1章 ②テーブルの向こうのサトシ(※美少女)

(え、どういう事?)

 僕が狼狽していると、腕に『サトシ』が両手でしがみついてきた。大きな胸が密着し、柄のついたブラと、ふかーい谷間が見えた。

 力なく引っ張られ、くずおれるように椅子に座る。

「何を召し上がりますか?」

 テーブルの向かいに座った『サトシ』が、メニューをこちらが正面を向くように見せてくれた。彼女も覗き込んでくるので、きれいな顔が超近い。ぜんぜんメニューに集中できない。

(ギャル……とまではいかないけど、派手目な子だな)

 高校時代、こういう子はスクールカーストの最上位グループだった。僕みたいな陰キャラをよく馬鹿にしていたものだ。あいつら『キモい』しか語彙がないのか。

 そういう過去から、当然イメージはよくない。

(もしかしたら……この子は美人局で、僕はこの子の彼氏に後でボコボコにされるんじゃなかろうか?)

 周囲を見回して警戒していると、『サトシ』が不思議そうに見つめてくる。

 それから『サトシ』はベルを押し、店員さんへハキハキと注文した。

「『四種のチーズ入りドリア』をお願いしますっ」

 一方、僕はオレンジジュースを頼んだ。

 固形物をとらないのは、万一美人局に腹パンされた時に備えるためである。備えあれば憂い無しだ。この想定自体が憂いだな。

 店員さんが去ると、サトシは豊かな胸に手を当てて、

「改めて自己紹介をします。私がサトシ――本名は朝日奈舞といいます」

 申し訳なさそうに、上目遣いで、

「実物見て、びっくりしましたよね。これにはちょっと事情がありまして」

 『サトシ』――朝日奈さんは理由を説明してくれた。

 彼女は以前、WCO以外のオンラインゲームをしていたらしい。

 だが女子高生と公表したら、男プレイヤーが群がってきてイヤな思いをしたという。

「なのでWCOでは、苦肉の策として男を装ったわけです」

「い、妹とのエピソード、よく教えてくれたけど……」

「その『妹』は私です。私にはサトシって兄がいまして、名前やエピソードを使わせて貰ったんですよ」

 そういう事だったのか。

『演技上手かったなぁ』とか『びっくりしたよ』とか色々な感想が湧いてくる。

 だが僕はボソボソと、これだけ言った。

「そう……なんだ」

 朝日奈さんは、肩すかしを食らったような顔。

 だがすぐニコッと微笑んで、話題を振ってくる。

「ガウェインの本名は、なんて仰るんですか?」

「月岡草一」

「へー。私が朝『日』奈、ガウェインが『月』岡。太陽と月で、いいコンビって感じですねっ」

「そう、だね……」

「あ……あはは……」

 彼女の笑い声がフェードアウトしていき……

 沈黙が訪れた。

 朝日奈さんは前髪をいじり、視線をさまよわせる。落ち着かない様子だ。

(気まずい時間を、過ごさせてしまってるな)

 せっかくのオフ会なのに、それは悲しい。

(何か話題を振らないと)

 必死に頭をひねる。

 そうだ。以前本で読んだ、この話をしてみよう。

「知ってる? こういう飲食店の店員さんって」

「あ、はい! なんですかっ?」

「お客さんが不快に思わないよう、ゴキブリが出たとき『太郎さん来ました』と言うんだよ」

「…………」

 そのとき店員さんがドリアと、オレンジジュースを持ってきた。

 朝日奈さんが、これ以上なく顔をしかめて、

「な、なんでファミレスでそんなことを……」

 内容もタイミングも、最悪極まりなかった。

 朝日奈さんがため息をついたあと、ドリアを食べ始める。猫舌なのか、何度もふーふーする姿が愛らしい。

 ……それはいいが、会話がない。

 朝日奈さんが食器を鳴らす音。そして周りからの、楽しげな会話だけが聞こえてくる。

 しかも時折、僕たちのテーブルを見てきて、クスクス笑う客もいる。(何か、変な所があるのか?)

