5章②憧れの人と二人

 大学の中庭で、葵が性同一性障害であることについて色々話したあと。

 僕は舞から与えられたクエスト『放送研の誰かと話して、高嶺さん攻略の糸口をつかむ』を達成すべく、切り出した。

「あのさ、高嶺先輩について教え……」

 そこまで言って、ハッとする。

 これでは高嶺さんに気があるのが見え見え。せめて『放送研の人たちについて教えて』と言うべきだった。

 案の定、葵がイタズラっぽく笑って、

「あっ、やっぱり高嶺さん気になる? すっごい美人だもんね」

「そ、そんなんじゃない! ただ放送研の皆について知りたいから、まずは部長の高嶺さんについて……」

 お茶を飲んで誤魔化していると、

「あ、そういえばこないだ、遙花さんとデートしたんだけど」

「!?」

 お茶を吹きそうになった。

「はは、嘘だよ。やっぱり気になってるんじゃないか」

 完全に見透かされている。

 葵は得意げに人差し指を立てて、

「では教えてあげよう。高嶺さんはすごく『頼られたがり』なんだ」

「?」

「以前、高嶺さんに男声を出す方法を相談したら、一緒にトレーニングメニューを考えてくれたんだ。とてもやりがいに溢れた感じでね」

 葵のハスキーボイスは、それが理由だったらしい。

「誰だって、自分が必要とされると嬉しいものだ。でも高嶺さんはその傾向が強いと思う。あくまでボクの独断ではあるけれど」

(頼られたがり、か)

 なら悩みなどを相談すれば、高嶺さんは熱心に聞いてくれるかもしれない。

「草一は、今日もう授業ないんだよね? 高嶺さんもそうだから、午後から部室行けば二人きりのチャンスだよ」

 『火曜の午後は二人きりになれる』。これも攻略のための情報になるだろう。

 それから葵は、他の放送研メンバーについても教えてくれた。

 光輝は車が趣味で、国産スポーツカーのランサーエボリューション――ランエボに乗っていること。

 そのため光輝は、自動車部と掛け持ちしている鬼塚さんと話が合うらしい。

 前橋さんとツッチーさんのカップルは、なんと大学内でもエロいことをしているという。

 使われていない教室、屋上の死角……

 なんと放送室でHした事もあって、その時は高嶺さんがキレて一時間も説教したそうだ。

「が、学内でえっちなことするなんて、あの人たち半端じゃないよ」

 それを頬を染めて言う、葵の可憐さも半端ない。心は男なんだから、ドキドキしちゃいけないんだけど……。 

 それから弁当を食べ終え、二人で片付けをしていると。

 中庭の向こうから光城光輝がやってきた。あちこちの女子から声をかけられ、笑顔を返している。リア充感すげえな。

「おぅ葵、そろそろ授業いこーぜ」

「了解……あと、草一はボクの秘密を受け入れてくれたよ」

「だから大丈夫だって言っただろ。俺の目に狂いはないのさ」

 光輝は僕を見ながら、葵を指さして、

「葵のヤツ、昨日俺に電話してきて『大丈夫かなぁ、草一に嫌われないかなぁ』って半泣きだったからな」

「……バラすなよ」

 葵が、光輝に軽くパンチしたあと、

「ところで光輝。草一はこれから、部室にいる高嶺さんへ突撃するらしいよ」

「ほー、お前『陸奥大の女神』狙い? チャレンジャーだなぁ……」

 光輝は感心したようにうなずき、

「舞ちゃんも気の毒になぁ」

(え、どういうこと?)

 まさか舞が、僕に気があると思ってるのか?

