6章①多人数の会話攻略法
高嶺さんと練習した翌朝から、僕に新たな日課が加わった。
アパートで防音マスクをつけて朗読をしたあと、『外郎売り』を読む。
「拙者親方と申すは――……」
何度もつっかえるが、二十分ほどかけて何とか読み終えた。
続いて教わった筋トレ――『バックエクステンション』と『プランク』、『デッドリフト』をする。
外郎売りと筋トレを続けることで、僕の『声』と『姿勢』はさらに改善していくだろう。RPGでステータスを伸ばすみたいで楽しい。
(さて大学行くか)
何となくつけていたテレビを消そうとしたとき、ニュースの映像が目に飛び込んできた。
川原で若者たちが鍋を囲んでいる。そしてアナウンサーが、
『ここ広瀬川のそばでは、宮城の秋の風物詩である芋煮が……』
芋煮。
宮城と山形の名物の汁物だ。
それぞれ味付けは異なるが、我が宮城県の芋煮は『豚汁に里芋を入れたもの』を想像すれば良い。これを仲間達と川原で食うのが、宮城のレジャーの定番だ。
高校の時ひとりでやってたら、同じ学校の教師達もそこで芋煮をやっていて『寂しいだろう? 一緒にやろう!』と引っ張りこまれ、可哀想な子扱いされた。
(物凄い、余計なお世話だったな……)
そんな事を思い出しながら、僕は押し入れをあけて『あるもの』を準備し、大学へ向かった。
●
講義を終え、葵と合流する。
大学本館へ入ったが、放送室へ行く前に、葵を人気のない階段の影へ連れていく。
小動物のように、首をかしげて見上げてくる葵。
僕はデイパッグから黒いビニール袋を取って差し出した。
「……ほら」
「え?」
「昨日『貸してくれ』って言ってたろ。エロDVDだよ」
お気に入りを三枚ほど持ってきた。
葵は袋の中を一瞥して、笑った。
「お、草一、イイ趣味してるじゃん」
ありがとう、と僕はよくわからない返事をする。
「今度、ボクんちで鑑賞会しない?」
心は男だが、身体は美少女とエロDVDを見る……状況が複雑すぎるが、妙な気持ちになることは間違いない。
「イヤかな?」
不安げな上目遣いで見てくる葵。ぞくっとするほど色っぽい。
「そんなことはない」
「やった! じゃあ泊まって行きなよ」
(お、お泊まり?)
隣で、葵が寝息を立ててたら僕は理性を保てるのか? 一体どうすれば――
「こんにちはセンパイ! 葵さん!」
いきなりの舞の声に、文字通り飛び上がった。
振り返ると彼女が、人なつっこい笑みを浮かべている。制服姿だが、大学に来た為か、いつもよりカッチリと着こなしている。
(まずい)
今はエロDVDのやりとりの最中なのだ。中には、どことなく舞に似たギャル女優のものもあるし……
だが、葵は微塵も動揺せず、
「やあ舞ちゃん、来たんだね。参加申請書が大学に受理されたの?」
「はい! 『審査が通った』って、高嶺さんからメールが来ました……ところで今お二人、何してたんですか?」
「草一から、オススメのDVDを借りたんだけど」
「へ-、どんなのですか?」
袋を見る舞に、葵がきっぱりと告げる。
「舞ちゃんに似た女優が、出てくる作品もあるよ」
(おぉい!?)
なぜ言う?
「へ、へー……センパイは、私に似た女優が出てくる映画が、お気に入りなんですか……」
舞は頬を染め、後ろ手になって太股をすりあわせる。
「ちょっと見せてください」
「だめだ。絶対見せない」
僕がそう言うと、舞はあっさりと諦めた。
そして足取り軽く歩いて行く。ご機嫌さを示すように栗色の髪がふわふわ揺れている。
葵が僕にウインクしてきた。
(……なるほど)
僕が単にDVDを隠したら、舞は『怪しい』と思うだろう。エロDVDと悟られるかもしれない。
だがこの流れで隠すと『舞に似た女優の映画を持ってるから、見られるのが恥ずかしい』という風に見える。
(葵、可愛い顔をして策士だな)
感心しながら、三人で放送室のドアをあける。
「失礼しまー……」
「あっえっいっうっえっおっあっ!」
今日も高嶺さんがひとり、丹田に両手を当てて、発声練習をしていた。 挨拶すると、高嶺さんは『お疲れ様』と微笑みかけてきた。
そしてストレッチをしつつ、チラチラ僕を見てくる。目が合うと、慌ててそらす。
「あの高嶺さん、今日も発声のご指導お願いしていいですか」
「――!」
高嶺さんは、心から安心したように破顔した。昨日厳しくしたから、僕が発声練習やめると思ったのかな?
