5章①初めての友達は
放送研に入った日の夜。自宅アパート。
僕はいつものようにノートPCに向き合い、舞とテレビ電話していた。
ただ今は、ネトゲのWCOではなく僕の作った数学の問題を、舞が解いている。先程メールで送って、向こうでプリントアウトしたものだ。
「この問題がちょっと難しいんですけど。ほら、ここですよ」
僕は、画面から目をそらしつつ応えた。
「センパイ、ちゃんと見て下さいよ」
「あーうん。そこね。第三問とよく見比べてみて」
「……あ、第五問って一見難しいけど、第三問を複雑にしただけなんですね」
「そうです」
なぜ僕が挙動不審かというと。
今の舞は風呂上がりでパジャマを着たまま、ベッドの上でうつぶせという体勢だからだ。
頭にタオルをターバン状に巻いている姿が新鮮だし、大きく開いた襟元から、胸の谷間が見えるしで破壊力がすごい。なにこれ? 僕に女耐性をつけさせるためのクエスト?
画面から目をそらしながら、
「あのせめて、もう少し胸元を閉じていただけませんか」
「あの」
舞が頬を染め、消え入りそうな声で言う。
「誰にでも見せるってわけじゃ……ないですよ」
いつになくしおらしい姿に、ドキッとする。
(ま、まさか舞は僕を……)
舞がベッドの上でひっくり返った。胸を弾ませ、僕を逆さまに見てくる。
「なんちゃって。センパイみたいな陰キャラは、そーゆーの好きなんでしょ?」
くっ。からかわれた。まあ好きなんだけど。
(そもそも舞は『ガウェイン』のことが好きだったはずだが、そのプレイヤーである僕と対面して、幻滅したはずだ)
勘違いして、恥ずかしい。
「いつもと違う私で誘惑しようと思ったんですが、うまくいきませんね」
「また、からかおうとしてもムダだよ」
舞が笑った。
その顔が、なぜか少し寂しそうに見えた。
舞が問題を解き、僕が答え合わせを終える。
全問正解で、彼女は大喜びしていた。ベッドの上で飛び跳ねるので、胸が揺れまくる。
僕は時計を見るフリして目をそらしつつ、
「さて舞、高嶺さんを彼女にするための、次のクエストについて考えようか」
「……そうですね」
舞があぐらをかく。何故か、けだるげに頬杖をつきながら、
「高嶺さんがラスボスだとして、RPGなどにおいて敵を攻略するためには?』
「自分のレベル上げ」
『それは今もやってますね。『声』とか『笑顔』などのトレーニングは順調にきてますし……レベル上げ以外に、敵の攻略法といえば?』
僕は少し考えたあと、
「敵の情報を集める」
「そうです。次のクエストは『放送研の誰かと話して、高嶺さん攻略の糸口をつかむ』です。コミュニケーションの練習にもなりますしね……葵さんか、光城さんあたりが適任でしょうか」
なるほど、その情報を使えば高嶺さんとの距離を縮められるかもしれない。
(葵といえば)
ひとつ引っかかることがあったので、舞に尋ねてみる。
「あのさ、今日放送室に、葵が入ってきたよね。そのあと彼が僕のことを『友達です』と説明すると、鬼塚さんが『月岡お前、あの事まだ知らねーのか」と言った」
「あ、はい」
「その一言で、なんか妙な空気になったよね。あれはなんだったんだろう」
舞が細い首をひねる。わからないようだった。
テレビ電話を終えたあと、静かになった部屋で、僕はスマホを手に取る。
『高嶺さんについて知る』クエストのため、葵に会う約束をしないと。でも僕が、葵について知らないことって一体……。
(放送研の皆は知っているようだったけれど)
悩んでいると、スマホが鳴った。当の葵から、LINEメッセージが来ている。
『明日、一緒にお昼食べないか。大事な話があるんだ』
●
翌日――火曜の陸奥大学。昼休み。
受講している講義は午前のみなので、あとは昼食をとって放送研に行くだけだ。
僕はまず中庭へ向かった。沢山の人がいて、賑やかだ。
待ち合わせ場所の、花壇の側に行くと……
葵がシートの上に、あぐらをかいていた。僕に気付くと笑って、小さな手を振ってくる。
傍らには大きな弁当箱が置かれている。昨夜LINEしたとき、葵が『お弁当作るよ』と言ってくれたのだ。
靴を脱いでシートに座る。葵は弁当箱のふたをあけ、いつものハスキーボイスで言った。
「お口にあえばいいんだけど」
太巻き、唐揚げ、出汁巻き卵、お浸し、筑前煮が入っていた。
それを葵が紙皿に盛り付け、水筒からお茶も注いでくれた。
いただきます、と言ってから、まず太巻きを食べてみる。
「うまっ」
具はかんぴょう、キュウリ、おぼろ、干し椎茸など。これを綺麗に太巻きにするのって相当難しいはずだ。他のおかずも、びっくりするほど美味しい。僕も大学入ってから料理をよく作るが、これはケタ違いだ。
「よかった。親からみっちり仕込まれたからね」
男が親から料理を仕込まれる、というのは少し珍しい。料亭の息子か何かだろうか。
僕たちはそれから、とりとめのない事を話した。『大事な話』をすることを、少しでも先送りにしたい――二人の間で、そんな暗黙の了解ができていたのだろう。
だがやがて雑談が止まったとき。
居住まいを正して、葵が切り出してきた。
「で、昨日LINEで言った『大事な話』なんだけど」
(きた)
葵は、怯えと緊張が入り交じった表情で、
「君と友達になれて嬉しいと思ってる。だから言うのが怖いんだけど……」
そして葵は。
いつものハスキーボイスではなく、綺麗なソプラノで言った。
「ボク、実は女なんだ」
え?