(いやいや、ないない)

 光輝はさっき『俺の目に狂いはない』って言ってたけど、そういう訳でもないみたいだ。



 葵、光輝と別れ、放送室へ向かう。

 高嶺さんと二人きりなんて、高校のときカツアゲから助けられて以来だ。

 もちろん嬉しいけれど、それ以上に緊張する。

 そもそも、今日のクエスト『高嶺先輩攻略の糸口を得る』は達成したのだ。このままアパートに帰っても舞は褒めてくれるだろう。

(でも……目標を自主的に立てられないと、いつまでも成長できない)

 よし、自分でクエストを決めよう。

『葵から得た情報で、高嶺さんとの距離を縮める』

 これだ。

 不安で曲がっていた背中を、頭頂部を引っ張って伸ばす。

 大学の本館に入り、放送室のズッシリした扉を引く。

 ――瞬間。


「ひらがなをもって『ういろう』と記せしは――」


 清らかに澄みきった大きな声が、僕の全身を打った。

 部屋の中央で高嶺さんが一人、お腹に両手を当てて、古文のようなものを暗誦している。

 おそるおそる近づいていくが、全く気付かれない。すごい集中力。

「……書写山しゃしょざん社僧正しゃそうじょう粉米こごめのなまがみ、粉米のなまがみ、こん粉米の小生こなまがみ……」

 意味はよくわからない。だが一言一言に感情がこもっていて、抑揚、リズムがとても心地良い。舌が絡まりそうな言葉ばかりなのに、一切噛むことはない。

 それから高嶺さんは五分近くも、暗誦を続けた。

「……ご照覧あれと、ホホ敬って、ういろうは、いらっしゃりませぬか」

 ふうっ、と息を吐いて、おそるおそる腕時計を見る。

「よし、噛まずに言い切れた。タイムは……?」

 その瞬間、満面の笑顔になった。

 両こぶしを突き上げ、ウイニングランのようにテーブルの周りをぐるぐる回る。

「高嶺遙花選手、新記録です。やりましたーーーーー」

 呆然とする僕。

 高嶺さんはピタッと止まった。そして壊れたロボットのように、ぎこちなく首をこちらに向ける。

 艶やかな黒髪を手で整え……

「月岡君、こんにちは」

(なかったことにした!)

 高嶺さんは澄ました顔をしているが、耳まで真っ赤だ。ガッツポーズには触れない方がいいだろう。

「こんにちは。古文を暗誦していたんですか?」

「えっ、暗誦の時からいたの?」

 高嶺さんはテーブルに両手をついて、うなだれた。

「やはり……全部見られていたのね……」

 しまった。古文のことを言ったら『ガッツポーズ全部見てました』と言うのと同じだ。

「誰にも言いませんから」

「ほんとう?」

 不安げな上目遣いが、超かわいい。

「……あのね。さっきのは『外郎ういろう売り』。声優やアナウンサーの研修でも使われるほど、滑舌や発声の練習に不可欠な文章」

 高嶺さんは本棚からホチキス留めされた紙をとり、僕に渡してくれる。

 A4数枚に、古文が書かれていた。これが『外郎売り』らしい。 

「放送研の全員、これを読んで練習してるんですか?」

「いいえ、アナウンス班の私だけ」

「あれ? 鬼塚さんもアナウンス班では」

 高嶺さんが、腕組みしながら嘆息して、

「鬼塚君は、最初は熱心だったけれど……すぐに飽きて、今は滑舌の練習をほとんどしないの。困ったものだわ」

(あれ?)

 高校のとき、高嶺さんは主将として陸上部を引っ張っていた。

 口数は少ないけれど、誰よりも激しく練習することで、部員達を鼓舞する。遠目に見ても、部の緊張感が伝わってきた。

 だが放送研の部長である今は、部員の怠慢を『困ったものだわ』で済ませている。『彼氏がいるから入っただけ』と公言するツッチーさんがいるように、空気もゆるい。少し違和感がある。

(でもこれで、鬼塚さんが司会してた動画で、声が聞きとりづらかった理由がわかった)