「もちろん! では今日は、舌の体操をしましょう」
舌の筋肉を鍛えることで、滑舌をよくできるそうだ。
「まず舌を出してみて。こんな風に。べー」
「べ……べー」
舌を出した高嶺さんと、間近で見つめ合う。妙な状況だ。高嶺さんの濡れた舌が悩ましい。
「ろろらららんりゅーりょ-」
「?」
高嶺さんは舌を引っ込めた。
そして前髪をいじりながら、恥じらうように窓の外を見て、
「……『そのまま三十秒』って言ったの。舌を出す前に言うべきだった」
やはり高嶺さん、少し天然……ほっこりしていると、視線に気付いた。
舞が、ジーッと僕達を見ている。
(練習法を学ぼうとしてるのかな? 熱心だなぁ)
その後、舌の体操法を教わった。上下左右に三十秒ずつ、舌を力一杯出すだけ。これも習慣に取り入れよう。
机に座る葵を見ると、赤いノートに熱心に書き込んでいる。このノート、僕と友達になった日も使っていたものだ。
「葵は、なにしてるの?」
「今度映像ドキュメンタリーを作るんだけど、構成を考えてるんだ」
「へぇ。題材は?」
「ウチの大学の藤堂ゼミが、企業とコラボして食品開発をしたんだよ」
高嶺さんが目を細めて、
「水無月君の初めての企画だものね。頑張っていいものにしたいわ」
葵はいずれ、性同一性障害についてのドキュメンタリーをとろうという目標がある。そのための第一歩なのだろう。
葵が脚本を考え、高嶺さんがアナウンスするなら良いものが作れるに違いない。僕も、編集として力を尽くさないと。
そのとき、放送室に光輝が入ってきた。舞へ手を振り、
「いらっしゃい舞ちゃん」
「あ、どうもです」
「しかし高校生活も忙しいだろうに、よく大学へ来れるねー。そういえばこないだ、草一と買い物もしてたし……」
僕の肩に手を置いて、
「もしかして草一のことが好きとか?」
舞が固まった。
頬だけでなく、耳や首まで赤くなっていく。もじもじと居心地悪そうに両手の指を絡めている。
(いかん! 光輝がまた誤解している)
舞が好きだったのは、あくまで『ガウェイン』。今の彼女は、僕を兄と重ねているだけなのだから。
「いやいや、そんなこと、天地がひっくり返ってもないよ。なあ舞?」
「……そうですね!」
舞が笑顔を向けてきた。ふぅ。誤解されたままはよくないからな。
なぜか葵と光輝は、顔を見合わせてニヤニヤしている。何がおかしいんだろ?
「じゃあ月岡君、そろそろ次の練習をしましょうか」
高嶺さんと、再び舌の体操をしていると、
「ちーす」
鬼塚先輩が入ってきた。ポケットに手を突っ込み、肩を揺らしている。ヤンキーのような歩き方だ。
僕を見て「チッ」と聞こえよがしに舌打ち。
「なぁ月岡、お前技術班だろ。アナウンス班じゃねーのに、なんで発声練習してんの?」
「しっかり話せるようになりたいと思いまして」
「どーだか。高嶺と仲良くしたいだけじゃねーの?」
ぎくっ。確かにそれもある。
高嶺さんが、たしなめるように言った。
「鬼塚君。あなたも練習すればいいでしょう。アナウンス班なのだから」
「俺は才能あるから大丈夫だって。自動車部では、バラエティのMCばりにトークを回してるんだぜ?」
「……そう」
会話がかみ合わず、高嶺さんはため息を押し殺した。
そのあと、前橋さんとツッチーさんもやってきた。
僕の本業は技術班なので、発声練習を切り上げ、前橋さんから動画の編集を教わる。
その間も高嶺さんは一人、スタジオにこもって発声練習。葵は構成を考えている。
光輝はカメラを整備し、鬼塚さんは漫画を読んでいる。
ツッチーさんは持参した梨を剥きはじめた。舞も手伝っていたが、驚くほど手際が良い。
それを切り分けて爪楊枝を刺し、ツッチーさんが「おやつ食べよーよ」と皆に声をかける。
放送研の全員がテーブルを囲んで座り、雑談タイムが始まった。
僕の隣に座った舞が、スマホを素早く操作して画面を見せてきた。
『昨日言った『集団での会話』クエストですね。
攻略法は今度教えますから、とにかく今日は話に参加してみてください。
クエスト達成の目標は『一回"流れを活性化させる一言”を言うこと』です』
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