 ガラス窓に映る自分たちを見る。

 そこには、ダサいシャツを着た頭ぼさぼさのブサメンと、光輝くような美少女が映っていた。なるほど、変な所は僕か。

 十五分ほどして、朝日奈さんが食べ終えた。彼女は口を紙ナプキンで拭いたあと……

 僕を軽蔑するどころか、なぜか気遣うように、

「ガウェイン――いや、年上なのでセンパイって呼びますけど、大学生活、どうですか?」

「どう、って?」

「あの、たいへん失礼ですけど、お友達とか、います?」

 どうやら僕がコミュ障気味なので、心配になったらしい。

 僕は、こう呟いた。

「ずっと、一人で過ごしてるよ」

「それは寂しいですよね……私だったら耐えられません。友達大好きなので」

 僕はキョトンとしつつ、か細い声で、

「いや全然。なぜならひとりこそ至高。いわば僕は『ひとり至上主義者』なんだ」

 朝日奈さんは困惑気味に、

「誰かといることは、楽しいですよ」

「楽しくないね。なぜなら僕は、高一の時、エグいほどいじめられていたし」

「そ、そういうヘビー級の話題、さらっと出さないでくれます?」

 朝日奈さんは口許をひきつらせたあと、心配そうに上目遣い。

「ちなみに、いじめ大丈夫でしたか?」

 頷き、説明する。

「いじめの首謀者は、野球部のレギュラーだったんだけども……」

 そいつが率いるグループから、イジリという名の悪口、そして暴力を受けた。他のクラスメイトも、遠巻きに笑っていた。

 僕は高校に入るまで、親の仕事の関係で転校の繰り返しで、友達が一人もできなかった。ようやく腰を落ち着けたと思ったら、これである。

 僕は学校に行き続け、イジメの記録を録音やメモなどで集めた。

 そして一ヶ月後、証拠を首謀者につきつけ、逆に脅迫した。

『これを高野連に送るぞ。間違いなく大会は出場停止だろうな。お前は野球部の先輩から、ボコボコにされるだろう』

 首謀者は顔面蒼白になった。

 その要領で、僕をいじめていたヤツ全員に逆襲すると、高校生活は実に楽になった。周りから距離を置かれ、卒業までずっとひとりになった。

「むろん修学旅行も、ひとりで京都を満喫した。行きたいところに生けて、凄く楽しかったよ」

 朝日奈さんは感心半分、呆れ半分といった顔で、

「な、なんかすごい生き様ですね。私は友達とワイワイするのが大好き……『いっしょ至上主義』とでも名付けましょうか。なので、そんなの耐えられません」

 テーブルに両手をついて、僕の目をのぞきこんでくる。

「でもセンパイ。本当に、今までの人生で一度も、誰かと過ごして楽かった事なかったんですか?」

「もちろ……」

 あれ? 

 三年前、高嶺さんと手を繋いで走ったこと。あれだけは楽しかったぞ。 考え込む僕を見て、朝日奈さんが勢いづいた。

「あった顔です!」

「う、うーん……そのとおりだ」

 高嶺さんのことを考えると、胸があったかくなる。

(これって僕、高嶺さんのことが好きってことなのかな……)

 誰かに恋をした経験がないから、断言できない。

 だが恋愛とは、他人がいて初めて成り立つもの。僕が高嶺さんに恋をしているなら、『ひとり至上主義』と矛盾している。

 悩んでいると、朝日奈さんがたたみかけてきた。

「だから言ったでしょう。誰かといるの楽しいですって。単なる食わず嫌いですよ」

 むっとして、反射的に言い返す。

「いや、『ひとり至上主義』」

「『いっしょ至上主義』!」

「「ぐぬぬ」」

 僕と朝日奈さんは、至近距離でにらみ合った。

 だが少しして……目をそらしてしまう。朝日奈さんが万歳し、胸がたゆんと揺れた。

「そらしました。センパイの負けー」

「違う。そらしたのは、君があまりにも可愛いから」

「あ、え」

 ぽつりと正直な感想を言うと、朝日奈さんが万歳したまま固まった。(だが、考えてみると……)

