モモとイチゴ

 教授棟の部屋へ向かうと、鍵の掛かった部屋の前で立ち尽くしている生徒がいた。


「あれ、モモちゃん。何かありましたか?」


 私は見覚えのある顔を見つけて、声をかけた。


「先生、知り合いですか?」


 半歩後ろを歩く一ヶ谷さんが、問いかける。


「私のゼミ生で、3年の遠藤 和美えんどう かずみさんだよ」


 ポケットから鍵を取り出しつつ、一ヶ谷さんにモモちゃんを紹介する。


「なんで、モモちゃん?」


 当然の疑問を口にした一ヶ谷さんに対して、モモちゃんが3年生にしては子供らしさが前面に出ている笑顔で挨拶をした。


「文学部3年の遠藤です。モモちゃんって呼ぶのは青木先生だけだよ。由来は先生に聞いてみて。文学部の先生の癖に、バカみたいな理由だから」


 私としては、モモちゃんという呼び名が気に入っているけれど、本人は気に入っていないようだ。

 けれど、私に図書館の教授という渾名をつけたのは彼女なので、お互い様とも言えるだろう。


 研究室の扉を開けると、彼女たちを応接用の席へ案内した。


「で、なんでモモちゃんなんですか?」


 席に座るなり、改めて同じ質問をしてくる一ヶ谷さんに苦笑を返しつつも、説明をしてあげた。


「モモちゃんは、いつも桃味の飲み物を飲んでいたからだよ。ピーチティーだったり、桃のジュースだったり、色々だけど、全部、桃味。だから、モモちゃん」


 初めてのゼミの時に飲んでいたピーチティー。

 次のゼミの時に飲んでいた、ピーチソーダ。

 暑くなってきたときに食べていた、白桃アイス。


「いつも、桃味だから、モモちゃんか。安直ですね」

「でしょ?」


 そう言って、二人は笑い合った。


 二人がお喋りをしている間に、冷蔵庫からアイスクリームを取り出して、二人の前に差し出す。


 白桃味と、苺味と、バニラ。


 さて、どれを選ぶかな、と考えていると、モモちゃんは白桃味に手をつけた。


「やっぱりモモちゃんだ」


 予想が当たって少し自慢げな顔をしたのだろうか、モモちゃんが私を見て、顔をしかめる。


「だって、苺は好きじゃない。バニラはどうせ先生でしょ?」

「バニラは一ヶ谷さんかもしれないよ?」


そう返しつつ、私は一ヶ谷さんにも選ぶように進める。

彼女はバニラを手に取った。


「苺、好きじゃなかったか。女の子は好きだと思ったけど」

「ん~、苺は好きじゃないですね。私が好きなのは、苺の加工品です。苺本来の味が強いものは好きじゃないです」


 そう言って彼女は鞄の中に入れていたイチゴミルクのジュースを取り出した。


「苺の種? あのツブツブが嫌なんですよ」


 彼女のその言葉に、私は思わず笑ってしまった。


「あのツブツブは、厳密に言えば果実だよ。ツブツブの中に種子があって、後は果肉だね。種っていっても間違いじゃないけど、ある意味では苺の本体はあのツブツブじゃないかなって思う」


 私が指摘をすると、「流石、博識ですね」と彼女は興味が無さそうにそういった。


「先生は、変な知識が豊富だからね。一ヶ谷さんも雑学を知りたかったら先生に訪ねると良いよ」


 モモちゃんがそう言って笑う。

 一ヶ谷さんも、その言葉を面白そうに笑っている。


「それで、二人とも、この部屋にはどんなご用で?」


 改めて用件を問うと、一ヶ谷さんは「図書館の教授の部屋には本がたくさんあるのかなって思って」と答えた。


 「ああ、本ね。この部屋にはそんなに無いかな。大学の図書館にたくさんあるし、必要な資料は図書館で済ませているよ」


 私が答えると、モモちゃんが補足をした。


「そう、研究室にいる期間は少なくて、ずっと図書館にいるから“図書館の教授”って呼ばれてるんだよ」


 呼び始めたのは、私の記憶が確かならモモちゃんだったはず。


 そう思っても、別に反論することもないし、事実として、図書館にいる時間の方が長い。


「そうなんですね。先輩はなにか雑学的なことを聞きたくて先生を待っていたんですか?」

「え、うん。よくわかったね」


 モモちゃんが驚いたように目を見開いた。


「そりゃ、わかりますよ。さっき、先生を訪ねる理由として雑学を聞きたかったらって言ってましたもん」


 当たり前のように答える一ヶ谷さん。流石、成績が良いだけあって観察力もあるらしい。


 これは私の持論だが、大学で良い成績を修める方法は、ひたすらに研究をするよりも、先生を観察する方が良い。


 先生を観察すれば、その先生の出す問題の好みがわかってくるからだ。そこを重点的に勉強すれば、先生の好みの回答を出すこともできる。


 まぁ、中には論破されることを楽しみにする先生や、純粋に勉強をしたかを確認したがる先生もいるけれど。


「一ヶ谷さん、賢いんだね」


 感心したようにモモちゃんが言うと、次の瞬間には親しみを込めた視線で「仲良くなろう」と言い始めた。


 その言葉に一ヶ谷さんは「はい」と笑い返した。


 友情を築くために、時間をかけない一番の方法は、直球に申し込むこと。


 またひとつ、生徒から学んだ。


「やった。じゃぁ、一ヶ谷さんじゃ堅苦しいから、ここは先生流に渾名をつけようじゃない。加工品の苺が好きで、イチゴミルクを持っているから、イチゴちゃんだね」


 流石にその言葉には、一ヶ谷さんも嫌な顔をしたけれど、モモちゃんとしてはもう決定しているらしい。


「イチゴちゃん、ね」


 その命名には、私も笑ったが、これからは私もきっとイチゴちゃんと呼ぶだろうなと予想した。


「大変不本意な渾名をつけられる不快を、今ようやく理解しました」


 真剣な顔でイチゴちゃんが言うので、それもまた笑いを誘う。


「よろしくね、イチゴちゃん。仕方がないから、わたしのこともモモちゃんでいいよ」


「不本意同士ってことですね。モモ先輩」

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