1章③朝日奈さんクエスト

 朝日奈さんは、水で喉を潤したあと、

「大学で友達を作るには、センパイはある程度変わらなければいけないでしょう。基本の訓練が必要です」

「訓練……」

 確かに友達初心者の僕が、いきなり作ろうとしても上手くいかないかも。

「まず、これから言う三つを改善していきましょう。センパイと話していて、気付いたことですが――」

 人差し指を一本立てて、

「まず『声』。張りがなくてボソボソして、相手に悪い印象を与えます」

「……」

「『人間の印象の四割は、声で決まる』という説もあります」

 驚いた。それほどとは。

「まあ昔『人は見た目が九割』っていうヒット本があったらしいですから、一概には言えないですけど……」

「どっちだよ」

 僕のツッコミに「ふふっ」と朝日奈さんが目を細めた。

「では二つ目は?」

「それはですね――」

 そのとき。

 さっきまで笑っていた朝日奈さんが、とつぜん能面のような無表情になった。

 なにか機嫌を損ねるようなことでもしたのだろうか。

 不安になっていると、朝日奈さんが微笑して、

「これがセンパイに欠けているもの、二つめ――笑顔です。私が無表情になったとき、不安になったでしょう」

「うん。『何かまずいことしたのかな』って」

「その気持ちを、普段表情を変えないセンパイは、相手に味あわせてるんですよ。私も不安でした」

「……ぼ、僕はクールな人間だからね」

「自分でクールって言うのって、かっこよくないです」

 そりゃそうだ。

 恥ずかしくなって目をそらすと、朝日奈さんが胸の前で×を作った。

「はい、それ三つ目ー。センパイあまり相手の目を見ないですよね。話してるときに明後日の方向見られると、『この人話聞いてるのかな』と相手を不安にさせちゃいます」

 駄目出しの嵐である。

「まとめると、友達を作るためにまず目標にすべきは『声』『笑顔』『目を見る』の改善です。これから、この三つのトレーニングメニューを言いますから、メモして下さい」

 僕はスマホにメモしながら、感心していた。

 朝日奈さんの指摘は明快だったし、なにより――

(目標達成のための原則は、大きな目標を立てつつ、それを達成するための細かい目標に分解することだ)

 『友達を作る』が大きな目標なら、『三つの要素の改善』が小さな目標。

 小さな目標を、日々のトレーニングで改善するうちに『大きな目標』を達成するための地力がつく。

 僕はWCOで難クエストに挑む前に、そこで必要なスキルを得るために易しいクエストをこなした。それと同じである。

「よし、やってみるよ。朝日奈さ――」

「舞ですよ」

「ん?」

「これもクエストです。『私を名前で呼んでください』。友達ができたら、その人を名前で呼ぶかもしれないでしょう?」

 そういえば僕、誰かを名前で呼んだことなんて無いな。

 少し緊張しながら、声を詰まらせて、

「あの、ま、舞」

「ぎこちないですねー。一日百回、私の名前つぶやいて練習して下さい」

 僕はうなずいた。

 そのあと会計を済ませて別れ、帰り道で「舞舞舞舞舞舞舞舞舞舞舞舞舞舞舞舞舞舞舞舞舞舞……」と呟いていたら警官に職質された。

 「人間の名前を呼ぶ練習です」と説明したら、デイバッグを隅々まで検査された。薬物でも所持してると思われたかも。

 練習の時と場所は選ぼう。




 朝日奈さん――舞と会った翌朝。

 僕は万年床で目を覚ました。布団の周りには本やゲームソフトが山積みになっており、壁には本がぎっしりつまった棚。散らかり放題だが誰も来たことが無いので、問題ない。

 陸奥大学から徒歩五分のところにある、築三十年のアパートだ。

 朝食をとったあと、舞に教わったメニューをやってみる。

 まず『声の張り』の上達法だが、舞はこう言った。


『小説でも漫画でも何でもいいので、自分の好きな文を、一日二十分朗読してください。大きな声で、おなかに力を込めて』


 で、張り切って朗読を始めたが、隣の部屋から壁ドンされて驚いた。

 そりゃ近所迷惑だろう。申し訳ないことをした。

 僕はネットで、いい防音方法がないか調べた。

 結果、近所にある二十四時間営業のドンキホーテへ行き、二千円で『防音マスク』を買った。これは口にラッパみたいなマスクをつけることで、音が漏れない物だ。マスクから伸びたイヤホンで声を聞くこともできるという。