 高嶺さんに抱く感情は、明らかに『ひとり至上主義』に反するものだ。

 この矛盾を解決しなければ。

「君の言う『いっしょ至上主義』……それを確かめる価値はあるかもしれない」

「あ、やっぱり寂しいんですか?」

「違う。僕は共にWCOをしてきた『サトシ』を信頼してるんだ。君が『楽しい』と言うなら、試す価値もあるだろう」

 大学生活は長い。

 現状、ひとり生活に全振りしているリソースを少し削って、新しい価値観に触れる。

 その上で『やっぱり誰かと一緒はつまらない』とわかれば『ひとり至上主義』という僕の価値観の正しさが証明される。

 逆に、万一『いっしょ至上主義』の良さに気づけたなら、それは人生を豊かにすることになる。

 どっちに転んでも損はない。

 それを説明すると、朝日奈さんはゲンナリした顔で頬杖をついた。

「め、めんどくさい思考回路ですね。じゃあ大学で友達作って、確かめてみたらどうです?」

 友達か。

 高嶺さんを恋人にして確かめるよりは、よっぽどハードルが低い。

「よしやってみよう。だがひとつ問題がある」

 なんです、と細い首をかしげる朝日奈さん。

「僕は、生まれてから友達が一人もいたことがない。だから作り方がわからない」

「す、筋金入りですね……でもだったら余計に、友達作らないと『ひとり至上主義』の正しさが証明できません。彼女いたことない人が『女なんてくだらねえ』と言っても説得力ないでしょ?」

 そりゃそうだ。

 ではどうやって、大学で友達を作ればいいのか、と考えていると……朝日奈さんが大きな胸に手を当てた。

「よし! 私が友達の作り方をお教えしましょう。勉強を教えていただいた御礼です」

 派手な見た目のわりに、随分と義理堅い子だ。

「君は友達作りうまいの?」

 朝日奈さんはスマホを僕に見せ、アルバムアプリを立ち上げた。

 画面には、首がだるんだるんのスウェットを着た少年が映っている。姿勢がだらしなく、目が死んでいて覇気がない。年齢は僕より少し下くらいだろうか。

「私の兄の、サトシです」

「ああ……居間でVRのAVを見ていたとき、君と遭遇したという……」

「お、思い出させないで下さい!」

 忌まわしい記憶を振り払うように、朝日奈さんは頭を振って、

「兄は高2です。今年の春まではボッチで、休み時間はいつも、教室の隅で寝たふりしてるようなダメ人間でした――ですが」

 朝日奈さんが次の写真を表示させる。

 『サトシ』は、別人のように髪も服装も垢抜けていた。数人の男子や、可愛い女性と映っている写真もある。

「私の丁寧な指導により、なんと今では沢山の友達や、カノジョもできましたっ」

「なんか、進研ゼミのまんがみたいだな……」

 朝日奈さんは苦笑した後、

「センパイって以前の兄に似てるから、少しほっとけないんですよね」

 遠回しに、ダメ人間呼ばわりされとるな。

 だが朝日奈さんは指導実績があるようだ。友達作りを教わるには恰好の人材だろう。

「では、よろしく。僕に色々教えて」

「わかりました。これからセンパイに目標達成のための課題――いや、クエストを出していきますからね。覚悟して下さい」

 朝日奈さんは『覚悟』といったが、僕は少しわくわくした。

 誰かと過ごす面倒くささも、もちろんあるけど……

 クエストなんて、まるでWCOみたいじゃないか。

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