 単純に練習量が少なかったのだ。鬼塚さんは、高嶺さん目当てにアナウンス班になっただけかも。

「月岡君は技術班で、編集希望だったわね? だったら『外郎売り』はやらなくていいわね」

 僕は『外郎売り』の紙を返そうとしたが――

 舞と、葵の言葉が脳裏によぎる。


『会話の基本は共通の話題によるキャッチボール』

『高嶺さんは、すごく『頼られたがり』なんだ』


 僕には高嶺さんとの『共通の話題』にできる、悩みがある。

 思い切ってボールを投げてみよう。

「あの」

 高嶺さんが細い首をかしげ、大きな瞳を向けてきた。

 その綺麗さに少したじろぎつつ、

「僕、志望はあくまで編集ですけど――声に張りがないのが悩みなんです。知人に指摘されて、改善するよう練習してるんですが」

「どんな練習?」

「自分の好きな文章を、大声で一日二十分朗読することです。『インビクタス』とか、よく読んでます」

「『インビクタス』! あれは素晴らしい詩ね。『私を覆う漆黒の夜 鉄格子に潜む奈落の闇――』」

 意外なところで意気投合できた。

 高嶺さんと詩について少し語り合ったあと、紙を示して、

「この『外郎売り』。滑舌や発声の練習に使われるといいましたけど、僕がやっても効果があるでしょうか」

「ええ」

「では、僕に教えていただけませんか」

 頭を下げる。『頼られたがり』なら、乗ってくるはずだ。

 ……だが、返事がこない。 

(アナウンス班でもないのに、頼むなんて変に思われたかな)

 そう思ったとき――僕の両肩に手が乗せられた。

 顔をあげると、高嶺さんが鼻がつきそうな距離にいた。僕の全身が硬直した。

 高嶺さんは頬を紅潮させ、爛々と目を輝かせている。

「もちろん! 私が手取り足取り教えてあげる」

 『頼られたがり』という性格をうまくつくことができた。RPGでいうとクリティカルヒットだ。

 


 高嶺さんは僕を、大きなガラスがついた壁で仕切られた、スタジオの中に案内してくれた。

 マイクがいくつか設置されている。ここで録音や放送をするのだろう。 高嶺さんが僕の隣に立って、 

「では私が手本として読むから続いて。『拙者親方と申すは――』」

「せ、『拙者親方と申すは――』」

 高嶺さんがいきなり、僕の下腹部を掌で触ってきた。

(わわっ)