 部屋に戻り、防音マスクをつけてお気に入りの詩を朗読してみる。

 イギリスの作家ヘンリの詩『インビクタス』だ。


「『私を覆う漆黒の夜 鉄格子に潜む奈落の闇

 あらゆる神に感謝する 我が負けざる魂に

 無残な状況においてさえ 私はひるみも叫びもしなかった

 運命に打ちのめされ 血を流そうとも 決して頭は垂れまい』」


 南アフリカ共和国・初の黒人大統領ネルソン・マンデラも、この詩を愛していたらしい。

 マンデラは人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対したため、なんと二十七年間も投獄された。

 過酷な獄中生活でも、この詩を心の支えにして、ひたすら勉強を続けたという。


「『激しい怒りと涙の彼方には 恐ろしい死だけが迫る

 だが 長きにわたる脅しを受けてなお 私は何一つ恐れはしない

 門がいかに狭かろうと いかなる罰に苦しめられようと

 私が我が運命の支配者 我が魂の指揮官なのだ』」


 この詩は僕にも、高校時代に勇気を与えてくれた。

 いじめられていた時に証拠集めをして、相手を逆に追い詰めるまで、これを読んで耐えたのだ。

 『私が我が運命の支配者』である。遊び半分でいじめてくる奴らに、僕の運命を支配されてたまるものかと。

 他にも僕は司馬遼太郎の本や漫画、ラノベなど朗読した。

 次は『笑顔』のメニュー。舞はこう言った。


『"思いっきり笑い、無表情に戻る”。これを一分間繰り返すのを、一日二十セットやってください』

 

 表情筋の筋トレらしい。これを繰り返せば、自然と笑えるようになるんだとか。

 やってみる。

 一分くらい楽勝……と思っていたけれど、三十秒を過ぎたあたりで頬がピクピクしてきた。意外ときつい。

 僕はこのトレーニングを、家や、大学のトイレなどでこなした。

 『目を見る』については、毎晩アパートで、舞との『WCO』で鍛える。

 今までのようにチャットではなく、スカイプでのテレビ電話を使ってプレイすることにしたのだ。

 その際に僕は『声の張り』『笑顔』にも注意。

 ネット越しとはいえ、舞みたいな派手な美少女相手だと、やや緊張してしまう。

 だが毎日やると、さすがに少し慣れてくる。舞が話題を巧みに振ってくれるのも大きいけど。

『センパイ。こないだ討伐で手に入れた『てんめいの宝石』ゲーム内で価格が上がってるみたいですよ」

「そうなんだ」

『売って武具買いません?』

「いいね」

 そんな風に過ごして、一週間ほど経った頃……。

 舞は画面の中で長い脚を組み、『じゃがりこ』を食べながら、

『ん~。まあ少しずつ、三つの要素が上達してきましたね』

 頭をかいて喜んでいると、舞がビシッとじゃがりこの先端を向けてきた。

『でもまだセンパイはRPGで例えると、最初の街の周りでチマチマとレベル上げしてるだけです。まだ冒険に出てるとはいえません』

 まあ、そのとおりだ。

 あくまで目的は大学で友達を作り『ひとり至上主義』と『いっしょ至上主義』のどちらが楽しいのかをハッキリさせるためである。

『冒険に出るにはレベル上げも大事ですが、装備を調えてステータスを底上げしなければいけません』

「装備っていうと……」

『服です! ついでにそのモッサモサの髪も切ります。あと会話の訓練もしましょう。今までは私が話題を振ってましたけど、今度はセンパイにも振ってもらいます』

 それってつまり。

『私と店をめぐり、私や初対面の人と話すのが次のクエストです』

 美少女と二人きりで出かける。

(それって、デートみたいなもの?)

 ううむ、緊張してきたぞ。


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