨夜のうちに用意している。

 八時になったので、アパートの部屋を出た。今日の天気は、まさに秋晴れだ。

 陸奥大学の駐車場に行くと、光輝のランエボ、鬼塚さんのミニバン――ステップワゴンが停まっていた。 

 すでに放送研の皆が集まって、ステップワゴンに撮影機材やキャンプ道具を詰め込んでいる。

 僕と舞は挨拶をして、それを手伝った。

 高嶺さんは今日取材をするためか、いつもよりフォーマルな装い。黒いスカートを穿き、ブラウスの上にベージュのジャケットを羽織っている。足元はヒールで、長い脚が一段と美しく見える。

 全国放送の女子アナ顔負けの美人っぷりだ。

(こんな人に、今日告白するのかよ……)

 ちょっと帰りたくなってきた。

 出発の準備を終えると、いつも通り和柄のシャツを着た鬼塚さんが、

「うーし、じゃあ上級生は俺の車。他は光輝、頼むぞ」

「はい。じゃあ葵が助手席、草一と舞ちゃんが後ろな」

 光輝が、なぜか席を指定してくる。

 葵は、すぐにその理由がわかった様子。光輝と笑いあい、二人で舞へサムズアップした。

 舞が頬を染め、二人を軽く叩く。え、何その暗黙の了解?

 怪訝に思いつつ、僕は後部差席に乗り込む。続いて舞。彼女がシートベルトをしめた。

(わっ)

 豊満な胸の間にベルトが入る、いわゆるパイスラッシュの形になっている。

 反射的に目をそらすと、いきなり頬をつかまれて顔を方向転換させられた。

 吐息がかかる距離。舞は嗜虐的な笑みを浮かべて、

「情けないですね~。これだから陰キャラは」

「ぐぐ」

 言い返せないでいると、光輝がエンジンをかけた。

 しばらく国道を走ったあと、仙台宮城インターチェンジから高速道路に乗った。ここから石上市までは二時間ほどである。

「ではちょっと、俺の愛車の本領を見せてやるか」

 光輝がそう言った瞬間、エンジンがうなりをあげ加速。背もたれに押しつけられるほど、強烈なGがかかった。

 実家の父の車とは全く違う、

 僕は車に興味が無いので、『ひとり至上主義』では絶対に得られなかった快感だろう。

 僕も舞も、葵も笑っている。

「光輝! これ凄いな!」

「ははは、そうだろう草一! ……まあこんくらいにしとくか。俺の車ばかり先行しても仕方ないしな」

 光輝はスピードを落ち着かせた。

 すると舞が、僕に耳打ちしてきた。

「ここで一つ、会話の練習のためのクエストをしましょう。何か話を振って下さい」

 突然出してきやがった。隙あらば僕を鍛えようという魂胆か。

 少し考えたあと、僕は光輝に振ってみる。

「光輝は最近、バイトの調子どう?」

「どう……って、まあ、いつも通りだよ」

 ……会話が終わってしまった。

 舞から「もっと具体的に」と耳打ち。確かに『調子どう?』という質問は曖昧すぎて、答えようがないかも。

 具体的……ではこれならどうだろう。

「今まで店に、変な客とか来たことないの?」

「そうだな――」

 光輝は少し考えたあと、バックミラーで僕を見てきて、

「大学生なのに、女子高生の言われるがままになってた客とか」

「俺じゃん」

 突っ込むと「ははは」と光輝は爽やかに笑って、

「あとなー、めんどくさかったのが『ショップの店員ってなんだ? 店はショップって意味だから、二重表現じゃないか』と言ってくる客もいたな」

「あ、それ、センパイ言ってましたよー『"山の山奥”と同じだ!』って」

「なんだ、草一ばっかりじゃない!」

 葵がそう言うと、車内が笑いで包まれた。

 イジられてるけど、嫌な気持ちはしない。

 高校の同級生や、鬼塚さんにイジられたのはムカついたのに、なんでだろう?

 その後いつのまにか、前後の座席ごとに話す流れになった。

 僕は舞に『イジってくる人によって快・不快がある』についてたずねてみた。

「あー、それはきっと『イジる人が、相手を尊重する気持ちがあるかどうか』じゃないでしょうか」

「尊重」

「葵さんや、光輝さんや……」

 舞は頬を微かに染めて、スカートをきゅっと握った。

「それに私は、センパイのことが好きですから、イジる際もストッパーを無意識にかけています。貴方が本当に傷つくようなことは、言わないように」

「そりゃ、どうも」

 こんな可愛い子に好きって言われたら、そりゃ心拍数があがる。無論男性としてって意味じゃないんだろうけど。

「尊重がないイジリは只の暴言となり、相手を傷つけたり、場の空気を壊してしまいます。センパイが『梨』と『無し』でダジャレ事故を起こした時、鬼塚さんが執拗にイジってきたことを思い出してください」

 確かに、あれは不快なだけだった。

「鬼塚さんって、センパイのこと尊重してないですよね。だからイジる際もストッパーがないんですよ」

 舞の話は説得力があった。無論これは一説で、例外もあるのだろうが。

「相手をイジるというのは、リスクが高いコミュニケーションです。普段の生活で相手を理解し、『イジってもいいボーダーライン』がわからないうちは決してやってはいけませんよ」

 肝に銘じておこう。あとで使えるかもしれない。

「舞、他にも相談があるんだけど」

「なんですか?」と、笑顔な舞。頼られて嬉しそうだ。

「高嶺さんに告白する前に、少しでも成功率をあげたいんだ。どうすればいいかな」

 舞の笑顔が、固まる。

 そしてその表情のまま、絞り出すように、

「告白までに、多く話すことしかないでしょうね」

「そうか、がんばるよ」

 舞は頷いたあと、外の景色を見た。

「早く起きたから眠くなってきました。少し寝ます」

 そしてすぐに、寝息を立てはじめた。

 だが少し経って、こちらに倒れ込んできて、僕の肩に頭が乗せられる。

「え? えっ?」

 カーブのたびに柔らかい身体がおしつけられ、甘い吐息がかかる。

 僕が石像のごとく固まっていると、葵がイタズラっぽく笑って、

「草一、舞ちゃんに何をしようと、僕達は見ない振りをするからね」

「だ、誰がするか!」

 そう言い返すと、舞が更に体重をかけてきた。

 まるで僕の『誰がするか』を聞いて、ムカついたかのように。

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