「ここ。おヘソから十センチくらい下。丹田たんでんを意識して」

 好きな人が、僕のデリケートゾーンに――って、真面目に教えてくれているんだ。しっかりやらないと。

 『深呼吸して落ち着こう』とスーハーしたら、高嶺さんの良い匂いを吸い込んで一層テンパる。ドツボだ。

「ではいきましょう。繻子しゅすひじゅす、繻子、繻珍しゅちん」「しゅしゅひじゅしゅ、しゅしゅ、しゅちん」

「親かへえ子かへえ、子かへえ親かへえ」「親はへえへえ子はへえ、こはへえこはへえ」

 ……たっぷり二十分ほどかかって、『外郎売り』を音読し終えた。

 あまりのダメさに冷や汗がでる。朗読を日課にしているから、少しは自信があったんだけど……

 なにせ、この『外郎売り』。嫌がらせかと思うくらい音読が難しい。

「すみません」

「始めは誰でもそんなもの。私だって放送研に入ったばかりの時は、何度も舌を噛んだし」

 そういえば、高嶺さんは高校時代は口数が少なかったらしい。僕を助けてくれた日も、ぼそぼそと喋っていた。

 そんな人が、ここまで声を出せるようになったのだ。相当練習したのだろう。

「でも月岡君、声はしっかり出ているわ。ふだんの朗読の効果が出ているのでしょうね。姿勢もそれほど悪くないし、それが声量にも繋がっている」

 レベルアップを褒められて、喜んでいると、

「でも貴方の姿勢のよさは、やや不自然ね。無理に力を入れている感じ」

「『姿勢がくずれてるな』って思ったら頭頂部の髪を引っ張って『空から背骨を引っ張られてるイメージ』で修正しているんです」

 高嶺さんは興味深そうに頷き、

「なるほど。でもそれだと、背中に余計な力も入ってしまうの。自然に姿勢を良くしたいのなら、体幹を鍛えるのが効果的。そうすると声量も増えるし」

 体幹を鍛えると、僕の課題である姿勢が改善され、声量も増える。

 一石二鳥ではないか。

「体幹は、どうすれば鍛えられるんですか」

「では筋トレ『バックエクステンション』を教えましょう」

 高嶺さんが、突然うつぶせになった。

 『服が汚れる』と思ったが、それが気にならないほど指導に熱が入っているようだ。

 両手を後頭部に当てる。

 それから――頭と脚を上げ、海老反りになった。

「このまま三秒キープ」

 高嶺さんのシャツの襟がたわんで、胸がちらりと見える。

 思わず目をそらすと、

「私を見なさい」

「は、はい」

「そして海老反りの状態から、凄くゆっくり、うつぶせに戻る……これを十回ね」

 言われた通りやってみる。

 最初は楽だったが。五回目を過ぎたあたりから、急激にきつくなる。十回を終えると、腹筋がぴくぴく痙攣していた。

(きっつい……でも終わった)

「十秒休憩の後、あと2セット」

「え」

「終わったら『プランク』と『デッドリフト』を教えるわ。これも体幹を効率よく鍛えられるの。ファイト月岡君!」

 熱血スイッチが入っている。一緒にトレーニングできるのは嬉しいけど、僕の身体はもつだろうか。


 

 筋トレは続く。運動不足の身には滅茶苦茶きついが、隣で好きな女性が倍以上のメニューをこなしているのだ。弱音は吐けない。

 ガラスの向こうを見ると、放送研の面々がいつのまにかいた。

 鬼塚さんは光輝と談笑し、ツッチーさんと前橋さんはお菓子を食べさせあってイチャついている。

 葵だけが、熱心にノートに何か書き込んでいる。

 全体的にはゆるい雰囲気。高嶺さんが高校の時率いていた陸上部とは、かなり違う。

 なぜだろう、と思う暇もなく、僕は筋トレをこなし続ける。

 メニューを終える頃には全身が痙攣し、起き上がることもできなかった。

「ご、ごめんなさい。やりすぎたわ」

 息も絶え絶えな僕の隣に、高嶺さんが正座した。

 そして不安げに――捨てられた子猫みたいに見つめてくる。彼女らしからぬ姿に、どきっとする。

「放送研、やめたりしない?」

「まさか」

「良かったぁ……」

 心から安心したように、形のいい胸に手を当てる。嬉しいけれど、少し過剰な反応。

「そういえば月岡君、こうして二人で話すの、手をつないで走った時以来ね」

 僕が四人の不良に絡まれて、金を要求されたときだ。

 高嶺さんが人差し指を立てて、お姉さんっぽい口調で、

「あのね、気をつけなきゃ駄目よ。あのとき私が通りかからなかったら、どうなっていたと思うの?」

「あいつらの自転車の、防犯登録番号を暗記していたので、警察に『この番号のヤツに強盗されました』と届けていたと思います」

「なかなか逞しいわね……」

 『カツアゲ』というと犯罪感が薄れるが、要は『強盗』である。立派な犯罪なので、普通に警察に相談するのが最良。

「でも月岡君、あのとき泣いていたでしょう」

(ああ、高嶺さんに嫌いなコーヒーを渡され、我慢して飲んで、涙ぐんだ時か)

 高嶺さんは吐き捨てるように、

「私ああいう風に、徒党を組んで誰かを泣かせる人は大っ嫌い」

 少し勘違いしている。

 舞に教わった『角度』をつけてみよう。

「いや、あの涙は、苦手なコーヒーを飲んだからで……」

「じゃあ泣かせたのって、私!?」

 ええ~……と高嶺さんが頭を抱える。 

 僕は慰めるべく、こう言った。

「高嶺さんは、徒党を組んで泣かせたわけじゃないでしょう」

「そういうことじゃないでしょっ」

 高嶺さんが、笑顔で僕をかるく叩いてくる。

 かわいいなー、こういう一面もあるんだなー、と思ったとき。

 鋭い視線を感じた。

 ガラスの向こうから鬼塚さんが『てめぇ高嶺に近づくな』って感じで睨んでいる。

 だが言うことを聞く筋合いもないので、そのまま高嶺さんと過ごした。すげぇ幸せな時間だった。


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