じゃあ僕はボーイッシュな女の子を、男と勘違いしてたのか?
それは申し訳ないことをした――と思った瞬間、
「身体は女性だけど、心は男」
「?」
「性同一性障害、ってやつなんだ……知ってる?」
僕は慌てて、新聞などで聞きかじった知識を想起する。
「ええと『精神的な性』と『肉体的な性』が一致しないこと、だったかな」
葵はうなずいて、遠くを見つめた。
「高校までは普通に女子として暮らしてたんだけどね……きつかった。『仮面ライダーグッズが欲しい』というと親から激怒されたし、制服のスカートも『女装』してるみたいで嫌だった」
小さな手をギュッと握って、
「ウチは代々続く国会議員の家で、すごーい保守的だから親に相談もできない。それどころかパーティにドレスを着て連れていかれて、他の議員の息子と顔合わせ。親同士で縁談を始めるわ、議員の息子はボクを嘗めるように見てくるわ、身の毛がよだつとはこのことだよ」
家族に悩みを打ち明けられず、ため込んできたらしい。
「で、厳しい親元を離れた大学からは」
葵は己の両手を広げて、
「こうして、男の格好をしだした訳。ナベシャツを着たりして」
「ナ、ナベシャツ?」
「胸の膨らみをつぶすためのシャツだよ。こう見えてもボクはDカップ有るからね」
反射的に葵の胸元を見たが、慌ててそらす。
(……生まれて初めて出来た友人が、超可愛い女の子。しかも性同一性障害……)
僕のコミュ力では荷が重すぎる。
舞に聞いた会話のコツ『共通の話題によるキャッチボール』ができるはずがない。『角度』をつけて盛り上げるべき時でもない。
(いや、そういうコツ今いらないだろ)
葵は真剣に思いを吐露している。ならば僕も真摯に聞くしかない。
「葵がそういう人だって、放送研のみんなは知ってるんだよね?」
「うん、入部した時に話した」
鬼塚さんの『月岡、まだ知らねーのか』は、そういう訳か。
「出来れば誰にも知られずに、大学生活を送りたかったけれど」
「……なぜカミングアウトしてまで、放送研に入ったの?」
「ボクは――」
いつもは優しい瞳に、強い意志を込めて、
「いずれは性同一性障害についてのドキュメンタリーを作りたいんだ。世間の理解をもっと深めたいし、映像を見たボクと同じ悩みを持った人たちが、勇気を持って貰えるような」
高嶺さん目当てで入った僕と、なんという違いだろう。
「ボクの話は以上……どう思った?」
葵は裁判を待つ被告人のように、怯えた目でこちらを見ている。何一つ悪くないのに。
(……何ていえば、いいんだろう)
『気にしない』とか『これからは個人の性的指向を尊重する時代だ』とか言うのは簡単だけれど、コメンテーターの借り物みたいで、しっくりこない。
僕が感じたことを、そのまま言うことにした。
「あのさ葵、僕は生まれて初めての友達が、君なんだ」
「う、生まれて初めて!?」
「ああ。僕はひとりが好きだからね。でも――」
舞や葵と出会えたことで、『誰かといることも楽しい』と知ることができた。
「それは、葵が素敵なヤツだからだよ。僕が転んだとき手をさしのべ、笑った奴らへ怒ってくれた。話しても楽しい。君と友達になれてよかったと思う」
「……」
「今日の話を聞いてもそれは、何一つかわらない。それどころか『ドキュメンタリーで世間を変える』なんて聞いて、その気持ちが余計に強まった程だ」
葵の強ばっていた表情が、ほころんでいく。
「良かったぁ……草一に受け入れて貰えて」
僕の頬に、口許を近づけてきて、
「大事なお願いがあるんだ。耳を貸して」
なんだろう。
緊張しつつ、言われた通りにする。
そして葵は、きわめて真剣な口調でささやいた。
「今度、エロDVD貸してくれない?」
僕は吹き出した。それから葵と、顔を見合わせて笑いあった。
●
ひとしきり二人で笑ったあと、葵から更に話を聞いた。
「え、葵、高校の時彼女いたの?」
「うん。後輩に告られてね。夜行バスで二人でディ●ニーランド行ったり、楽しかったよ」
「ディ●ニーか。僕もひとりで行ったことあるよ」
「うん、あそこ楽しいよね……って、ひとりディ●ニー!?」
僕なりに楽しんでいたのだが、近くにいたカップルに『あいつひとり? すげえウケる』と笑われた。
「その時僕は知ったんだ。あそこは『夢の国』といいつつも、受け入れてくれるのはカップルだけなのだと」
「うーん……」
苦笑いする葵に、僕は尋ねる。
「で、彼女さんとはどうなったの?」
「数ヶ月付き合ったあと『やっぱり男の人がいいです』と言われて別れを告げられた。あれはキツかった。『僕は男じゃないのかよ』と」
葵は悲しげにうつむく。やはり彼女なりの苦労があるのだろう。
元気づける言葉を考えていると、
「でもそのすぐ後、また違う子に告白されて付き合ったけどさ。いやぁ、あの子も可愛かったな~」
……僕が元気づけるまでもなかった。
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